第46話 炎龍ヴァルノーヴァ
最初に異変を感じたのは、火口湖の水面だった。
火口湖の中央部分に沸々と泡が浮かび始める。泡は次第に大きさを増し、まるで沸騰しているかのように激しく泡立った。
次に気温だ。ここに来た時から蒸し暑くはあったが、周囲の温度が更に高くなっているように感じる。
ボコボコと音を立てる火口湖から白い湯気が上がった。もうもうとした蒸気がノマたちの視界を奪ってゆく。
耐えがたい暑さになったところで、沸騰音がぴたりと止んだ。
瞬間。
──グウゥオオォオオゴアァァァッ!
と、耳を塞ぎたくなるような轟音が鳴り響いた。びりびりと空気が震える。
ザバアァッ、と火口湖から巨大な黒い影が立ち上がる。影は以前戦ったサラマンダーの比ではないくらいに大きい。
白い湯気の隙間からは、紅い光が鈍く発光していた。
ソレは何かを勢いよく左右に広げた。たちまち起こった熱波にノマは反射的に目を閉じる。
熱波が収まり、おそるおそる瞼を開けて、ノマは絶句した。
目の前に、人知を超えた生き物がいる。
左右の黒翼を広げたソレは、火口湖をまるごと覆いつくしそうなほどに巨大だった。漆黒の体表からは湯気が立ち、体表を覆う鱗の隙間からは紅い光が輝いている。ちっぽけな人間が目の前に立ってはいけない。そう思わせるほど、禍々しくも神々しい存在感を放っていた。
これが、炎龍ヴァルノーヴァ。
神龍としてこの国の全ての人間に崇められている存在が、今ここにいる。
「おぉ……なんと、なんという神々しさ!」
ホフマンがその場に跪いた。
祭壇にいるソラは顔を真っ青にしている。この場にいる全員が、目の前の存在にひれ伏していた。
「さぁ、神龍様! こちらをお召し上がりください! そして私を──」
ホフマンの願いが最後まで炎龍に伝えられることはなかった。
次の瞬間には、炎龍に頭から一口で食われていたからだ。
ノマには一瞬何が起こったのか、状況が理解出来なかった。
「ヒッ」
小さな悲鳴を上げたのはノマたちを魔法で拘束していた魔法使いたちだ。
彼らはノマたちに構うことなく出口に向かって走り出した。
走る三人の方へ顔面を向けた炎龍は、大口を開く。
炎龍の口から吐き出された真っ赤な炎は、一瞬で魔法使いたちを消し炭にしてしまった。
あっという間の出来事だった。
これは、駄目だ。早く、逃げないと。
魔法が解け、体が自由になったノマはソラの元へ急いで駆け寄った。
「ソラ、大丈夫か!」
「お兄ちゃん、早く縄を」
ソラに言われるまでもなく、ノマは小刀で彼女を縛っていた縄を切った。
「ノマッ! ソラッ! 早くそこから降りてください!」
リリアが声を上げる。ノマはソラを先に祭壇から降ろし、炎龍から離れようと走り出した。
「そっちはダメだッ! こっちへこい! クソ農民!」
声のした方を見れば、ライアンが体を抑えながら叫んでいる。
「ソラ! 右に曲がって!」
ノマが指示した通り、前を走るソラは右へ曲がった。ノマも彼女に続く。
すると、さっきまでノマたちが走っていた方向に炎が吐き出された。
熱波の後には、真っ赤に染まった地面があった。ノマはゾッと身震いした。
あのまま走っていたら魔法使いたちと同じ運命を辿っていただろう。
ライアン、リリアと合流したノマは早口で尋ねた。
「他に出口は」
リリアは錫杖を握り締めながら、悲痛の表情で呟く。
「……ありません」
「よく見ろよ、ちゃんとあるだろうが」
ライアンは言いながら微かに笑っている。こんな状況でも笑えるなんて、一体どんな神経をしているのか。
そして彼は炎龍の方を指さした。
「どういうこと? 炎龍を倒せってこと?」
「アホかクソ農民。上だ、上」
言われた通り上へ視線を移す。炎龍の頭上には空が広がっている。
「火口湖の岩壁を登って外に出るってこと?」
「どこまでもクソだなお前は」
ライアンは舌打ちした。
「オレらには、こいつがいるだろうが」
彼はリリアを指さした。
「……え。わ、わたし……ですか」
リリアは動揺した様子を見せる。
「お前だったら上まで飛べるだろ」
「む、無理ですっ! わたしは空を飛べないんです! ライアンも知っているでしょう!?」
いくらなんでも無謀すぎる。
リリアは空を飛べない。たとえ飛べたとしても、彼女が三人を連れて逃げるなんて無理だ。ノマはライアンに詰め寄った。
「クソはお前だろ! こんな時に何を言って──」
「こんな時だからだろうがッ!」
ライアンはノマではなく、リリアの胸倉を掴んだ。
「いいか、オレとクソ農民で炎龍の気を引く。その間にクソ農民の妹を連れて上へ逃げろ。出来る出来ないじゃねぇ。やるんだ」
「で、ですがわたし」
「魔法で人を救うのがお前の夢なんだろ、リリアッ!」
ライアンの喝に、リリアが目を見開いた。
リリアの襟元を放したライアンは、ノマの方を一瞥した。
「逃げた後のことは気にするな。オレにはとっておきの秘策があるからな」
ライアンは口角を上げ、ニヤリと自信ありげに笑ってみせた。
これはある意味賭けだ。でも、賭けてみる価値はある。
「リリア、ソラを頼むよ。火山の麓で待ってて」
「お兄ちゃん……」
ソラは眉を下げた。ライアンのようにはいかないが、ノマは少しだけ微笑んで見せた。ソラの頭を撫でる。
「……わかりました」
リリアは強く頷くと、ソラを連れて炎龍から離れた場所へ走って行った。
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