第30話 拳に注意
「なぁ? 毎日こんなことばっかしてて本当に強くなんのか?」
モルドゥに武器を預けて五日が経った頃、宿屋ロージニアの食堂でライアンが骨付き肉に齧りながらぼやいた。
「けど、前よりよくなった気はしてるよ」
「そりゃお前は今まで畑しか耕してなかったんだからそうだろうよ! もう五日も同じことしかしてないんだぜ? 毎日毎日木の印を斬るだけ。モル爺は一週間もあれば十分、とかほざいてやがったけどよぉ。必殺技とかそういうのを教えてくれるんじゃねぇのかよ」
「それ、モルドゥさんにそのまま言ってみれば?」
「……怖ぇから嫌だ」
先日、こっそり鍛錬をサボっていたライアンがモルドゥに金槌で追いかけ回されていた。そのことが尾を引いているのかもしれない。いい気味だと内心思ったが口には出さなかった。
「ですが、二人ともなんとなく逞しくなったような気がします」
リリアは朗らかに笑った。
「落ちこぼれチャンは相変わらずだけどな!」
「わ、わたしも、何もしていないわけじゃありません」
「新しい魔法でも使えるようになったのか?」
「それは……まだです。ですが、前よりも水を操るスピードが速くなりました!」
「サラマンダー相手にはそれでいいけどよ、もっと火力がねぇとこの先不安だろ」
「……そ、それはそうですが」
リリアは目に見えて落ち込んでしまった。どうしてライアンはこうも口が悪いんだろう。
「リリアはリリアのペースでやったらいいよ。焦らなくてもいい」
「クソ農民はなまっちょろいからなぁ。田舎でぬくぬく暮らしてたから仕方ねぇか」
頭に血が上りそうになったがなんとか耐えた。大丈夫、いつものことだ。ライアンの暴言を上手く受け流し始めていることに、ノマは精神的な成長を感じていた。
ライアンが騒いでいたから目についたのか、ノマたちの座る長机に男性が近付いてきた。
「もしかして、リリア?」
彼は錫杖を持ち、リリアと似た服装をしている。どうやら魔法使いらしい。
「こんなところで何してるの? どっかの村で修行してるんじゃなかったっけ?」
リリアは明らかな愛想笑いをした。知り合いではあるが、苦手な人なのかもしれない。
「お久しぶりです、ディラン。急ぎの用事が出来たので、修行は一時中断しているんです。お城へは後で報告する予定です」
ディランという名の魔法使いはニヤッと笑った。
「俺はフローガで修行中なんだけどさ、もうすぐ
「いえ、まだ……」
「あはは! じゃあ試験は絶対無理だ! 昇級試験には飛行が必須だからねぇ」
ディランは笑い終えた後、ノマとライアンを一瞥した。
「修行そっちのけで男はべらせて、魔法の才能はないけどソッチの才能はあるみたいだね。下品な女だ」
「おいお前」
ライアンは腰を浮かせたが、ノマが腕を掴んで制した。
「──え、っていうか、よく見たらライアン王子じゃないですか!? これは失礼致しました」
ディランは深々とお辞儀をしたが、反省した様子は見せず話し続ける。
「そうかなるほど! 王子を手中に入れたら、才能がなくたって昇級は夢じゃないもんな。なるほど考えたなぁ」
リリアは顔を真っ赤にして俯いている。反論してやればいいのにと思ったが、リリアの性格では難しいのかもしれない。
「おいクソ魔法使い、今すぐそのうるせぇ口を閉じろ」
ライアンは完全に切れている。ノマも今すぐディランを殴りたかったが、それでは相手の思惑通りだ。もしライアンが手を上げれば、きっとディランは城に報告するだろう。どんな罰則があるかわからない。
ライアンのことなど知ったことではないが、目の前のディランの思い通りには事を進めたくない。不愉快だ。となると、彼を止めなければ。
「問題児が今更問題を起こしたところで大した大事にはならないでしょうけど。よく考えて動いた方がいいですよ王子」
ディランはライアンに向かって余裕の笑みを零した。
「──この」
拳を握ったライアンが勢いよく立ち上がり、ディランの顔面に向かって殴りかかろうとした。
ノマはライアンの拳に向かって咄嗟に手を出した。彼の拳はなかなかの速さだったにも関わらず、パン、とノマの手の平に収まった。
衝撃に手が微かに痺れる。正直、自分自身の反射にノマは驚いていた。これはもしかしたら、モルドゥの鍛錬のお陰なのかもしれない。
「クソ農民、邪魔するな」
ライアンはノマを睨みつける。
「一旦冷静になれよ。こんなヤツ、殴る価値もないだろ」
「へッ、結局クズはクズ同士で集まるんだなぁ」
ディランがその一言を放った後、今度はリリアがその場から立ち上がった。
「リリ──」
ノマは名前を呼ぼうとしたが、椅子の転がる音でかき消された。
次の瞬間、リリアは無言でディランの頬に向かって拳をお見舞いしていた。
ノマは目の前の光景に目を疑った。あのリリアが、人を、殴った? しかもグーで。なかなかの腰の捻りだった。
ディランもまさかリリアから一撃が来るとは夢にも思わなかっただろう。まともに食らったディランは地面に倒れた。
「わたしのことはどう言っても構いません。ですが、仲間のことをクズ呼ばわりしないでくださいっ!」
リリアはディランを睨みつけている。
ノマとライアンは互いに目を合わせて唖然としていた。
ハッと我に返ったリリアは、ディランを殴った右手を左手で覆った。
「あっ、わ、わたし、なんてことを! み、右手が痛いです。いえ、それよりも、ディランが」
当たり所が悪かったのか、ディランはすっかり伸びてしまっている。
他の客も騒然とする中、何事かと看板娘のロゼリアが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか! お怪我は」
ロゼリアはリリアに駆け寄るが、伸びたディランを見た彼女は首を傾げた。
「あら? これは一体……?」
「いやぁ、なんていうか」
ノマが頬を掻いていると、リリアが地面につきそうな勢いで頭を下げた。
「すすす、すみません!」
一部始終を話しているリリアに隠れて、ライアンがこそっとノマに耳打ちした。
「あいつ、怒らせねぇ方がいいな……」
「うん……だね」
ライアンと意見が合うのは少々癪だったが、こればかりは同意せざるを得なかった。リリアの意外な一面を見てしまったノマは小さく苦笑した。一番気を付けるべきはライアンだろうが、ノマも変なことを言わないようにしようと心に誓った。
ノマたち以外の客もディランの態度を見てくれていたので、今回は大事にならずに済んだ。
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