第2章 堅物ドワーフと宿娘

第17話 前途多難

「お前がとろとろ歩いてるからこうなったんだろ!」

「ですが、休憩しようと言ったのはライアンです!」

「うるせぇ落ちこぼれチャンめ! オレになすりつけんなっ!」

「つけてませんっ!」

「二人とも喋る暇があったら、早く走って!」


 ノマは言い争うリリアとライアンの前方を走っていた。二人の後ろには、牙を剥いた生き物が迫っている。

 四足歩行のその生き物は、さっきからグルルだのグァオだの恐ろしい声で咆哮しながらノマたちを追いかけている。


 リリアの話だと、あれはリャヌサーベルという魔物らしく、夜になると草原に現れるそうだ。ノマはこれまで夜間に村の外へ出たことがなかったので、魔物と出くわすのは初めてのことだった。


 走りながら腹立たしい気持ちが沸々と湧いてくる。リリアの言う通り、ライアンが駄々をこねて途中で休憩しなければ、とっくの昔にフローガには着いていたはずだ。フローガの街の入口にある門は、月が浮かぶ時間帯になると閉まってしまう。

 遠くの空を見れば、薄っすらと月が見えていた。


「ああクソ! なんでこんな目に合わなきゃならねぇんだ!」


 それはこっちのセリフだ。ノマは苛立ちが真骨頂に達し、言い返す。


「そもそも、門が閉まる前に街へ入りたがったのはライアンだろ!? 安全を取るなら今日はどこかで休めばよかったんだ! お前のせいでこんなことになったんだろ!」

「クソ農民の分際で黙れっ! 野営なんて御免だ! オレは宿屋のベッドで寝たかったんだっ!」

「はぁっ、あなたはどこまで、我儘なんです、か……!」


 ノマが後ろを振り向くと、息を切らしたリリアが走るペースを落としていた。

 このままではまずい。


「やっと見えやがった! 門だ!」


 ライアンは歓喜の声を上げると、さっさとノマを追い越してゆく。


「リリア、もう少し頑張れる!?」

「はい……!」


 リャヌサーベルはそこまで足が速くないようだ。このまま走り続ければ逃げ切ることが出来るかもしれない。

 ノマはライアンの背中を追いかけた。


「ちょ、ちょっと待てよ……!?」


 ライアンが焦ったように叫ぶ。

 見れば、ライアンの前方に見えていた門がゆっくりと閉まりかけている。もう少しなのに。


「おーいッ! まだ! まだ、オレが! ここにいるっつーの! 待ってくれッ!」


 しかしライアンの懇願は届く気配がなく、門は非情にも閉じてゆく。

 あと数メートルというところで、街の門は完全に閉ざされてしまった。次に開くのは明け方だ。


 最悪だ。この状態で街に入れないとなると、絶望しかない。

 目の前の現実を認めたくない様子のライアンは、門を拳で乱暴に叩いている。挙句の果てに脚蹴りまでする始末だ。


「クッソが! なんでだよ! 人がいることくらい、見りゃわかるだろッ!?」

「……確か、この国にある各所の街の門は、魔法で制御されていた、はず、です。敵が侵入してこないように……」


 追い付いたリリアが、汗だくで息も絶え絶えに呟いた。かなりしんどそうだ。


「そんなモン知ったこっちゃねぇ! オレらは今──」


「グオアァ!」


 三人同時に振り返る。ノマたちの真後ろにはリャヌサーベルが迫っていた。

 ノマにはヤツを振り切って走る体力はもう残っていない。ライアンのことは知らないが、リリアも限界だろう。


「魔物って、人間を食べたりするんだよね?」


 苦笑しながらノマが後ずさりすると、ライアンが鼻先で笑った。


「これだから農民は。そんなことも知らねぇのか。魔物は他の生き物の生態エネルギーを食いながら生きてんだぜ。むしろ食われて当然だ」


 ならば、この手しか残っていないわけか。

 ノマはクワを構えた。両手が震えてしまう。ノマの行動を見たライアンは、腰に付けている鞘から静かに剣を抜いた。


「三対一。数は僕たちが上だけど」

「落ちこぼれチャンは戦力になんねぇだろ。それに、お前もそんなクワなんかで戦えるのかよ」

「やってみるしかないだろ」


 すると、リャヌサーベルはノマに向かって駆け出した。ノマはクワの柄を両手で握り締める。リャヌサーベルの顔面目掛けてクワを振りかぶったところで、ヤツはノマの体に突進してきた。

 ノマは何も出来ないまま体勢を崩し、その場に尻餅をつく。


「っ、ぐ」

「アホがッ! そんな隙だらけの攻撃当たるわけねぇだろうが!」


 ライアンは、ノマの腹部に噛み付こうとしていたリャヌサーベルを剣で斬りつけた。ギャォ、と鳴き声を上げたリャヌサーベルから血が飛び散る。這いつくばって逃げ出したノマは、落としたクワをなんとか握り締めた。


 怖い。これまでイワギツネのような動物しか見てこなかったノマにとって、目の前のリャヌサーベルはまるで悪魔だ。

 挑む気持ちはあるのに、どうしてか足が竦んでしまう。


 ちらとリリアを見れば、彼女は錫杖を抱き締めて敵を見つめている。その体は僅かに震えていた。

 ライアンだけは、ノマたちと違ってリャヌサーベルと立ち向かっていた。

 しかし、優勢とは言えない。ノマと比べればライアンは武器を上手く使えている。が、動きがぎこちなかった。彼も魔物と対峙するのは慣れていないのかもしれない。

 ライアンは剣を何度も振り下ろす。たまに空振りもしたが、着実にダメージを与えているように見えた。


「ッ、クソ、全然倒れねぇなコイツ!」


 やけくそのようにライアンは剣を大振りした。その動きを待っていたと言わんばかりに、リャヌサーベルはライアンの腕に噛み付いた。

 鋭い牙がライアンの腕に食い込む。彼は痛みに耐え兼ねたのか剣を落とした。


「ライアン!」


 ノマは咄嗟に叫ぶ。リャヌサーベルはライアンを押し倒してしまった。


「っ、う、うあぁ!」


 駄目だ、食われる。訪れる惨劇を目の当たりにしたくなくて、ノマは咄嗟に顔を背けた。


「──トォ!」


 その声はライアンでも、リリアのものでもない。もちろんノマでもなかった。

 おそるおそる見てみると、リャヌサーベルが地面に倒れていた。

 何が起きたのか。

 リャヌサーベルは震えながらも起き上がろうとしているので、まだ死んでいるわけではないようだ。


 ライアンの目の前には大柄な男が立っていた。ライアンは目を丸くしている。


「駄目だねぇ。若いヒトがこんなトコで命を粗末にしちゃ」


 突然現れた男は、ノマよりも一回りも二回りも大きい。

 はっきり言って、太っている。とても恰幅の良い男だった。彼は大きな背嚢を背負っており、そこから沢山の荷物がはみ出していた。

 男は起き上がったリャヌサーベルに向かって拳を構えた。両拳には鉄の棘のようなものが巻かれている。


「ヨッ、ホイ」


 見た目からは到底想像出来ないほど、男の身のこなしは軽かった。男の重そうな拳が、リャヌサーベルに叩きこまれる。


 続けて一撃。更に一撃。

 隙を見せない男の連撃に、リャヌサーベルは反撃出来ない。

 ギャン、グァ、という鳴き声の後、男が右拳を振り下ろすと、とうとうリャヌサーベルは動かなくなった。

 リャヌサーベルの亡骸は紫色の煙となって消えていった。

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