第13話 喜べ、オレがついていく

 壁にもたれたライアンは、そっぽを向いていた。彼は腕を組んで見るからに苛立っている。とにかくふてぶてしい。


「林檎は返したのか」

「返すも何も、オレはなにもしてねぇ」

「わたしが落とした林檎を棚に直している隙に、そっと戻していましたよ」

「──ッ、落ちこぼれチャンは黙ってろ」


 どうやらリリアとライアンは知り合いのようだ。そう言えばライアンは、ノマのことを初対面で「農民」と呼んでいた。リリアの修行報告を聞いたのだろうか。

 ということはもしかして、リリアをからかっている城の人間というのは、ライアンなのでは──。

 リリアはノマと出会ってから、人へ対する嫌悪というものを一度も見せなかったが、ライアンに対してはどうも違うらしい。


「どうして王子がこんなところにいるんですか。付き人のホフマンさんは」

「あいつを巻くくらい簡単なことだっつーの。それに、オレが街で買い物してたら悪いのかよ」

「買い物というか、盗みだったけど」


 ノマが言うと、ライアンは舌打ちをした。


「証拠はあんのか」

「ないけど」

「じゃあクソ農民は黙ってろ」

「クソ農民じゃありません、ノマです。訂正してくださいっ!」


 ライアンは憤怒したリリアを見て眉を動かした。そしてなるほどなぁ、と呟くと口の端を上げた。


「落ちこぼれチャンはこのクソ農民にうつつを抜かしてるってわけか。修行をほっぽり出して仲良くデートってことかよ」

「ち、違います! ノマはシシカ村でとてもお世話になっている方で、そういうのでは……!」


 リリアは顔を真っ赤にして怒っている。ライアンは苛立った様子だったが、軽く笑った。


「お似合いなんじゃねーの? 二人で地べた這いつくばって生きてりゃいいんだ」


 なんだこいつは。

 腹立たしいにもほどがある。ノマはこれまで喧嘩をしたことはないが、目の前のライアンを今すぐ殴ってやりたい衝動に駆られた。ノマが静かに拳を握っていると、ライアンは嘲笑と共にその場から立ち去ろうとした。


 このままここからいなくなってくれた方がいい。出来れば二度と関わりたくはないので、ノマも無言で彼を見送るつもりだった。この先そう会うこともない相手だろう。ノマは拳を緩める。


 ところが、リリアはライアンを引き留めた。


「王子は、なぜ泥棒をしようとしたんですか」


 ライアンの足がぴたりと止まった。


「だから、オレは何も」

「林檎が食べたかったのですか。……ですが、わたしにはあれが特別な林檎には見えませんでした。お城にはもっといい林檎がありますよね」


 リリアは真面目な性格をしている。真面目すぎるほどだ。きっとライアンが犯罪を犯そうとした理由が知りたいのだろう。彼女は、誰であっても悪いことをするのは見過ごせないのだ。


 ライアンはリリアを振り返った。冷ややかな視線を彼女に送っている。それでもリリアは怯まなかった。真剣な瞳をライアンに向けていた。


「……林檎なんかに興味はねぇ」


 ライアンが口を開いたのは意外だった。


「ではなぜ」

「なんつーの? 憂さ晴らし? 城の中は退屈で死にそうだからな。たまにこうして街に出て、スリリングなお遊びをしてるってところだ」

「城で問題にはならないのか。王子が盗みだなんて」

「さぁな? オレがした後のことは下僕どもがなんとかしてくれる。クソ農民のお前は知らねぇだろうがな、王族ってのはそういうもんだ」


 そう言うライアンの口調は冷酷だった。ノマは王族と話すのは初めてだったが、みんなこんな風に周囲に冷徹なのだろうか。


「だいたい、あの店主もオレの顔見て言ってただろ。店に悪さをしに来たのかってな。……そういうことだから、別に今更だっつーの」


 店主の口調からして、ライアンはこの街で問題児として有名なのだろう。

 ライアンの話を静かに聞いていたリリアは、口を開いた。


「駄目です」

「あぁ?」


 リリアはライアンに駆け寄り、彼の腕を掴んだ。リリアの突然の行動にライアンは目を丸くしている。ノマもリリアが何をしたいのかわからない。


「お店の人に、謝りましょう」

「は、はぁ!? お前、何言ってんだ」


 ライアンは信じられない、とばかりにリリアの腕を振りほどいた。しかしリリアは再びライアンの腕を掴む。


「ノマ」

「う、うん?」

「わたしは、魔法使いとして落ちこぼれです。ですが、悪いことをした人は見過ごせません」


 それに、とリリアは付け足した。


「悪い噂が今以上に立ちそうな人を、放っておくことは出来ません。きちんと謝れば、相手も許してくれるはずです」


 リリアはどこまでもお人好しだ。ノマなら絶対にこんなことはしない。

 そう思うと同時に、これが彼女の強さなのだろう、と感じていた。


「そうだね」

「そうだね、じゃねぇよクソ農民! あと、放しやがれ落ちこぼれッ!」

「彼はノマです。そして、わたしはリリアです。相手のことは名前で呼びましょう、王子」

「クソ、ホッフみてぇなこと言いやがって! だいたい、謝るっつっても、オレはもう林檎を返してんじゃねぇか! 未遂だろ!?」

「わたしも一緒に謝ります」

「意味わかんねぇし!」


 リリアは、彼女にしては怖い表情でライアンを睨んだ。


「では、今後泥棒はしないと約束してくれますか王子」

「チッ……わかったよ」


 リリアおそるべし。

 ノマはライアンのことは全く知らないが、こんな暴れ馬を手懐けるなど容易ではないはずだ。

 ライアンの腕を離したリリアは、いつもの笑顔に戻った。


「では行きましょう、ノマ。すみませんお時間を取ってしまって」

「ううん。まだ余裕があるし、今から村に帰っても間に合うよ」


 ノマとリリアは、ライアンに軽い挨拶をして歩き出した。

 小路を出ようとしたところでノマは気付いた。後ろに人の気配がする。

 振り向けば、ライアンが二人の後をついてきていた。


「まだ何か用が?」


 ノマの問いに、ライアンは自信たっぷりに答えた。


「喜べ。クソ農民の村を視察してやることにしたぜ」

「え」「えっ!?」


 ノマとリリアは同時に驚きの声を上げた。


「盗みをやらねぇとなると、その代わりになる憂さ晴らしが必要だからな。せっかくだし、どんな底辺の生活をしてるのかオレが直々に見に行ってやる」


 ニヤリと笑ったライアンの顔の、なんと憎たらしいことか。


「ですが王子、お城に戻らないといけないのでは」

「落ちこぼれチャンよぉ? 相手に名前で呼べって言っときながら自分はいいのかよ」

「う……ラ、ライアン」


 渋々と言った風にリリアは彼の名を口にした。


「ったくよぉ。相手に偉そうに言う前に、まずは自分を変えやがれ」


 リリアは気付いているかどうかわからないが、この時微かに緩んだライアンの表情をノマは見逃さなかった。僅かながら頬も染まっているように見える。


 なるほど。

 リリアがライアンを手懐けられたのは、そういうことか。


「わかりやす……」


 ノマが苦笑しながら呟いた一言は、隣で言い合いを始めた二人には聞こえなかったようだ。

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