冷水入り水筒

 広く豊かな、東マリンゴートの農地。

 そこに植わっているこの地方の特産品は、淡いピンク色をした大きなカブのようなものだった。葉は紫で、茹でて食べる。カブのような根菜の部分はシチューに入れたり、ポタージュスープにしたりして食べる。

 その野菜の名は、レッタ。

 豊かな東マリンゴートの土地を象徴するような野菜だった。

 そのレッタの畑を耕している一人の女性のところに、神父メティスの姿があった。遠くに東マリンゴートの病院が見える。

「アダーラ」

 女性の名を呼ぶが、彼女は彼を無視して農作業を続けていた。

「アダーラ」

 二度、呼ばれて、彼女はようやく手を止めた。メティスの方に振り向き、手に持った鍬を地面に突き刺す。

「何の用?」

 そう聞いてくるので、メティスは少し怯んで、こう返した。

「教えてほしい。私がやることは全て馴れ合いで決められている。どうすればこのようなことを防げるのか。どうすれば私は」

 そう言いかけると、アダーラは突然、自分の腰に下がっていた水筒をメティスの方へ投げた。びっくりして、なんとかそれを受け止めると、彼女は口元で笑った。

「それ、口つけてないから。私のは別にあるし、飲みなよ。すごく暑いから、熱中症で倒れられても困るし」

 彼女は、そう言って、遠くに聳える病院を見た。

「こうやってさ」

 彼女は、少し寂しそうにしていた。メティスの方は見ていない。

「あんた、こうやって外に出て、お仲間以外の人と話をして、病院と教会以外の場所で水飲んだことって、ある?」

 メティスは、そう言われて、ハッとした。

 そういえば、ない。カロンに連れて行ってもらわなければ、このマリンゴートを出ることすらなかっただろう。執務に追われていたと言うのはただの言い訳だ。現にここにきて、アダーラの話を聞く時間がある。

「まあ、そんなことだろうと思ったよ」

 アダーラは、そう言ってメティスの隣に来て、畑の畔に座った。

「飲みなよ。こんなところで倒れられたら私が困る」

 メティスは、言葉を失ったまま、水筒の口を開けて、冷たい水を飲んだ。そのためか、体に染み渡る冷水はヒートアップしていた脳さえも冷やしてくれた。

「美味しいでしょ、水」

 アダーラは、メティスを見上げた。

 彼女を見下げていてはいけない。メティスはそう考えて、彼女の隣にしゃがんだ。彼女は納得のいかない顔をして、座るように促した。

「私、ワープする力があるから、ハノイにあるいい水場に行くのもすぐでさ」

 メティスはアダーラの話を聞いていた。彼女の話は楽しい。聞いていて、何もかもが新鮮だった。

「あんたも、人生楽しんだほうがいい。あんたが楽しいと、みんなも楽しいからさ」

 アダーラは、そう言って、初めてメティスに笑顔を見せた。

 その後メティスは、アダーラといろいろな話をした。彼女の話はどれも新鮮で、飽きなかった。そして、彼女が自分の家に帰ると、メティスもゆっくりと、歩いて教会に帰ることにした。行きで使ったタクシーは使わなかった。

 教会に着き、すっかり夕方になってしまうと、ようやく彼は自分の手に、アダーラの水筒が握られていることに気がついた。

 今度また、返しに行こう。時間はたっぷりとあるのだから。

 そう考えて、神父はゆっくりと夜を迎え、床についた。

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