森の公園

東マリンゴート中央病院を取り巻く公園は、半分以上が森だ。

 その森に、いくつか大きな噴水があった。森の中の噴水とは神秘的なものだ。空を覆う木の枝から漏れる木漏れ日に、きらきらと水滴が輝く。真昼の開けた公園よりも美しい光景だった。

 噴水の周りには柔らかな草が生えていて、森の中に敷かれた芝生や背丈の低い下草とうまくなじんでいた。

 公園のあちらこちらに咲いている花も、きれいなものだった。地球のものではない、暁の星に原始から咲いている花を植えたものだ。桃色に輝く麦穂のようなものもあったし、太陽の光に白い色を反射している大輪の花もあった。種類は多く、見ていて飽きることはない。

 カロンは、その森に用があった。メティスと待ち合わせをしていた。その時間より早く来たのは、めったに来ることのない、この病院周りの公園を楽しみたかったからだ。

 しかしそこでふと、立ち止まる。

 メティスは、来るだろうか。

 アダーラと言う女性にあんなふうに言われ、指導者としてのテストをさせられたことで、まだ悩んでいるのではないだろうか。

 メティスは悩み出すと止まらない。どこまでも自問自答を繰り返し、果てには解決の糸口を封じ込めてしまうくらいにまで、自分を追いつめてしまう部分がある。

 彼がまだ悩んでいるとは考えたくなかった。彼にも仕事がある。神父としての、教会の仕事だ。それを放ってまで悩んでいるとは思いたくなかった。

 約束の時間になった。

 待ち合わせ場所に向かう。着いても、メティスらしい人影は見ない。

 カロンは、少しガッカリして、そっと、待ち合わせ場所の噴水の水をすくった。冷たくて気持ちがいい。

 この夏は厳しかった。あまりの暑さに熱中症で倒れる人間が後を絶たない。病院もこの夏は忙しいだろう。

 この噴水を待ち合わせ場所にしたのは、正解だった。人があまりいない。重要な話をするにはちょうど良かった。

 しばらく待っていると、メティスが来た。遅れて来たのに、急いだ様子がない。

 彼はゆっくりと、公園の様子を見ながら歩いてきた。意外と時間に関してはルーズなのだろうか。

 いや、違う。心に余裕を持たせるための行動だろう。そういえば、このような場所でメティスと待ち合わせること自体、初めてだった。

 簡単なあいさつを交わし、カロンはメティスとともに、公園を散策し始めた。なるべく人通りの少ない場所を選んで歩く。

「指導者のことなんだが」

 メティスは、おもむろにその話題を出した。彼の表情は曇っていた。良い話題ではない。そんな雰囲気だ。

 おそらく、メティス自身証を示すためのテストをする気はないのだろう。散々悩んで、おそらくは自分には、彼女の言う通り、指導者にふさわしくないと答えるだろう。

「自分にはふさわしくない、か」

 カロンは、考えていたことを口に出してみた。その答えを想定していたのか、メティスは表情を崩さなかった。

「私には、無理だよ」

 カロンはその答えに軽く苛立ちを覚えた。

「どうして、そう思う?」

 聞くと、メティスは大きくため息をついた。彼自身、少し苛立っていた。

「資質がない」

「資質が?」

 メティスのその答えに、カロンは苛立っていたことを忘れ、思わず吹き出してしまった。なにか、どこかがおかしかった。資質がないと言ったメティスがおかしかったのだ。その姿を見て、本人はバツの悪そうな顔をした。なぜ笑われたのか、分からなかった。

「ならば聞くが、誰になら資質があるんだ?」

 笑いが収まったところで、カロンがそう問いかけてきたので、メティスは顔を赤らめた。ずっと、悩んでいたところはそこだ。

 ひとつ、咳払いをして、カロンをちらりと見る。

「誰って、そんなことは」

「ブラウン神父さんか、それともアースか」

 困ったような顔をしているメティスに、カロンは笑いかけた。

「アースは、あいつは、確かに知識も経験もずば抜けている。指導力があるのも、今のクリーンスケアのアルバート首長を見れば分かる。あいつが教育したようなものだから。だけど、本当にそれでいいのか? 頼めば、あいつは来てくれるだろう。短期間でも、中央がどうにかなるまではテルストラの王子に戻ってくれるだろうな。でも、それでいいのか? この東マリンゴートはどうなる? アースが戻ってきても、たとえあいつがテルストラを復権させてこの都市国家群をまとめ上げてくれても、お前はなにもしないでいて、それでいいのか?」

「何も、しない?」

 メティスの問いに、カロンは頷いた。

「アースは、いずれ地球に帰る。今もそうだろう。地球のシリンなんだ。ここにいない人間を当てにしていて、お前はそれでいいのか? お前が当てにしているもう一人の人間、ブラウン元神父さんも、もうこの教会には来ない。神父としてはね。彼にはもう、彼の家庭があるし、生活もある。君が神父としてこのマリンゴートにいる限りは、ブラウンさんはもう教会には来ないと思う。アースも神父さんも、あてにはならないんだ。それに、例えこの二人が戻ってきてくれても、いずれは去るんだ。そのあと東マリンゴートを支えて行けるのは、お前だけだ、メティス。だったら、最初からお前が引っ張って行かなきゃならない。僕は、そう思うがね」

「カロン、しかし私は」

「自信がないのなら、なぜ、ブラウン神父さんからこの国を受け継いだんだ? 覚悟はあったんだろう」

「覚悟があったとは言えないんだ。ただ彼女が」

 ああ、ここでようやくそれが出たか。

 カロンは、大きく息を吐いた。

「彼女が何をお前に期待しているのかはわからないが、あれは、お前に期待していてもなかなか結果を得られない全ての人間の総意だ。だからと言ってお前自身がお前のやり方を曲げていいわけじゃない。彼女の言い方は棘だらけで嫌味ばかりだが、あれはお前が大好きなんだと思うよ」

「私のことが?」

 メティスが、嫌そうな顔をして聞いてきたので、カロンは笑った。

「意外と子供なんだな、お前は。それはそうと、お前がさ」

 カロンは顔を真剣な色に戻した。メティスがこちらを見る。

「お前がこの東マリンゴートの神父になったは、どうしてなんだ?」

 すると、メティスはこう答えた。少し、自信を失っているだろうか。

「神父さんの意思を受け継ぎたかった。それがこの東マリンゴートという土地だった。それだけなんだよ、カロン」

「なら、それで資質は十分にあるじゃないか」

 カロンは、そう言ってメティスに笑いかけた。

 それで十分だ。メティスの口からその言葉が聞けて良かった。

 この東マリンゴートは、ブラウン神父たち創設者三人の意思をしっかり形にした国だ。だからこそ、その理想を受け継いだ後継者が、この東マリンゴートを動かすべきだと思った。

「メティス、救護隊を動かそう。軍隊ではなく、救護隊を」

 改めて、その話題を振る。

 メティスの表情は晴れやかだった。何かが吹っ切れたのだろう。

 カロンが、迷いに対する答えをそのまま言ってくれたからだろうか。その答えが、メティスの中にある理屈にかなうものだったからだろうか。

 再軍備に関しても、悩みに悩んでいた。

「救護隊長のモリモトさんに相談してみるか」

 メティスがそう答えると、カロンは、嬉しくて、笑った。

 救護隊の編成は、戦争のためではない。自衛のためだ。実際にどうなのかはわからない。周辺各国は東マリンゴートの救護隊について、何かしら反応を示すだろう。中央を刺激することにもなる。東への侵攻の理由にしてくるかもしれない。それだけの危険は孕んでいたが、強化するのはあくまで救護隊からだ。

 そう、強化する部隊が、軍隊でなく救護隊ならば、様々な逃げ道がある。

 東だけではない、連合各国への救援ができるという名目が立つのだ。もちろん、その中には中央も含まれている。

 救護隊は、融通のきく部隊なのだ。

「ありがとう、メティス。これで僕も警察府に帰れるよ」

 カロンは、笑って返した。

 メティスが決断しなければ、仕事に戻れなかった。そんなカロンの立場を、メティスはつい忘れていた。カロンは笑ったが、メティスは恥ずかしさに顔を赤らめることになった。

「すまない」

 素直に謝ると、カロンが肩を叩いてきた。

 カロンが気にするな、と、言って笑いかけてくる。そして、急に真剣なまなざしで、目の前に現れた病院を見る。

 いつのまにか、公園から病院にまで足を進めていた。引き返そうか、それとも、中に入ろうか、迷っていたら、メティスが、森に引き返そうと提案した。

 病院に行っても、ナギやケンはまだ忙しい。用がないのなら行く必要もない。

 森の中に引き返し、柔らかな下草の生える地面を踏みしめる。芝生の中に入ってもよかったが、歩きにくい。何かを話しながら歩くことには向いていない。柔らかな草の上を歩き、道へ出る。きれいに舗装されている。

 そこで、今度はメティスがカロンに質問する段になった。あのテロ事件のことだ。

 いったいどうして、メティスが中央に赴かなければならなかったのか。

 ニュースでは神父がコンビナートに爆薬を仕掛けたのだろうと言っていた。しかし、そんなことはやった覚えがない。どういうことになっているのか、警察はどこまで事実を掴んでいるのかが知りたかった。

 これは、東マリンゴートの指導者として初めての質問だった。

 カロンは答えた。

「警察はまだ、何もつかめてはいない。しかし、シリウスやナギ先生から聞いた情報に照らし合わせて考えると、一つの答えが出てくるんだ。メティス、たしかに、石油コンビナートを爆破したのは、君だ」

「なんだって?」

 メティスが、不審なものを見るような顔をした。自分は全く身に覚えがない。それどころか、そんな時間に列車に乗ること自体があり得なかった。アリバイはある、動機はない。

 困惑していると、カロンが苦笑した。

「すまない、正しくは、君にそっくりな、君と瓜二つの人物が、ということだ」

「私に、瓜二つだって?」

 カロンは、自信に満ちた表情で頷いた。

「目撃された君は、若かった。今の君より十歳は若いだろうね。それは、君に似た別人が存在することの裏付けにもなる。君は、もう一人いるんだよ。まあ、現実的に考えれば、君そっくりに整形された男性、ということになるが。参ったよ。君のその顔は、コピーできないと思っていたからね」

 カロンは、そう言ってため息をついた。

 惑星のシリンは、どんな人間が、どんなふうに見ても美形に映る。そんな顔をコピーできるはずはないのだが。

 しかし、今、この時点でその要素は関係がない。話をそらしてはならないから、いったん無視することにして、話を続けた。

「まあ、それはいいとして、君そっくりに整形された人間が、あの爆弾テロを起こしたんだと、僕は推測する。誰が何の目的で、そんなことをしたのかは分からない。もしかしたら、君を消してしまいたい中央が何か画策したのではとも考えた。しかし、石油コンビナートは国家の重要な施設だ。それを簡単に犠牲にするとは考えられない」

「たしかに、そうだな」

 メティスは顎に手を当てて考え込んだ。カロンの推測は、正しいだろう。メティスも、同じようなことを考えていた。

 しかし、一体何のためにそのようなことをしたのだろう?

 そこが、分からない。

 疑問に曇った瞳を向けるメティスに、カロンは苦笑いをした。

「僕もそこがひっかかっているんだよ。中央は、戦争をしたいのだろうか」

「しかし、この国を攻撃するメリットはあるのかい」

 メティスが問うと、カロンは顎に手を当てて考え込んだ。そして、一言、こう言った。

「地球渡航者」

「地球渡航者?」

「ああ。十年前、あの戦いが終わる間際、僕がアース達と、クリーンスケアに行ったとき、そこで待ち構えていた地球渡航者は言っていた。中央は食糧問題に困り、東を侵略したのだと。この都市国家連合が滅びたのはそのせいなのだと。十年前に、十年後の未来に行っていた僕たちに、そう言った」

「では、中央は私の存在を利用して、正当な理由を作って侵略をしてくるのだと?」

 カロンは、頷いた。

「かもしれない。しかしまだ、理由が中途半端だ。この先中央がどう動いてくるのか、きちんと監視しなければならないな」

「ああ」

 話をしながら、二人は再び森を抜け、大きな病院の敷地に出た。今は独自の発展を遂げ、大病院となった東マリンゴートの病院には、多くの人間が通っている。

 医療設備も人員も充実してきたのは、三年前にここにやってきたナギ・フジという外科医の力が大きい。名医と称される彼女はまだ若い。彼女を慕ってやってくる医療関係者や若い看護師も多かった。

 開けた土地に出て、綺麗に整備された公園の中を歩く。

 二人はそのまま何も言わず、この先に待ち構えている何かに身構えるしかなかった。午後の日差しは暑い。背中に汗をかきながら、メティスとカロンは、公園を戻り、教会に向かい歩き始めた。

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