スナイパーの帰還

「確かに、それは不思議なことだが」

 東マリンゴートから中央に向かう車中、運転をしているカロンの横で、神父メティスは顎に手を当てた。

 その紅の瞳はずっと、外を流れる景色を見ている。シリンというものは不思議なものだ。

 誰がどう見ても、惑星のシリンは美形に映るものだと聞かされた。

 その通りだ。

 この暁の大地の因果律を支配する惑星のシリン、神父メティス・ランダーは例外なく色男だった。きれいに整った顔、すうっと伸びた鼻すじ、そして、バランスのいい顔立ちはおそらく誰が見ても見栄え良く映るだろう。

 カロンは、少し、それが羨ましかった。リーア以外にモテたことはなかったからだ。どこまでも平凡な見た目と性格がそれを物語っている。

 メティスがふと、カロンを見る。

 目の前の信号は赤で、カロンは、なんとなく隣にいる色男を見て考え事をしていた。

 齢三十のその男性は、カロンと同い年にもかかわらず、随分と若い。シリンが途中で成長を止めるというのは本当なのだろう。

 だとしたら、同じ惑星のシリン、母星・地球のシリンである幼馴染のアースもそうなのだろうか。まだ若いままなのだろうか。

 シリンとは、意思を持つのに言葉を持たない、植物などの生命体が、その意思を伝えるために人間に宿って生まれてくるものをいう。

 多くは植物や、神話や伝承に出てくる存在のものなのだが、それとは違うシリンもいる。

 それが、惑星のシリンだ。

 惑星のシリンは、知的生命体の総括であり、その星に存在するすべての物質や意思が結集して、人間の母胎に宿って生まれてくるものをいう。

 それゆえに絶大な力を持ち、その星の生命体で最強の力を持って生まれてくる。また、惑星を統括する因果律を支配し、監視する役割を持っている。

 だが、彼らはその能力を自ら封印していた。彼らもまた自然界の一員であり、宇宙をとりまく命の流れの一部であるからだ。

 因果律から外れた存在であるがゆえに不老だが、彼らの命もまた、自然界の淘汰には抗えない。

 超巨大隕石などが衝突して惑星が破壊されれば、惑星のシリンも死んでしまうからだ。彼らの命もまた、自然界とともにあった。

 色々考えているうちに、信号が青に変わった。

 車を発進させて、ふと思う。 

 地球は、いま、どうなっているだろうか。

 厳冬の惑星と言われたあの星は、本当に人が住むことができる星であるのだろうか。

 そうであってほしい。

 十年前、地球のシリンであるアース・フェマルコートは、故郷である地球に帰った。同じ地球に住む夜空のシリンであるシリウスもだ。

 二人は、三年前までこのマリンゴートにいたが、地球でやるべきことがあると言って帰っていってしまった。

 そして、二人とも、それ以来一度もマリンゴートに戻っていない。地球が住みやすい土地であるからなのか、そうでないのか。

 そういえば、メティスは三年前まで、地球に行っていた。その様子をまだ聞いていない。毎日の仕事に追われて、そんなことも忘れていた。

 カロンは、メティスとそんなに疎遠にはなっていない。

 もとは学校のクラスメイトで、十年前の戦争を共に生き抜いてきた存在であるメティス。彼だけが近しく、また、この東マリンゴートにおいては心の許せる相手だった。

「四日ぶりに会うのに、大した会話もできないな、これじゃ」

 カロンは、メティスにそう返して、苦笑した。

「そんなことはないよ、カロン。私たちにはまだ、たくさんの時間があるじゃないか。そう言えば、リーアはどうしている? 妊娠したと聞いたが」

「ああ、ナギ先生か」

 カロンは、妻の姿を思い出し、少し嬉しくなった。自慢してやろうか、そんな欲まで出てきた。

「七か月だよ。病院の検診にはしっかり行っている。産科医が足りなくて、ナギ先生に診てもらっているみたいでね。リーアもあの先生に惚れ込んでいるから、ぜひ子供を取り上げてほしいと願っているよ」

「そうか、すごいな、ナギ先生は」

「ああ」

 メティスの振った話題で、カロンは胸をなでおろした。そんなに身構えることはなかった。会話をしてみれば、なんとも自然な会話ができる。メティスとは、もともとそう言う関係であったのだから。

「カロンは、男の子と女の子、どちらがいいんだい?」

 メティスが、ふと、笑いかけた。

「無事に生まれてきてくれれば、どちらでもいいさ。戦争でも起こらなければ一番、な」

 答えると、メティスは、真剣なまなざしを窓の向こうに向けた。車窓からは、遠くに中央マリンゴートの中心街が見える。

「戦争にはならないよ。私が、防いでみせる」

 メティスは、そう呟いた。ずいぶん自信があるのは危機感がないからだろうか。それとも、何か策があるのだろうか。

 そんな話題をしていると、二人の会話は途絶えてしまった。

 これ以上何かを話せば、おそらくとんでもない話題になって行ってしまうから。

 これから向かう先は中央マリンゴート。東マリンゴートを敵視し、軍事化を進めている危険な国だ。

 そこに、事実上東の元首である神父メティスが向かう。何も起きないほうがおかしい。

 大都市テルストラ、草原の国マリンゴート、中間都市ハノイ、海のある都市クリーンスケア。

 この四つの国のうち、テルストラは大都市ゆえにもともと首都国だった。そのテルストラがすべての都市国家をまとめていた時代はよかった。しかし、十年前の戦争で、テルストラは核爆弾によって都市の一部が壊滅。今はクリーンスケアが都市の主導権を握っている。

 今、首都国を欠いた都市国家連合の、独立した四つの勢力はお互いを監視し、拮抗している状態だ。

 テルストラの国王であったガルセス・フェマルコートは地球へ帰還しており、首都国がその機能を果たしていない。各国の関係に何かがあれば、一触即発の危険性を秘めていた。

 だからこそ、テルストラに再び国家元首を、国王をと求める声も絶えない。

 ガルセスの息子であるアースがいてくれたら、とも考えた。しかし、彼は地球人だ。

 しかも、地球因果律を統制する重要な役割を持っている。この暁の大地の王になど、なってはくれないだろう。

 そう、何かが、起きない限りは。

 中央マリンゴートに入ってしばらくすると、カロンが車を止めた。

 信号に引っかかったわけではない。

 メティスが、カロンに目配せをする。

 車の外には警察が何人もいて、周りを取り囲んでいた。

 知られていたのだ。おそらく、東マリンゴート警察府の誰かが、中央に知らせたのだろう。車を降りると、手を上げるように言われた。おとなしく手を上げると、警察のうちの一人がメティスのほうに歩み寄り、車に体を押し付けさせて手錠をかけた。

 素早かった。

 中央の警察は、よく訓練されている。

 カロンはそのままメティスに付き添うように言われ、二人は警察車両に乗せられた。カロンは助手席に、メティスは二人の男に囲まれて後部座席に座った。

 中央に入った途端、これだ。

 ナギの言っていたことが本当になってしまった。いや、こうなることは分かっていた。しかし、それでもここに来なければ、疑われたまま、その疑いを引きずることになってしまう。

 メティスは疑いを晴らす方法を知っているのだろう。でなければ同行を了解するはずはない。

 しかし、彼は後部座席に座ったまま、流れている景色に目をやるばかりで何も言わなかった。このまま中央のやり方に従って行けば、なんの手続きもせずにいきなり拘置所に連れて行かれるか、理不尽な裁判にかけられるかだ。

 そうカロンが推測できるほどに、メティスはこの国で嫌われていた。

 十年以上前、マリンゴートにあった被差別民の強制収容所を解放したのはアースだった。

 しかし、いまだに彼が解放したことを知らない人間たちは、彼のしたことを誤解したまま過ごしていた。しかも、メティスに対しては、おそらくもっと強い誤解があるだろう。

 いや、違う。

 アースの場合は完全に中央の元劣等民たちの誤解だ。しかし、メティスは違う。嫌われているのだ。もはや、消されて当然の人物になってしまっている。

 このままでは危ない。たしかに、甘すぎた。この状況を見る目も、そして、中央の危険さを知る由もないメティスも。

 中央マリンゴートの人間は、話してわかる相手ではない。

 カロンは、脇にしまってある拳銃に手を伸ばした。すると、運転席から銃口が伸びてきて、こめかみに当たった。

「抵抗はするな」

 一言、そう言い放ち、運転している警官がカロンを一瞥した。

 逃げ場がない。

 カロンがそう思ったのもつかの間、こめかみに当てられた拳銃は見事に外れ、はずみで放たれた空砲が車の天井を撃ち抜いた。

 そして突然、車がコントロールを失い、ギャンギャンとけたたましい音を立てて、走っていた道路の路肩に止まった。

 けが人はない。運転手がカロンを連れて降り、車を見る。すると、左側二本のタイヤが見事にパンクしてしまっていた。

「カロン!」

 声がした。誰かの声だ。どこかで聞いた。

 声のした方を見ると、赤い車が止まっていた。ドアが開いていて、誰かが立っている。車の屋根に長射程の狙撃銃を据えてこちらに向けている。

 彼は誰だったか。

 近しい存在であることは確かだ。懐かしい感じがする。

 隣にいた警察官がカロンの手を引いて拳銃を向けた。すると、その拳銃が、見事に弾かれて地に落ちた。

 警察官は手を押さえて、もうひとつの拳銃を取り出すために脇に手を挟み込んだ。

「こっちに来い、カロン! メティスも!」

 赤い車の前に立つ人物が、もう一度声を上げた。

 メティスが、カロンの後ろで、二人の警官をなぎ倒した。

 彼は暁の星のシリンだ。それなりに強いのだが、メティスは力で物事を解決しようとしない。それがいいほうに転べばいいのだが、メティスはあまりにそれにこだわりすぎて、うまくいくこともうまくいかなくなることがあった。

「カロン、行こう」

 メティスの言葉にカロンは頷いて、拳銃を取り出そうとしている警官を肘で突き、鳩尾に一発拳をぶち込むと、咳き込む警官を後に、赤い車へと走った。

 車の前にいた人物が二人を誘導する。金色の髪、淡い青の瞳。

 地球の夜空、冬の夜空に輝く星のシリン、十年前の戦いを共に生き残った戦友、シリウスだった。

「シリウス、戻っていたのか!」

 車に乗り込みながら、カロンが感嘆の声を上げると、シリウスは笑って、後から続いてきたメティスを誘導して車に乗せた。警察官たちの反撃にも拳銃で応じ、車に乗り込んだカロンも手伝って、シリウスは車を発進させた。

「戻ったというより、誰かさんの指示で、また、こっちにやっかいになりにきたってことだな。また、よろしくな」

 警察をまいて、東との国境近くにまでくると、シリウスがそう言って手を伸ばしてきた。

「誰かさん? アースの転移でこちらに来たのか?」

「地球のシリン以外に、だれが渡航できる? 地球にはまだ渡航者は存在しないんだぞ」

「しかし、アースはなぜこのことを?」

 カロンの疑問に、メティスがくすりと笑った。

「彼は、おそらく今のマリンゴートの状況など、すべて見通しているよ」

 なんの事なのかわからない、そんな疑問を抱えたまま、カロンはメティスを見た。

 国境は越えた。中央は思ったよりも危険な場所だ。入った途端にあれでは、交渉のしようもない。

 ふたたび表情をこわばらせるカロンに、シリウスが言う。

「カロン、もうわかっているだろうが、近いうちに、中央は解体されなきゃならない。どういう形でもだ。この国はもうこんな形では存続はできないだろうな。アースを待っている時間も余裕もない。できれば、教会に戻って詳しい話がしたい」

「それは、東の再軍備のことか」

 カロンの答えに、シリウスが頷いた。

 彼は、地球人だ。戦争をあまり経験していないこの暁の星には似つかわしくない考え方をする。

 しかし、今回のことに関しては別だ。

 中央は、ある程度経済的にも潤っている。他国との外交もそれなりにうまくいっている。だからこそ、自己解体は難しい。

 彼らがああいった態度を取るのは東マリンゴートを相手にした時だけだ。だから彼らの悪事を他国に知らせようにも、簡単にもみ消してしまえるだけの力がある。

 どうにかして外からの力を持って解体させなければならない。

 もし、戦争にでもなれば、東は再び軍備を強化し、持ち前の救護隊をさらに活躍させなければならない事態になる。

 そんな話をしながら、長い道のりを経て教会に着くと、車から降りた三人を、ナギとケンが待っていた。

 二人は今日非番なのだという。昨日とは違う、私服で教会の敷地を歩いていた。

 ナギは、シリウスを見て、少しだけ口元に笑みを浮かべた。何か納得したそぶりで三人を迎えると、メティスたち三人の後ろについて執務室に向かった。

 メティスの執務室は、先代であるブラウン神父の部屋をそのまま受け継いで使っている。内装にはさほど手を加えていない。むしろ、そのままのほうが、いいのだという。

 先の戦争でレジスタンスを率い、結果この東マリンゴートを作ったブラウン神父から、ここを受け継いだのがメティスだった。

 三人の創設者はそれぞれ後継者を指定して、この東マリンゴートを去って行った。ブラウン神父はメティスを、現在のハノイ元首アレクセイ・ゲイラーはシリウスを、アレクセイの姉であり、ブラウンの妻でもあるヘレン・アンドリューは、テルストラの王子であるアース・フェマルコートを。

 執務室にあるソファーに腰かけ、カロンとシリウスは向かい合った。ナギがケンとともに、メティスの指示を受けて飲み物を出すために器を用意していた。

「先生の言ったとおりになったよ」

 カロンは、苦笑いを浮かべて頭を抱えた。ナギの白い手が目の前に現れ、コーヒーを置いていく。

 彼女はインスタントを好まない。必ず一杯ずつ丁寧に淹れていた。香ばしい匂いが彼らの尖っていた気分を少しだけ和らげた。

「話して分かる相手じゃない。でも、このままでは中央に何をどう、説明したらいいのか」

 すると、正面にいたシリウスが、ため息をつく。

「説明して聞く相手かよ。まあ、だからと言って戦争を起こしたいわけじゃないんだろ」

 メティスが、頷いた。自分の肘掛椅子に腰かけて、考え事をしている。

 そのとき、ナギが動いた。全員の分のコーヒーを淹れ終わって、壁に寄りかかりながら外を見ていた。ふと、その青い瞳をカロンに向ける。

「誰か、いるね」

 その言葉にそこにいた全員がびっくりして、あたりを見渡した。

 誰もいない。

 カロンは、ナギに、誰もいないから議論を再開させようと提案した。

 その時だった。

「ガッカリだわ」

 女性の声だった。窓の方から聞こえる。カロンはこの声をどこかで聞いている。おそらくはこの間、カロンの事務机に座っていたあの女性。

 皆は、声のする方を見た。そこにいた女性の髪は栗色で、陽の光に透けるとほんのりとピンクの色を帯びていた。

「あんた、名前は?」

 ナギは驚いていないのだろうか。冷静な声で彼女に訊ねる。すると、女性は答えた。

「私の名前はアダーラ。ナギ先生、あなたほどの方がこんなエセ神父の下にいるのは良くないわ。戦後のお友達の馴れ合い集会なんて、見たくなかった」

 そのセリフを聞いて、ケンが怒りをあらわにした。

「神父さんのどこがいけないって言うんです? ナギ先生はちゃんとご自分の意思で神父さんを支えていかれると決めたんです。他人にあれこれ言われる筋合いはありません!」

 すると、彼女は不敵に笑った。

「じゃあ、見せてよ。この神父が指導者としてふさわしい証を」

 彼女は、そう言って、窓から腰を浮かせた。そして、黙っている人間たちの間を通って、入り口のドアを開けた。そのまま彼女は部屋を出て行ってしまった。

「指導者の証」

 カロンはそう呟いて、メティスを見た。アダーラと名乗った女性は一体何を考えているのだろう。今までの様子だけでは何も見えてこない。

「少し、僕とメティスに時間をくれないか」

 カロンは、黙ってしまった人間たちのいる空間で、はっきりとそう告げた。ナギが頷く。

「そうは言ってもそんなに時間はないのかもしれない」

 メティスが、立ち上がった。

「アダーラ、この星で最もポピュラーな野菜、レッタのシリンだ。彼女を不安にさせる要素が惑星のシリンである私にあるのなら、それこそが問題なのだろう」

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