第一章 戦友
刑事と神父
一、戦友
建国から約三千年。
この都市国家群が地球と呼ばれる惑星からの移民を受け入れ、原住民とともに築いた都市国家群ができてから三千年が経っていた。
彼らは、暁色の大地に緑を繁殖させて一大都市国家を築き、今では科学技術だけでいうところでは地球に比類ない成長をしてきた。
十年前に、民族差別法を発端とした内乱があり、核爆弾が使われるほどの戦争を体験したが、地下組織レジスタンスの活躍により拡大化は防がれた。都市国家群は形こそ変えたものの、平和なひと時を歩み始めていた。
しかし、根本的な問題はいまだ解決に至っていない。
広大な草原を抱くマリンゴートという都市、そこが十年前の戦争で二つに分裂していたのだ。
それらを抱える都市国家群の首都は、テルストラという都市から海沿いの都市クリーンスケアという都市に移り、政治を執行する者も国王から首長という形にとって代わっていた。
マリンゴートは中央マリンゴートと呼ばれる軍事体制国家と東マリンゴートと呼ばれる田園都市国家に分裂していた。移民差別を完全撤廃した理想的国家になっている東と比べ、中央は、十年前の事件を発端に差別の逆転を起こしたまま、移民、つまり地球人を差別した思想のまま軍国化を進めていた。
暗い霧に包まれた中央マリンゴートと、緑輝く東マリンゴート、どちらが住みやすい国であるかは歴然としていた。
そのため中央から東へ逃れてくる人間は後を絶たなかった。その事実を危惧した中央は国民の東への逃亡を防ぐため、関所を大量に作り、道という道をふさいだ。
国境には有刺鉄線を張って電流を流し、東への人口の流出を必死で防いでいるさまが明らかに見て取れた。
そんなことをしているから、中央は都市国家群の中でも浮き上がってきてしまう。
首長である連合の長クリーンスケアは、中央マリンゴートを国家群のなかでも要注意国家と指定せざるを得なくなった。
その中央マリンゴートで、事件があったのはある日の深夜だった。
中央マリンゴートと東マリンゴートの境にある石油コンビナートが炎上したのだ。
カロンがその報せを受けたのが三日前、このテロリズムともいうべき突然の出来事に、東マリンゴートの警察府は揺れていた。
犯人が見つからない。
まずは、その日の深夜、ちょうど石油コンビナート爆破直前に通り過ぎた電車が怪しまれた。人がその場所に行きつく手段がそれしかないからだ。
もちろん、コンビナートで深夜働いていた人間に話を聞いてみたが、爆破を免れた場所にいた職員にはテロ行為は無理だった。
そもそも爆破だと分かったのは、炎上した部分、特にひどい燃え方をした部分に残骸があったからだ。
それを特定したのは現場にいち早く駆けつけた消防隊だった。彼らから連絡を受け、中央と東の警察がかけつけた。事故ではなく犯罪だ、そうなれば警察も自然とかかわってくる。
カロンは、爆破の時刻やタイミングを見て、その時間に通り過ぎた電車の乗客を洗っていた。近くにある駅から下りて歩いたか、何かの乗り物を使って移動してコンビナートまで来たか。どちらにしろ、外部の人間のしたことに変わりはなかった。
そして、カロンが調査を進めていくうちに、妙なことが分かってきた。
その日その時刻、その場所を通った電車の中に、神父メティスがいたというのだ。
おかしい。彼はその時間必ず仕事をしている。
神父は、いまだ減らない難民キャンプや、命からがら中央から逃げてきた人間の世話で忙しいはずだ。
それに、わざわざ自分を嫌う中央マリンゴートに電車に乗って行くことなどありえない。さらに乗客が見た神父は、今の神父よりもずいぶん若い姿だったという。
神父はシリンという種類の人間だ。それも、惑星のシリンという特別な能力を持った人間だから、たしかに体の成長は二十五歳で止まっている。実際の年齢よりも若いのはそのせいだったが、電車の中で見かけられた神父はまだ十七、八の青年だったという。
しかも、どの乗客も彼を見たあと二度と出会っていない。一度皆に姿を見せたあと忽然と消えているのだ。
カロンは、以上の自分の調査を報告したが、中央マリンゴートの警察は神父メティスがコンビナートを爆破したと疑い、こちらの警察に身柄の引き渡しを東に要求してきた。
困ったことになった。
あの温和なメティスがそんなことをするはずがない。
机に積み重なった数々の資料を目の前に、カロンは頭を抱えた。
神父メティスは、自分の友人だ。上はそれを疑ったのだろうか?
先ほど自分で淹れた熱いコーヒーが資料の間に置かれ、湯気を立てている。
カロンはこの十年の間に警察府の刑事課長にまで出世をしていた。
今回の石油コンビナート爆破テロ事件はカロンにはかかわりはないはずだ。なのに、十年前の戦争で戦った仲間である、たったそれだけの理由でメティスを中央に連れて行けとの命令を上から受けた。
それも、直属の上司ではなく、警察組織のトップからの命令だ。
なぜ、ありえないことを疑うのだろう。メティスにはアリバイがある。誰に聞いてもその日の神父の行動に疑問を持たずに証言してくれる人間はいるはずだ。
なのに、東マリンゴートの警察は、中央の言うとおり神父を差し出せという。
これはおかしい。
いくら軍事国家になりかけている危険な国が相手とはいえ、東がその理念を曲げてまで中央に従う必要はない。媚を売るのならもっとありえない。
頭を抱えたまま、三度目の電話を教会にかける。
一度目は神父が忙しく出られなかった。二度目は出かけていた。この時間には帰るからと言われて三度目の電話をする。
これからそちらに行くからと。
メティスの元へ行って、彼に事情を説明しなければならないから。
カロンは正直、メティスを中央に連れて行きたくなかった。
真実がどうあれ、あの国にいけば、何の非もないメティスは犯罪者にされてしまう。すでにそういうプロパガンダの報道がされているだろうから。
頼むから出ないでくれ、電話に出た取次の女性の言うことを聞いて、受話器の前に出たりしないでくれ。
カロンはそう願いながら呼び出し音を静かに待った。
三回鳴っただろうか、電話の呼び出し音をいつもよりもずいぶん長く感じる。
電話はすぐに教会につながった。神父に代わってほしいと告げ、自分の名と警察の名を出すと、電話交換係の女の声は冷静に神父のもとへ電話をつないだ。
この件で電話をしていることを知っているのだろうか。不審に思いながら待っていると、ついにメティスが受話器を取った。
「カロン」
何日ぶりだろう、確か四日前に近くの森の中の公園で偶然会って挨拶をした。
メティスの声だ。恐れは感じない、いつもと変わらない声がカロンを呼んだ。
「すまない、メティス、警察からの電話なんてな」
「構わない、理由は大体わかっているからね。君がこちらに来るのだろう」
「ああ」
答えて、カロンは嫌な気分になった。夏のはじまり、熱風が吹き始めるこの時節、たくし上げたシャツから覗く手には汗が握られていた。
「お前を中央に連れて行かなきゃならなくなったよ」
カロンの声は疲れで弱っていた。それが伝わったのだろうか、メティスは少し声のトーンを落とした。
「では、準備をしておくよ」
メティスの声は曇っていた。カロンは少し不安になった。
「大丈夫か?」
聞くと、メティスは少し考えたのか、間が空いた。
「ああ」
しばらくして返ってきたメティスの声が、少し曇った。
「ただ、私には暴力は使えない。拳銃ひとつ怖くて扱えないよ。『彼ら』がここにいたら、とも考えるけどね。カロン、少なくとも君が力になってくれると嬉しい」
「僕にも残念ながら彼らのような強さはないが、拳銃くらいなら職業柄扱える」
「頼むよ」
「ああ、じゃあ今から行く」
カロンのその言葉に、メティスは短く返事をした。そして、少しの沈黙のあと、受話器を置いた。
その時だった。
カロンの机に、誰かが乗ってきた。女性だ。カロンより少し年下だろうか。栗色の髪の女性で、机を椅子がわりにして足を組んでいた。
「あんなのに、庇う価値はあるの?」
彼女はそう言うと、カロンの机から降りた。
「なんなんだ、君は?」
返すと、女性は笑った。
「メティス神父って、正直言って頼りないよ。あんな人が国引っ張って行けるとはとても思えない。私たちの代表だったらもっとしっかりしてくれないとさ、恥ずかしいんだよ。ま、言いたいことはひとまず言った。じゃあね、刑事さん」
彼女は、そう言いながらひらひらと手を振って、去っていった。
「なんだったんだ?」
カロンは、少し嫌な気分になって、コーヒーに手を伸ばした。
机の上に置かれたコーヒーは少し、冷めていた。それを一口、口に含むと、カロンは、同じ課の人間に挨拶をしてその場を立ち去った。
最近は殺人事件や物騒な事件が多い。皆の仕事は忙しく、カロンのあいさつには適当に返していた。
やはり、メティスは拒まなかった。自分はやっていない、そのことはいずれ判明するだろうと、そういう構えなのだろう。しかし、中央はその考えで済むほど甘いのか。確かに、先ほどの女性の言ったことには一理ある。
不安にとらわれながら警察府の建物の外に出ると、強烈な熱気に襲われた。
駐車場に止めてあった青い車のドアを開けると中から熱い空気が漏れてくる。
今はマリンゴートの季節の中でも最も厳しい夏。駐車場を囲む草原には、かの大草原に生えているものと同じ種類の草が生い茂っている。冬にも枯れないその草は生命力が強く、何度刈り取ってもすぐに生えて伸びてきてしまうので放置してあった。
草丈は膝ほどなのでさほど気にはならない。虫も付きにくいので放置していても誰も気にはしなかった。
車内の熱風を抜くため、しばらくドアを開け放ってからキーを差し込み、エンジンをかける。窓を開けてしばらくして、ハンドルの温度が下がってから運転席に座ってドアを閉めた。
今度からは日差しを遮るものを何か購入しておこう、そう考えて車を出した。
農業を基盤に発展している東マリンゴートは緑が多い。教会に行くまでの間にいくつもの農園を横切った。都市の中心にある警察府から、ビル街を抜けて農地にいったん出ると、しばらくして森が見えてくる。道はその中に続き、入って行くと公園が姿を現した。
幾つもの豪華な噴水が置かれた公園はきれいに整備されている。その公園の中にあるのが都市国家連合で最も大きな、東マリンゴート中央病院、そして、教会だ。
中央病院を通り過ぎると、森が開けて、美しい建物が目に入る。分光器が集まってできたようなその建物は、ビルのようにそそり立っていた。存在感は大きい。
カロンは、森から抜けた大きな駐車場に車を止めた。降りると、芝生に囲まれてきれいに整備された道に、誰かが歩いていた。背の高い女性と、中背の若者だ。
カロンは、一目見てその人間が誰なのか理解した。
今現在、中央病院で最も腕が立つと言われている外科医であるナギ・フジと、看護師のケンだ。
ナギは三年前にふと姿を現して、この病院に勤務を始めた。その三年前にナギを連れてきたのがケンだ。
彼は、十年前からずっと、救急隊にいた。しかし、最近になってナギとともに救急外来に勤務を始めた。
その二人が、なぜかこの教会にいる。神父に用でもあるのだろうか。
カロンは不思議に思って、声をかけようと、白い砂利道を駆けた。
「ナギ先生、ケン君!」
カロンに名を呼ばれ、二人が振り向く。
ナギは相当な美人だ。漆黒の長い髪を後ろで束ね、その、海のような青の瞳をこちらに向ける。鋭いまなざしときりっとした唇は、清廉なイメージを他人に与える。
その美女を見ると、必ず懐かしい気持ちになる。誰だったか、懐かしい人間の面影を感じるのに、どうしても思い出せない。そんな、不思議な女性だった。その女の唇が、ふと、動く。
「刑事さん」
彼女はカロンの名は知っている。しかし、それを今は呼ばなかった。何故だろう。
ナギの唇が、もう一度動く。
「神父を連れに来たのかい」
謎の美人であるナギの、鋭いまなざしがカロンを突く。
少し身構えて、カロンはナギを見た。彼女は地球からやってきた。そのこと以外はほとんど謎だった。
ケンだけが何かを知っているようで、彼女の出身が地球であることも知っていた。しかし、それ以外は何も明かそうとしない。ナギは、女は謎だらけがいい、そう言いながら笑っていた。
〝刑事さん〟カロンをそう呼び、ナギは教会に入って行った。カロンは急いで後を追い、不思議なまなざしを残して去ろうとする彼女の手を引いた。
「どうした?」
ナギが、カロンに問う。
その視線に敵意は感じられないが、どことなく呆れたものを見るような感じがあった。そんな彼女が、カロンは苦手だった。
「先生、どうして僕がここに来た理由を?」
勇気を出して疑問をぶつける。
すると、ナギは、ため息をついてカロンを見た。
「神父も神父だ。中央の目論見など分かっているだろうに。あんたもだよ、カロン。出向いていったところで捕まって殺されるだけだ」
そんなことは分かっている。しかし、行かなければ、疑いは晴れない。
ナギの言葉に答えを返そうとすると、それさえも読んでいたのか、彼女は、カロンをみて苦笑した。
「仕方ないな」
そう言って、彼女はカロンの手を取った。
ナギの白い手は、きれいだった。医療関係者である以上気を使っているのだろう。ささくれだらけの指では外科医療に支障をきたす。よく手入れをしている。その細い指がカロンの手に触れて、どきりとした。
心臓が早鐘を打つ。これがナギの魅力なのだろう。彼女は病院の職員や患者に非常に人気がある。なんとなく、その理由が分かってきた。
「神父を頼むよ」
そう言い、ナギはケンを連れて教会の礼拝堂に向かって行った。祈りでもするのだろうか。
カロンは、ナギの触れた自分の手を見た。まだ、あの感触が残っている。
ナギは怖いが魅力的な女性だ。
こんなことを考えていたのでは、妻であるリーアの顔などまともに見ることはできない。なのに、そんな考えが吹き飛ぶほど、ナギから感じる恐怖と懐かしさはますます増していった。
しかし、なにかが、引っかかっている。
そんな、不思議な気持ちを抱えながら、カロンは一階にある神父の執務室に向かった。
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