京都は怯えていた。

 夜な夜な紫宸殿の上空に黒雲が立ち込め、その中から奇怪な鳴き声がするというのだ。その声の毒気にあたって、天子は病床にあった。このままでは魂の緒さえ危ういと、内裏は恐々としている。

 ただちに化物退治の宣旨が下った。白羽の矢は、矢箭の道に並ぶものなしと称えられた、源頼政に立った。頼政は、丁七唱と猪早太という二人の家来を連れ、御所の庭に詰めた。

 時を待たず、紫宸殿の上空に黒雲が現れ、その中から身の毛もよだつ叫び声が聞こえだした。と同時に、天子が熱に浮かされたような叫び声を上げ始める。今宵しくじれば、天子は保たぬ。頼政はぎりりと歯噛みし、南無八幡台菩薩とひたすら唱えながら、黒雲を睨めた。

 雲はくろぐろと渦巻き、中にいる何者かの姿も見える。恐ろしい声が聞こえてくるばかりだ。二人の家来も、この声にすっかり怯んでいた。頼政もたじろぎつつ、一方では冷静に声を聴いていた。鳥の名のようだが、どこかで聞いたことがある。昔、母といった故郷の山の中で――。

 頼政はハッとして、箙から矢を取った。それは、かつて母から贈られた竹の矢であった。

 矢をつがえ、黒雲の真ん中に向かって射放った。確かな手ごたえがあり、雲が揺らめいて、ギャッと甲高い叫び声がした。

 頼政は逸る心を抑えながら、二本目の矢をつがえた。母から贈られた矢は、これで最後だ。深く深く息を吐き、黒雲の中の影の揺らぎを見る。

 その瞬間、頼政は雲の中に光る、二つの双眸を見た。

 その眼差しが、はっきりと自分を捉えていることも感じ取った。

 矢か指を離す。ひょうっと音を立て、矢は飛んだ。そして雲の只中にずぶりと突き入る。

 再度、ギャッと甲高い悲鳴上がって雲が掻き消え、巨大な獣が御所の庭に転がり落ちてきた。

「――早太ッ、今だッ」

 頼政は怒鳴った。猪早太には、骨食と呼ばれる短刀を持たせていた。

 早太は風のように走って獣に近づき、その腹に短刀を深々と突き入れた。

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