功夫拳士

 通りの奥、暗がりからびちゃりと水音が聞こえる。

 すわ、新手の水坊主かと身構えるリィンだが、吊り電球の頼りない明かりの許に、ぬぅ──と姿を現した影は、手脚をたずさえていた。


 直立した輪郭は、獣のそれではない。小柄な体躯たいく醜悪しゅうあく風貌ふうぼう

 口は引き裂け、眼は異様に爛々らんらんと光り、片側のこめかみには、ぎらりと輝く角が生えている。


釘子鬼くぎつきじゃない……!」

 奴らは、這いずるばかりの水坊主と違って、素早く動く。五行に対応するそれぞれの品へ、念を込めるのに手間を要するリィンに、その動きを捉え切れるか。


 さらにマズイ事に、相手は二体。

 だが不幸中の幸いを探すなら、まだ間合いが開いている。

 先手必勝と、リィンはすかさずポーチへ手を伸ばした。


 釘子鬼は、額から生える角の鈍い輝き、そして四本指の手に握る、無骨な鉄棒から察せられる通り、金妖だ。鍛冶場に通る道だ、金妖が出るのも頷ける。

 金へ相剋の相関性を有するのは、鉄を鋳溶いとかす火である。


 リィンが取り出したのは、マッチ箱。

 素早い手付きで、中身を数本左手の指へ挟み取ったリィンは、構えた木剣の木目に、マッチの頭薬を擦り付けた。

赤火あかびうずみび

 呪禁を発するや、着火したマッチを釘子鬼へ向けて、思い切り息を吹き付ける。

 

 サーカスの吹き火のように、渦巻く炎が釘子鬼を目掛けてとぐろを伸ばす。広範囲を焼く息吹は、一体の釘子鬼を捉え、散りゆく灰に変えたものの、残りの一体をまんまとと逃した。

 

 炎をい潜ってみせた釘子鬼は、その手に握る鉄棒で、勢い殴り付けて来る。

 リィンはさっ──と両手に構えた木剣で、釘子鬼の一撃を受け止めた。


 斧が大木を打ち割るように、金は木への相剋。とはいえリィンが握るのは、霊験あらたかな桃木から削り出した木剣だ。それにリィンの念が込めてある。

 釘子鬼の鉄棒程度では、傷も付けられない。


「うぐぐ……!」

 だが、膂力りょりょくは別だ。

 同じ年頃の娘と比べれば、充分鍛えているリィンだが、妖魔の膂力は常人のそれを遥かに上回る。

 じわりじわりと、木剣が押し込まれる。とその時──


土功どこう猿翁脚えんおうきゃく

 横合いから叩き込まれた痛烈な飛び蹴りが、釘子鬼を吹き飛ばす。


「ったく、なんてザマだよ。リィン」

 釘子鬼へ蹴り足を炸裂させた人影が、着地ざまに振り返った。

 下肢のシルエットがゆったりとした長袍チャンパオの裾が、振り返る動作に伴って翻る。

 同時に、黒の発色が強い墨色の髪を束ねた、長い三つ編みが揺れた。


「うるさい、馬鹿シン。遅れておいて、なんて言い草よ」

 ふわりとした印象のリィンと違って、目付きの鋭い精悍な顔立ちをした少年。リィンの同居人、兼同僚だ。

 名を、シンという。


「一人で勝手に突っ走ったお前が悪いんだろ。マーマレードの婆さんが俺に声掛けなかったら、どうなってたかわかりゃしねえ」

 悪びれた様子もなくそう言ったシンの額には、汗が浮き出ている。年若いながらも優れた功夫クンフー遣いであるシンの事、蹴り技一つ放ったところで、汗一つかくはずもない。

 額の汗を見るだけでも、彼がどれだけ焦ってここまで駆け付けたかが汲み取れるというものだ。


「そもそもあんたの寝坊がなかったら、最初から問題ないでしょ!」

 だが、売り言葉に買い言葉。普段は温厚ながら、売られた喧嘩は釣り銭を上乗せして買う主義のリィンは、それに気付いた様子もなく憤慨ふんがいする。


 そんな二人のやり取りをよそに、シンに蹴り飛ばされた釘子鬼がむくりと起き上がった。

「ってあんた、また打つ技間違えたでしょ。あいつは金妖よ。火功ひこうを使わなきゃダメじゃない!」

 功夫の遣い手もまた、道士と同じように五行の気を有する技を使い分ける事ができる。

 妖魔に及ぼす影響は道術に劣るが、身体一つで気を練って発する功夫の技は、道具に念を込めなければならない道士と違って、素早い。


 リィンに限らず、道士はおおむね功夫を修得した拳士と組んで、九龍街の管理人を務めるものだ。なのにこの男は、一向に五行それぞれの相関性を覚えない。


「わかり辛えんだよ、いちいち」

 そう言い捨てたシンが、拳を握る。口許には、粗い笑み。

 立ち上がった釘子鬼が跳躍し、振りかぶった鉄棒をシン目掛けて叩き付ける。


金功きんこう鉄壊てっかい

 対するシンは折り畳んだ腕を振り上げて、鋭い肘鉄で釘子鬼を迎え打つ。

 肘鉄と鉄棒の激突──蕭然しょうぜんとした音色は、まぎれもない金属の悲鳴。次の瞬間、悲鳴はくぐもった断末魔へと変わる。すなわち、鉄のへし折れる音へと。


 むらっ気があるものの、シンは確かに優れた功夫遣いだ。小細工なしに真っ向から妖魔とぶつかって打ち勝つ拳士は、そうはいない。


 得物を破壊したシンは、続けて拳を打ち出した。

「火功・炎天砲えんてんほう

 天を焼き穿うがつ、アッパーカット。昇る拳の軌跡を火の残滓ざんしが追う。

 拳に宿る火の練気が、穿たれた釘子鬼を瞬く間に、灰へと変えた。


「ちょろいぜ」

 ちりちりと焼き焦げながら床へ降り積もる灰を向こうに、リィンへと振り返ったシンが、不敵に笑ってみせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る