五行道術・相剋

 瘴気は、陰の気が滞り転化したものだ。陰の気は、水の流れに乗って巡るもの。なのに九龍街には、水路が存在しない。あるものといえばあちこち絡み合って走る水道パイプばかり。


 これでは陰気は滞る一方だ。建物が密集した九龍街には、陽の気も届かない。

 だから九龍街には、瘴気が溜まるのだ。


 密度が濃くなった瘴気はやがて、実像を結ぶ。そう、たとえばあのように。

「うええ、水坊主みずぼうずだ」

 這いずり回る、固まり損なった寒天。リィンの眼に映るそれをたとえるなら、そんなところだろう。


 水坊主。瘴気が水の気を得た、成れの果て。この通路は、配管から水漏れしているのか、床は常に濡れている。水の気を得たのは、そのためだろう。

 ああして瘴気が実像を結んだ形態を、妖魔ようまと呼ぶ。


 妖魔は、大きく五つにわけられる。

 火、水、木、土、金。すなわち、五行の属性に。


 五行思想は、道術の基礎理論だ。

 この世の万物は全て五行いずれかの気を内包し、互いに影響を与え合い、栄枯盛衰の循環を巡っている。木が火を燃え盛らせ、水が火を消すように。


 その関係の内、水が火を消すのと同じように、一つの属性が一つの属性を打ち滅ぼす相関性を、相剋そうこくと呼ぶ。

 水坊主は、字面が表す通り、水の妖魔──水妖だ。水の相剋に当たる属性は、土。


 土は水を濁し、吸収する。荒れ狂う川の水も、積み上げた土がき止める。


 腰に佩いた木剣を片手に抜き、ポーチを開くリィン。

 こちらの動きを察知した水坊主が、ずるずるっ──と這い寄り間合いを詰めるや、勢い飛び跳ねて突進して来た。とっさに木剣を掲げて受け止める。

 存外ぞんがい、硬い手応え。衝撃に一歩たじろぐも、腕に力を込めて弾き飛ばす。


 ぼちゃり──と落下した水坊主は、ずるりと後退し、こちらの様子見の構え。

 好機。

 リィンは素早く、ポーチから目当ての巾着を取り出した。口を開いて中身から掴み出したのは──米。天日干しにした干しいいである。

 

 左手に掴み取り、念を込めた干し飯を、水坊主に向けて投げ放つ。と同時に──

黄土きづち土號どごう

 呪禁を発する。


 すると、どうだろう。

 投げ放たれた干し飯は、瞬く間に、元々の体積を超えた土塊つちくれへと変じる。

 土塊は、さらに姿形を変えて、吠え立てる狗の首をかたどり、水坊主を丸呑みにした。


 念を解き、狗の首を模した土塊が塵と消えると、後にはもう、何も残らない。

 土が水を滅ぼす。

 これがすなわち、相剋である。

 

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