3.海とリゲル
『今日の天気は広い地域で快晴、気温は三十五度以上の猛暑日となりそうです。夕方からは天気が急変する恐れも――』
「あっ、岸辺君! ごめん待った?」
午前十時半、駅の改札前。昨日の一言のせいで一睡も出来ず、ぼんやりとした頭で電子掲示板の天気予報を眺めながら待っていると、天城さんは手を振って改札から出てきた。普段とは違い、シンプルだが上品な白のワンピースを身に纏った姿で。学校でしか会わないので、私服姿は初めて見た。
「いえ、僕もさっき着いたところです」
「じゃあ行こっか!海!」
駅から近い××市の海水浴場は、予想通り多くの人で賑わっていた。海で泳ぐ人、パラソルの元で酒を呷る大人、砂の城を作る子どもたち。その誰もが皆、夏を満喫していた。
ぐるり、と辺りを見回してみる。すると、他のところよりも人の少ない穴場があった。恐らく海水浴場の端の方で、海の家なども遠いからだろう。
「わあ、人いっぱいいるね」
「あっちの方は人少なそうですよ」
「おっ、そっちの方行ってみよっか」
スニーカーの上からでも分かる、砂の沈む感触。先程まで歩いていたコンクリートの固さとは違う足を取られる感覚に、思わず転けてしまいそうになる。対して天城さんはサンダルに流れ込む砂を物ともせず、どんどん先を歩いていく。
「おーい、岸辺君! めっちゃ水冷たいよ!」
「今行きまーす!」
いつの間にか天城さんは両手にサンダルを持ちながら海辺まで近づいて、海に足を浸けていた。僕は持ってきたレジャーシートを敷いて、荷物や靴や靴下を置いて、彼女を追いかけた。波に近づけば近づくほど潮風の香りが増し、目の前にある水源がただの水ではなく海水であることを思い出す。さざ波は足首まで覆って、引いて、また覆い被さる。足首から冷やしていく水の感触は、じりじりと照り付ける太陽にはうってつけだった。
「私、初めて海に来たの。今までずっと行きたくて、今日やっと夢が叶った」
爪先で水面を揺らしながら、天城さんは微笑んだ。毎日学校でも見ていたはずのその横顔がいつもより美麗に思えて、少し特別な気持ちになった。
「結構裾濡れちゃった、短パンとかの方がよかったかもね」
「これだけ暑かったらすぐに乾きますよ」
「それもそっか」
ひとしきり海岸で海水に触れて、ときどき貝殻やシーグラスを拾って、お昼ごはんには買ってきた焼きそばを啜って。人生で一番、夏休みらしいことをしたと思う。今もレジャーシートに二人で体育座りをして海を眺めているだけなのに、何故こんなにも満足感があるのだろう。
「ありがとう、一緒に来てくれて。多分一人だったら、きっとつまらなかったから」
「い、いえ、僕の方こそ誘ってくれてありがとうございます」
「もう、固いなあ。タメ口でいいのに」
「あんまり人と話すのは慣れてなくて。あと癖ですね、もはや」
「ならしょうがないね」
かもめが遠くで鳴いている。一拍置いて、思いきってずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「僕を誘ってくれたとき、天文部と海が関係あるって言ってたじゃないですか。あれ、結局何だったんですか?」
「あ~、実はさ、あれ半分は嘘なの。本当は天文部じゃなくて、岸辺君に用があったから誘ったの」
「僕に?」
天城さんは俯いて、暫く悩む素振りを見せたが、意を決して口を開いた。
「……あのさ、私――」
そのときだった。彼女の言葉を遮るように、耳が痛くなるほどけたたましいサイレンの不協和音が響き渡った。
『空襲警報、空襲警報。急いで頑丈な建物の中に避難してください。空襲警報、空襲警報――』
一体、何が起こっているのか分からなかった。スマホからも同様に、非常事態を知らせるアラートが鳴り響いている。周囲の人々は焦りと困惑を顔に浮かべて、急いで海岸から離れていく。
たった一人を除いて。
「パパ!」
その瞬間、空が暗くなったかと思いきや、人工的な明かりで照される。スポットライトのような強い光に思わず目が眩む。視界がはっきりとしない中僕らが見たもの。それは、巨大な円盤の形をしていた。
「ゆ、UFO……!?」
未確認飛行物体、通称UFO。映画やSF小説の空想が、今確かに僕らの目の前に現れた。夢なんかではない。宇宙人は本当にいた。
「パパ、お願い止めて、私は拐われたんじゃない、自分の意志でここに来たのよ!」
目の前の少女は、空に浮かぶ円盤に向かって叫んでいる。円盤はそれに答えるように点滅を繰り返している。僕は情けないことに、驚きのあまり腰を抜かして立てなくなっていた。
今起こっていることは本当に現実なのか?彼女は何故UFOに向かって話しかけている?”パパ”とはいったいどういうことだ?疑惑が頭の中を支配する。
「あ、天城さん?」
その問いは口に出せなかった。ただ名前を呼ぶことしか出来なかった。天城さんはゆっくりとこちらを振り返る。姿も声も先程隣で座っていた彼女と同じなのに、どうしてか目の前の女性を彼女だと思えない。近づいていた距離が、一気に引き離されたような感覚だった。
「私ね、宇宙人なの。八五〇光年離れた星から、君に会いに来たんだよ」
彼女の言葉は、今度は何にも遮られること無く僕まで届いた。彼女の言葉を聞き入れたのか、UFOはただ静かに宙に浮いている。彼女はまた僕の隣に腰掛けて、ゆっくりと話し始めた。
「十年前、第四惑星スーア、貴方たちの言う地球から君のメッセージを受信したの。そのとき返信はできなかったけど、でも君がどんな人か、地球人ってどんな生物なのか、すっごい気になっちゃって。パパに内緒で来たんだ。そしたらパパ、私が拐われたんじゃないかって勘違いしたみたい」
彼女の話によると、七歳のときの僕が行った宇宙人との交信は、どうやら成功していたらしい。その後誰にも告げず無断で地球に向かい、天城星羅として人間に紛れ込んで生活していたのだそうだ。彼女たちの惑星ではワープドライブのような技術がすでに完成しているそうで、彼女が来たのは僕が十五、六歳のときだという。
彼女が急に行方を眩ましたので彼女の父親は大慌て。捜索すると地球に反応があり、もしかすると地球人に拉致されたのではないかと勘違いし、解放しなければ戦争を起こしてでも助けに行くつもりだったらしい。世界各地で発見されたミステリーサークルも、その攻撃を仕掛けるための目標地点だったわけだ。首脳会議が行われたときには、既に宣戦布告がされていたのかもしれない。
「最悪、私の身勝手な行動でこの惑星は滅んでいたかもしれない。本当にごめんなさい」
彼女は深く頭を下げる。その声は少し震えていた。さらにぽつりぽつりと話し出す。
「私、船から見る地球が好きだった。深く透き通った群青に、何度も目を奪われた。だから、あの青を作り出す海を間近で見て、触れてみたかった。でも折角なら会いたい人と一緒に、って思って君を誘ったの。一石二鳥、ってやつかな」
すると彼女は頬を膨らまして、今度は不機嫌そうに続ける。
「でも、昨日はちょっと怒ってたんだよ? 宇宙飛行士になる夢をほぼ諦めてるなんて言われたらさ、私が来た意味ないじゃん、って」
「す、すみません……」
「……ふふ、いいよ。許したげる」
彼女は、不甲斐ない僕の愚かな面を笑って許してくれた。
暫く、彼女の故郷の話を聞いた。八五〇光年離れたところにある惑星レグーリは、地球とは違って水が無く、大気には二酸化炭素が充満しているそうだ。近くの恒星の影響で地表での生活が出来ないため、地底で暮らしているらしい。光速で移動が出来たり、ミステリーサークルやUFOを作れるところをみると、技術は地球よりも進んでいそうだ。生活や惑星レグーリの住人の特徴、特産物、他の惑星との交流、他にも興味深い話は沢山あった。
これが論文として発表されたのなら、世紀の大発見か、或いは空想だと笑われるかのいずれかだろう。
日が傾き始める頃、突然UFOの光が点滅を始めた。何事だと思えば、彼女は目を伏せて告げた。
「パパが、今回の件の記憶を全人類から消去しなくちゃいけないって。そろそろお別れみたい」
「それじゃあ僕は今日のことも、天城さんのことも忘れちゃうってことですか?」
「うん、あと五分後には」
天城さんが僕の手をとる。その手は僕よりも一回り小さくて、しなやかだった。最初で最後かもしれない、彼女の手の感触だった。この手を離したくなかった。僕の中に、もう迷いは無かった。最後にこれだけは伝えたくて、手を握り返して大きく宣言した。
「僕、宇宙飛行士になります! 宇宙飛行士になったら、貴女の惑星に行きます! 地球の技術じゃ何十年もかかるかもしれないけど、貴女を忘れてしまっているかもしれないけど、今度は僕から会いに行ぎまず‼」
視界はぼやけているし、所々声は上擦ったし、最後なんか鼻水が詰まって鼻声で、本当に台無しだった。そんな僕の手を彼女は微笑みながらぎゅっと握り返して、そのあとゆっくりと手を離した。海に向かって歩きながら、徐々に彼女の体は浮かび上がり、UFOに吸い寄せられていくのを眺めていた途端、一瞬にして世界が光に包まれ、そこで僕は意識を手放した。
「ありがとう、湊君と会えて本当によかった」
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