第22話

 部室の鍵の返却を三琴に任せ、本棟二階の教室に戻って帰り支度を終わらせる。教室に残っている人間はおらず、鞄などが放置されている様子もない。窓の鍵が閉まっていることを確認して、すぐに教室をあとにした。

 そうして昇降口に辿り着いたときには、太陽は完全に山の向こうへ落ち切っており、下駄箱の手元を照らす程度の室内灯の光は校舎の外へと滲みだしていた。


 校門を抜けたすぐ目の前にある大きな公園は、城跡をもとにして作られた市民の憩いの場となっていて、春には満開の桜を見るために県外から観光客が来ることも珍しくない。

 

 城跡であったため、公園をぐるりと取り囲むように水堀が残っている。ここには冬の訪れと共に白鳥の群れが住み着く。そして桜が咲き、人の気配が多くなってくる季節になると北上していく。

 今日のような夏の日は、日が暮れると同時に蛙と蝉の鳴き声が響き渡る。


 細長い歩道ぎりぎりに、自動車がすれ違っていく。巻き起こった生ぬるい風が俺の頬を叩いた。

 水堀には遺産としての価値もあり無暗に取り壊すことが出来ないのだろう、校舎と公園に面した道路は小型車同士がすれ違うのがやっとの幅だ。

 通行しづらいのはなにもこの道だけに限った話ではない。この辺りでは、大通りを一本それると、行き止まりや車一台通るのがやっとの細い道路が何本も伸びている。


 話に聞くに、どうやら城下町というのは、現代では不便とされるような構造で街並みが形成されているらしい。

これは城攻めをされた際、敵方の兵がスムーズに城門まで辿り着けないようにするための方策らしいが、そういったものは知識としてしか触れることの無い未来の人間からしてみれば不便なこと極まりない。

 まあ未来の人間における利便性など、かつてこの城下町に住んでいた人間には関係のない話であるけれど。


 そうした入り組んだ裏道を何度か曲がると街並みは急にひらき、駅前の商店街へと抜ける。駅から真っすぐ伸びた二車線道路はこの街の活気の源となる商店街を貫いていて、大体500メートルほど、この街並みが続く。

 数年前に撤退した複合ショッピング施設がこの商店街に残したダメージはかなり大きかったらしく、いまだにいくつかの店は終日シャッターを閉めたままだ。


 その商店街とは反対側、つまり駅へと向かう道路は一定間隔に立ち並んだガス灯が照らしており、学生や仕事終わりの会社員が重たい足取りで駅へと向かっている。


 俺は、ルーティーンのようにその人の流れに乗ると、ポケットから一枚の紙を取り出す。


『88 4/4 7×7×3×3÷』


 返却された小テストの裏に書かれた暗号文は、国見が菅生に送ったオリジナルの手紙のそれではない。だが、出来る限り筆跡などを真似して写したものだ。

 数字そのものが持つ意味とは別に、この暗号文に何かが隠されているかもしれないし、数字のみに意味があるという先入観は柔軟な思考の妨げになる、とは三琴の言葉だ。


「うーん……、さっぱりわからないな」


 先ほどの菅生との会話で得るものはあった。それは、この暗号文が『菅生から国見への告白に対する返答文』であるという大まかな方向性を得たという点だ。

 ただこの一見大きく感じられる一歩も、元々存在していた事実が開示されただけで、菅生や二戸が立っていたスタートラインにようやく並んだというだけの話に過ぎない。


 そしてその方向性を理解していた彼女たちが暗号文に対して頭を捻らせていないわけがないのだから、当然俺達にとっても一筋縄ではいかないというのも当たり前の話だ。


 少し大げさなぐらい肩でため息を吐き、空を見上げる。雲の動きがかすかに見える程度の明るさで、月は見えども星はまだ観測できない。


「――ざいましたー」


 どこからか、声が聞こえた。いや、声なんて商店街近くなのだから、そこかしこから聞こえてきて当然のはずだ。ではなぜ耳に付いたのか、それはその声が聞き覚えのあるものだったからだ。


 俺は暗号文の書かれたメモから目線を外して周りを見渡す。

 視界に入ったのは曲がり角に面した二階建てのコンクリート造り。一階は丸ごと楽器店で、中に入ったことは無いものの、帰り道だからその存在だけは知っていた。

 車道に面した二面はガラス張りになっており、少しまばゆいばかり程に光が漏れ出している。


 そしてその入り口。

 ギターケースを背負った男性を遠目で見送る店員の横顔に、俺は見覚えがある。


「……二戸さん?」


「あ、いらっしゃ――、またお越しくださいませ!」


 満面の笑みのままそのショップ店員は頭を下げると、当たり前のように店の中に戻ろうとする。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。何もそんなに急いで逃げることはないというか」


「私、バイト中なんです。芦間先輩に構っている暇はないというか。あとなんで私のバイト先知ってるんですか。まさか、今流行のSNSストーカーってやつですか? 写真の投稿には気を遣っているつもりだったんですが、異常者にはそんな定石は通じないんですね、勉強になります。」


「いやいや、学びを得られても困るから。拡大解釈にも限度があるよ! それにバイトをしているのは知ってたけど、楽器店で働いてるなんて知らなかったしさ」


 確かに俺たちは菅生から、二人が同じバイト先で働いているということは聞いていたが、それが何処なのかまでは訊ねることは無かった。

 だが今思えば、その内容を深掘りしなかったのは間違いと言える。菅生、二戸、国見の三人がどんな場所で仲を深めたのかというのは、三人の関係性を理解する上で必要な内容で、暗号解読に役立つ何かがあるかもしれないと言わざるを得ない。


「分かったらもう帰ってもらえないですか。用事がある訳でもないんですよね、わたし、まだバイト中で忙しいんです」


「あ、ごめんね。でもさ、少し二戸さんとも話がしたかったんだ。もしよければバイト終わりでも良いから、話を聞かせてもらえないかな?」


 俺は、出来る限り警戒心を抱かれないような声色で要望を伝える。

 どうにも二戸は、俺を含めて厚生部を警戒している節がある。それが彼女の慎重な性格によるものなのか、あるいはそれ以外に何か他の理由が有るのかは分からないけれど。


「…………」


 目を伏せた二戸は、少し考え込んだまま動かない。


 やはり迷惑だっただろうか。

 一日二日会っただけの人間から、突然バイト終わりまで待っていると言われたら、断られても仕方がないことだろう。

 

 俺は彼女の返事を待たずに、謝りを入れようとして――


「はぁ……。分かりました。先に先輩たちに依頼をしたのは私たちの方ですし。三十分後にバイトの休憩のタイミングがあるので、それまでは待ってもらってもいいですか?」


「ああ、もちろん! 助かるよ」


「別にお礼を言われるようなことではないですよ。――それに、どうせ同じ話をするなら二人一緒の方が効率がいいですし」


「……二人一緒?」


「二戸さん、このCDのバンドで他におすすめの曲があれば……芦間くん?」


 二戸の言葉を理解するまでに逡巡すら必要はなかった。二人一緒という言葉の意味は、こんな場所に居るとは想像できない人物の登場でもたらされた。

 肩上で揃えられた黒髪は歩くたびに軽くたなびき、彼女の内面に反して意外なほどに柔らかい印象を与えている。


「お前がなんでここに居るんだよ、八河」


「それはこっちのセリフ。なぜ貴方が二戸さんの家を知ってるの?」


「家?」


 またもや理解のできない言葉が放たれる。

 振り返って二戸の方を見やると、大きく肩でため息を吐いた彼女はこちらを見据えて口を開く。


「この楽器店、私の家族が経営しているんです。だからその、あまり派手に騒がないでくださいね?」

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