第20話

「ふむふむ、そういうことだったんだ。まったく、勘違いさせないで欲しいものだよ」


 そう言って三琴はまるで子供をあやすかのように菅生の頭をなでながら、こちらと菅生の間に割って入るような形で睨みつけてくる。


「だから最初から勘違いだって言ってただろ! 早とちりで食い掛ってきたのはお前たちの方じゃないか」


「すれ違いとはつまりコミュニケーション不足から生まれるもの。常日頃から信頼を勝ち取る行為を心掛けて欲しい」


「それ君が言うの?」


 とても良いことを言った、と頷く素振りをみせる八河を見てみないふりをして、俺は四人用の机の椅子に腰かける。

 菅生は三琴の拘束をを無理やり解くと、髪の毛をひと撫でして二人へと、小さく咳払いをする。


「えっと、それじゃあお二方も来たことですし、本題に移らせていただきます」


「確認だけど、本題ってのは手紙が置かれていたときの部室の様子ってことで良いんだよな?」


 肯定の意を返すように菅生は小さく首を縦に振る。

 菅生は六人用のロッカーの左下を開く。ちらりと見えたその中身は、スクールバッグ、何に使うかも分からない木彫り細工のような雑貨、そして数冊の本だ。あのロッカーはそれぞれ部員一人で占有できるロッカーなのだろう。

 菅生は鞄の口を開くと、その中を漁る様子もなしに手紙を取り出して俺が座っている机の上に置いた。


「この机です。放課後に部室を開いたら、この机の上に手紙が置いてあったと二戸ちゃんは言っていました」


 手紙を上から眺めるようにする菅生をよそに、三琴は俺の耳元に耳打ちをしてくる。


「ねえ文理。二戸ちゃんって?」


「昨日菅生さんと一緒に来ていたあの子だよ」


 ああ、と三琴は頷く。後ろを向いて八河の反応を見ると、部室を軽く物色していたことが理由だろうか、昨日のやり取りも合わせて黒縁眼鏡の彼女の名前は把握していたようだった。


「菅生さん」


 八河は菅生に一歩詰め寄り、口を開く。


「なんですか?」


「二戸さんが言っていたということは、つまり手紙が置いてあったことを確認したのは彼女だけで、他の目撃者はいないということで合っている?」


 菅生は一つ頷く。


「あの日の放課後、天文部に来たのは私と二戸ちゃんだけでした。昼休みに部室の鍵を開けた国見くんに同伴者がいれば目撃者はその限りではないですけど、それを確認する術は有りません」


「なるほど……」


「? なにか気になる事でもあるのか」


 質問には大方答えただろう菅生の言葉に対して、八河はなんだか煮え切らない表情をしていた。


「いや、これはまたあとで構わない。それより芦間くんは今のうちに聞いておきたいことはないの?」


 どうやらここでは話すつもりはないらしいことが、彼女の瞳を見る限り分かる。

 

 ……うん、菅生に聞いておきたいことか。

 

 正直なところ、せっかく機会を用意して貰ったというのに悪いが、天文部という場所で得られる知識というものはあらかた見てしまった気がしていた。

 目立った物品は少なく、プライバシーの詰まったロッカーの中を物色する訳にもいかない。


 俺は少し考えた後に机の上に置かれた封筒に手を伸ばし、その中に入っている二枚折にされた便箋を開く。


『88 4/4 7×7×3×3÷』


 ボールペンで書かれた味気ないその暗号を再度読み直す。

 解読のとっかかりを掴むために、どうしても把握しなければならないのはこの暗号が意味するところの方向性だ。

 時間か場所か、人物や数字、はたまた全く想像もつかない物品の可能性だってある。理屈と膏薬はどこにでも引っ付くわけで、それはつまり見当違いの推理に向かって進み続けてしまう危うさを告げている。なにか標となるもので舵を取り続けなければならない。


 そしてその軌道修正をおこなうための磁針は、実はもう既に見つかっているのではないかと俺の直感がそう告げていた。


 俺は暗号の書かれた手紙から目を離し、誰かの発言を待つように立ち尽くしている菅生をみて、言う。

 

「なあ菅生さん。きみは、何か俺達に言っていないことがあるんじゃないのか」


「い、言っていないことですか?」


 藪から棒にぶつけられた詰問に対し、菅生はあからさまに狼狽えるような表情をみせる。


「ちょっと文理。なんでそんな菅生ちゃんを疑うようなこと言うのさ!」


 菅生を庇う様な形で、三琴は俺の発言に割り込んでくる。


「そもそも前提が間違っているんだ。確かにこの手紙に暗号が書かれていることは間違いない。でもそれは、本当にだったのか?」


「どういうこと?」


 俺の発言に、八河は口を尖らせる。


「事前知識の無い人間がこの手紙を読んだとき、例えば廊下にいる生徒にこの手紙を読ませたときに、その彼らはこれを何と形容すると思う?」


「なにっていわれても、暗号じゃないの?」


「違う」


 俺は首を横に振る。


「何の情報もなければ、その人間はこの手紙に書かれている内容をただのあるいはだと呼称するはずなんだ。

 そうだな、たとえば八河。お前が道端で突然謎の記号の羅列が書かれている紙を拾ったとしよう。記号は見るからに滅茶苦茶で意味を成しているとも思えない。そのとき、その紙をどう扱う?」


「変な紙だなと考えつつも、落書きだろうと思ってその場に置きっぱなしにする」


「まあそうだろ、多分俺も同じことをするはずだ。じゃあ次にお前が宇宙科学の研究員だったとしたらどうだろう。そして先ほどとは違い、ある事前知識を持っていたとする。その内容とは『極秘裏に科学者チームが異星に向けてコンタクト信号を送っており、その返答が何かしらの形で送られてくる』といったところかな。

 そうなれば、八河は謎の記号の羅列が書かれた紙を、さきほどと同じようにその場に置きっぱなしにできるだろうか?」


「……なるほど。つまり文理は、受け取る側の知識があるかどうかで記号の羅列が意味を持つかどうかが変化するって言いたいわけだね」


 その通り、と言いながら俺は視線を菅生の方に向ける。

 視線の先にある彼女の表情にうつる感情は思いのほか乏しくて、何を考えているのか読み解くのは難しい。

 俺は再度視線を二人に戻し、話を続ける。


「この手紙に書かれた数字――、記号の羅列が意味をもった羅列なのかどうかを判別する術は俺達三人にはない。でも昨日、菅生さんと二戸さんは、はっきりとこれが暗号であると言い切っていた。これは彼女たちが、手紙に書かれた数字の羅列が何かしらの意味を持っていると判断できる材料を持っていたという証左になる」


 そしてもう一つ、と俺は人差し指を縦にあげる。


「国見が書き置いたこの手紙は、紛れもなく菅生さんに向けたものだと二戸さんは言っていた。不特定多数が出入りする可能性のある部室に書置きされていたにも関わらずだ。

 だけど、その受取人を特定できる方法が一つだけある。それは直近に、菅生が国見に対して何かしらの質問をしていて、その返答が返ってきていないパターンだ」


「話をまとめよう。あの日、一見数字の羅列でしかなかった手紙を見た菅生さんと二戸さんは、それがどんな意味を持つか――つまり暗号であるということを何かしらのファクターを通して理解していた。

 そして差出人が菅生に向けたものであると二戸さんが断言できた理由は、それが国見とのコミュニケーションの中で、菅生さんが彼へ向けた質問の返答待ちの状態であったからに他ならない。

 これが、君たちが何かを隠しているんじゃないかと言った理由だ」


 そう言いきった瞬間、俺は口の渇きを自覚した。

 まくしたてるような自分の舌の回りを恥じ、ゆっくりと深呼吸をする。目を閉じてゆっくりと息を吸い、吐く。

 そうして開いた双眸に映るのは、憑き物が落ちたかのような菅生の顔だった。

 菅生は姿勢を正し、そうして数分前と同じように深い角度で頭を下げる。


 だがその後の彼女の姿は、先ほどとは大きく異なっていた。

 すぐに頭を上げた彼女の瞳は、初めてヒーローショーをみた子供のように輝いていた。


「試すような真似をして本当にすみませんでした。でも本当に凄いです! 森下先輩に聞いた話の通りでした!」

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