第1話
――胸焦がれるような恋がしたい。
もしも何でも望みを叶えてくれるランプの魔神が現れたとしたら、俺、芦間文理はノータイムでそう答えるだろう。
ドラマを見て目頭が熱くなったような、漫画を読んで心震えたような、映画館で心に刻んだような、そんな大恋愛を一度きりの人生で経験してみたいと、そんな感情を覚えたのが確か小学生の高学年に上がった頃だった。
春に出会い、夏は距離を測って、秋はすれ違い、冬にその気持ちを確かめ合う。四季と共にうつろう心模様を妄想に描いたのが中学生の頃。
パーフェクトな大恋愛の計画は出来た。あとは行動に移すだけだ!
……でも、人生そう上手い具合に事が運ばないと、そう気付いたのは俺が高校一年生の頃だった。
なぜそんな大事な事に気が付いたのかって?
それはとても簡単な話だ。だって俺が進学したのは男子校なんだから!!
勿論それなりの勝算はあった。俺が選んだ亀岡東高等高校は道を一本挟んだ隣に、美女たちが集まるとされる名門女子校が有ったのだ。
男子校と女子校。同年代の男女がこんなにも学び舎が近いからには、何も起きないはずが無い。むしろ乗り越えるべき障害がある分、そんじょそこらの共学よりも恋が熱く燃え上がるんじゃなかろうか!
……だがその考えが甘かった。浅はかで愚か、そして無知だった。
当時の俺は分かっていなかったのだ。恋にせよ友達にせよ、まずはそもそも出会う必要があり、それが何よりも大事な一歩目なのだと。燃え盛るには火種が必要なのだと。そしてその重要性に、中学生の芦間少年は気付いていなかったのだ。
認めたくないものだな、若さゆえの過ちと言うものを……。
俺が未来に描いた青春は、もっと色彩豊かなはずだったなのに!
「――でもさ、ちょっと思っちまったんだ。健康的な汗を流して馬鹿な一言で笑いあう。そんな筋肉質な青春も悪くはねえなって、へへっ」
「へへっ、じゃないし。そういうのは思ってても口にするものじゃないよ、気持ち悪い」
午後五時を告げる音楽が窓の外から聞こえる。この音楽は地域によって、その曲が全く異なるそうだ。かたや民謡、あちらではクラシック。将来、夕方の話をしても同じ空を思い出すことが出来ないのは、少し悲しいことだ。
机を挟んで向かい合わせに座っている同級生は、まるで女みたいに肩まで髪を伸ばしている。今日の様な酷暑に似つかわしくない優し気なトリートメントの香りだが、その口から放たれる言葉は辛辣だ。
「それにさ、なんだかその言い方だと、出会いさえあれば彼女が出来るみたいに聞こえるんだけど。
それにはっきり言わせてもらうけど、本当に彼女が出来る人間は多分環境とかに依存しないよ。人が沢山いるところに出向いて話しかけるぐらいのことをしてからそんな戯言をほざいて欲しいもんだね」
「う、いや、だって人がたくさんいる場所なんてこの辺にないし……」
「いまどきSNSだってあるんだからその言い訳は通用しないよ。結局、自分の足で行動する気概がないだけに見えるね。はい、この話はおしまい」
そういった後に指さす机の上には、いつかの授業でクラスメイトから収集した文化祭の企画案が広がっている。まるで女のように細い白い指を視界の端でぶらつかせながら、ゆっくりと口を動かす。
「めんどくさそうな顔しても無駄だよ。今日という今日は作業を終わらせないと。期限前日までずるずる引き延ばしたのは
座り位置を正すために、一度立ち上がった彼女は、青みがかった黒のスカートを揺らめかせてこちらと向き合う姿勢に座り直す。
――もしも仮に、青春のアルバムを男子校で埋め尽くしたいのであれば、市井に流れる眉唾レベルの噂にもしっかりと耳を傾けるべきだ。……話を聞いたところで、正しく呑み込むことが出来るかどうかは本人次第だけれど。
でも少なくとも心のどこかで予想は出来るはずで。
そして無知な人間にはその僅かな想像の余地すら与えられない。
今から三か月前。百年の伝統を誇る我らが亀岡東高校は今春、理由不明な校舎の大幅増築による資金難によって隣の女子校と吸収合併を果たした。
そしてその名を「致道学園」と変えたのであった。
つまり目の前に座る外ノ岡三琴は、俺の青春のアルバムには本来現れる筈の無かった正真正銘、現役女子高生なのだ。
「ああああ、もう感情ぐちゃぐちゃだよ! ……俺は覚悟を決めて男子校で青春の三年間を過ごすって決めてたのにさ、なんなんだよこの仕打ちは! どうもありがとう!」
「怒ってるのか、嬉しがってるのかよく分からないんだけど……。その発作もいい加減飽きてきたよ。放課後もそんなに時間が残ってるわけじゃないし、いい加減手を動かしてくれないかな」
「いやでもね、本来の期限は明日なわけですし」
「手動かせ」
「ヘイ」
そんなに低い声で言われたら流石に弱い。
観念して机に突っ伏した頭をあげ、三琴の作業は一体どこまで進んだのだろうか確認するために、紙束の中からチェック済みを仕分けるところから始める。
でも、本当に気が乗らない。
「そのなんでもギリギリまでやらない癖、小学生の頃から全く変わらないね。夏休みの宿題を手伝わされたあの日々を思い出すよ」
「嫌なら来なきゃよかっただろ」
「まあ私がゲームしてる間に、終わらせた宿題を見せるだけだったし。文理のお母さんはいっぱいお菓子くれたから、妥協ラインかな」
「俺の分のお菓子がその分無くなったんだけどね?」
「それは自業自得でしょ。人の手を借りなければ終わらせられない文理が悪いね」
黙々と動かす手を一瞬止め、三琴は小さく笑う。
「男子三日会わざれば刮目してみよ、って言葉があるけどさ。こと芦間文理という男に関していえば、数年後に目隠しで会っても間違えることは絶対無いね。中学まではまだかわいく見えたけど、高校生でこれは胃もたれが過ぎる」
「婆ちゃんには何事にもブレない自分を持てと教わったから、つまりは教育の賜物だな」
「減らず口も一生変わらないだろうな、この男は」
三琴はわざとらしく呆れたようなため息をつくと、雑談で止まりかけの手を再度動かし始める。俺のやる気の無さに対する繰り返しの指摘は、自分に対する叱咤の一面もあるのだろう。
今やっている企画委員の作業はいたって単純だ。クラスメイトから集めた文化祭の企画案の中で実現が可能かどうかを一度担任教師とすり合わるために、めぼしいものをリストアップするというものだ。
確かに少し面倒ではある。実際のところ、仕事なんてない形だけの委員会なんてものはいくらでもあるわけで、それに比べれば企画委員は雑務がある方とは言える。
でもそれは、年に何度もないお祭りごとのタイミングだけだ。それをこなせばクラスの一員としての役目を果たすことが出来ると、そう考えれば決して過剰な負担ではない。
だがその負担とは全く関係のない場所で、この作業に対する俺の意欲を著しく低下させている原因が存在した。
「うん、没。これも……没だね」
書かれている出し物の案を、三琴はひとつひとつ丁寧に読み上げては、没案として机の端に寄せる。ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。その投げテクは往年の白鴎を彷彿とさせた。
「はあ、こんなんじゃ、いつまで経っても決まらないな」
「仕方ないよ。『文化祭における男女の共同作業を含んだ企画を禁ずる』なんて御触れを、生徒会長が直々に出したんだからさ」
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