四
離れ屋の中には沈黙が漂っていた。弥助翁の長々とした物語が終わり、不穏な余韻だけが、まるで目に見える靄の如く周囲に遊び、部屋の中にあるすべてのものが、その気配に感づかれることを恐れて押し黙っているかのような――そんな無音の中で、少しずつ時は刻まれていくのであった。
深々と息を吐いて、弥助翁は少しばかり首を擡げた。
「随分と――長く話したな。退屈は、せなんだか」
答えはない。この離れ屋のどこからも、何も聞こえてはこない。にもかかわらず、弥助翁はフムフムと何かに傾聴しているかのような素振りを見せ、
「そうか、そうか。ならば良かった」
と満足そうに頷いている。そこからまた口を閉ざして、離れ屋の中は無音の中に沈んでゆくのであった。
寸時か永遠か、判じ難き沈黙の果てに、弥助翁の頭がぴくり、と動いた。
「なに――今の話だけじゃ不満か」
やはりそれに答える音声はどこからも聞こえてはこない。が、弥助翁は深々と頷き、
「ナニ、儂の話したことが実際にあったとして、それで十六人谷という名がついたとするならば、一人多い――と。確かに、夫婦柳のために殺されたのは十五人、それに間違いはない。となると、残りの一人は誰か――ということになる、とな」
まるで子供からぶつけられた日常の疑問に耳を傾けるような様子で、弥助翁は、成程――と腕を組みながら聴いている。
「それだけではない――と。十六人谷の話ならば、二つ目の話だけで事足りる。何故、田兵衛なんぞという男が蟒蛇に食われた話から始めねばならないのかが分からない――と。ほっほ、これは痛いところを突かれたわい」
心底楽しそうに笑う弥助翁。しかし顔を埋め尽くす白髭のせいで、本当の表情は分からない。
ごりり、と喉を鳴らしてから、弥助翁は溜息一つ吐いて、
「何も知らぬ人が聞けば、嘘か誠か判断しかねる山奥の怪異話。だが符号を知る者が聞けば――先の話は、また違った意味を帯びて聞こえてくるであろう。そのはずだ。そうなるように――儂が作ったのだから」
微かに風が吹いた。まるで、弥助翁の独り言に応えるかのように。弥助翁は深々と、本当に、魂が喉から零れ落ちそうになるほどの溜息を長々と吐いて、
「そうよな――。他の者は騙せても、お前ひとりだけは、こんな戯言の類では満足せぬであろうな。お前は――全てを知っているのだろ。知っていながら、儂に話させるのだろう。そうして、儂が犯し、あの山に埋め殺した罪を、もう一度思い出させる……そのためだけにやってきたのだろう」
穏やかな物言いだが、その額には汗が浮かんでいた。弥助翁はがっくりと首を垂れる。魂が抜けたかのような、ぐにぐにとした肉の塊のような様だったが、やがておもむろに頭を上げて、話そう――と呟いた。
「何もかもを話そう。儂が、十六人谷なんぞという怪異譚で塗りつぶしてしまった、己の罪を。本当はあの日、あの場所で何が起こったのかを。お前はきっと、最後まで黙して、儂の話を聞いてくれるであろうな。そして全てを語り終えた後――儂をどうするか、それはお前の心に任せるとしよう」
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