【一階】 怠惰のキッチン
「なにこれ!?」
地下の階段を上がると、ひどい有り様だった。
辺り一面に薄いモヤが掛かり、至るところに鍋が転がっている。鍋は大中小、様々だ。
「ここはいったい……あっ!」
黒猫に訊ねようとした瞬間、オイルランプの火が消えた。
「オイル切れみたいね。使えない頭なんて意味がないわ。取っちゃいなさい」
「でも頭を取ったら……」
「ここには薔薇ならたくさんあるわ。使えない頭より薔薇のほうがきれいよ」
確かに一階にも赤薔薇が群生している。
散らばる鍋の隙間からツタ薔薇が覗いていた。
少女は薔薇に近付くと頭をオイル切れのランプから大輪の赤薔薇へと変えた。
「これでいい?」
「似合ってるわよロサ」
「ロサ?」
「アンタの名前よ。無事に出られたじゃない」
無事に薔薇のゴミ捨て場から出られたら名前をつけようと黒猫は言っていた。
まさか黒猫から一方的に名前を決められるとは思わなかったが。
「うん。それでいいよ」
しっくり来たので少女は黒猫からの名前を受け取った。
「猫さんの名前は?」
「オレの名前?」
「猫さんだと不便だから」
「好きに呼んでいいわよ」
「好きに?」
「もうずっと、呼ばれてないから忘れちゃったわ」
顔がないのにロサは黒猫が寂しげな表情をしている気がした。
「じゃあ」
ロサは黒猫をない瞳で見渡して――――
「ガーネット」
真っ赤なリボンから連想した言葉を口にした。
「……で、どうかな?」
「ふーん。いいんじゃない?」
ガーネットは素っ気ない。
――――気に入らなかったかな?
少し不安になったが微かにゴロゴロと喉が鳴る音が聞こえて、ロサは胸を撫で下ろした。
これで呼び方には困らない。
「さあ、ロサ。他の頭も探しておきましょう」
「えええ……!」
ガーネットの提案にロサは露骨にいやそうな声を出す。
「ガーネット。また頭を変えるの?」
「ここは怠惰のキッチンよ。コックはお湯を沸かすことしかできないけど、万が一にもお湯を被ったら薔薇は枯れちゃうでしょ。予備として熱湯を被っても平気そうな頭を探しておきなさい」
「コロコロ頭を変えるの、なんか変な感じ」
「すぐに慣れるわ。必要に応じて頭を変えるのは必須よ」
「……分かった」
ロサは鍋の中を探し始める。
鍋にはなぜか本やドアノブ、スコップに靴など――本当に色々な物がごちゃ混ぜに入っていた。
どれもこれも使い物にならない様子で、ここのほうがゴミ捨て場に見える。
「目覚まし時計だ!」
もうどれだけの鍋を調べたか数えてない。
しかしようやく、多少まともな物に出会った。
「この目覚まし時計は……うん。壊れてない!」
「あら。いいじゃない。目覚まし時計ならお湯を被っても平気そうだわ」
「お湯をかけたら壊れちゃわない?」
「針をお風呂の時間に合わせておきなさいな。そうすれば壊れないわよ。お風呂の時間だもの」
「そうなんだ。お風呂の時間って何時?」
「猫はお風呂が嫌いだから知らないわ」
「ええ……」
「分からないならそのままポケットにでもしまっておきなさい」
「ポケット……?」
ガーネットの尻尾がロサのエプロンのポケットを差す。
クッキーが三枚程度しか入らない大きさのポケットに目覚まし時計が入るわけはないが、不可思議な現象を目の当たりにし続けたロサは取り敢えずポケットに目覚まし時計を入れる仕草をしてみた。
「わっ!」
目覚まし時計はポケットの中に吸い込まれていった。
「ポケットに、目覚まし時計がはいった」
「入るに決まってるじゃない。何のためのポケットよ」
「う、うん……」
記憶がないのでロサはすべてを受け入れるしかない。
「行くわよ。上に続く階段を探しましょ」
急かされてロサは階段を探しに行く。
進んで、すぐにガーネットが怠惰のキッチンと言っていた理由が分かった。
「みんな寝てるの?」
鍋と一緒にコックも落ちていた。
真っ白なコック服とコック帽を被ったまん丸卵のコック達。卵の殻は一部がひび割れていて、手足が飛び出ている。
「違うわ。動かないだけよ」
「どうして?」
「タマゴが動いたらビックリするでしょう」
「そうだけど……手足、出てるよね?」
「手足が出てても産まれてはいないわ。産まれたら頭を女王に刎ねられてしまうもの。だからみんな
「なんか……難しいね」
ロサは考えるのをやめた。
それに卵のコック達は皆ゴロゴロとしていてロサやガーネットを気に掛ける気配はない。
鍋と一緒にそこらに転がっているだけだ。
茨に襲われた経験から怠惰なコック達には安心感を覚える。
コック達に邪魔される心配はなく。グツグツと煮詰まっている鍋の熱湯にだけ注意して階段を目指した。
「うそ!? こんなところで!」
階段の前につくとロサは驚愕の悲鳴をあげる。
ずんぐりむっくりとした卵のコックが階段の前に横たわっていた。
試しに押してみたがビクともしない。
上に続く階段は巨体の向こう側。
「これじゃあ通れないよ……」
ロサは深く肩を落とす。
「ロサ。目覚ましがあったじゃないの」
「目覚まし? ……あっ!」
思ったよりも難なく進めていたため目覚まし時計の存在をすっかり忘れていた。
ロサはエプロンのポケットから目覚まし時計を取り出した。
「これで起こせばいいんだね!」
ロサは頭を薔薇から目覚まし時計にすげ替える。
頭になった目覚まし時計の針を動かすのは瞬きをするのと同じ感覚で、ロサは長針と短針を重ねた。
ジリリリリ……!
目覚まし時計の頭が、酷くけたたましい騒音を発する。
「わわっ!」
あまりの騒音に、音を出した張本人であるロサすら飛び上がった。
それほどの大音となれば、怠惰なコックもさすがに飛び起きる。余程驚いたのか、卵の殻がバリンッと割れた。
割れ目から鶏の顔が飛び出して、産まれてしまったコックはギャアー! と濁った悲鳴を上げてどこかに走って行った。
「ヒヨコじゃなくてニワトリなんだ」
「言ったでしょ。生まれないのは首を刎ねられたくないからだもの」
「悪いことしちゃったかな?」
「ロサが気にすることじゃないわ。行きましょう」
「あっ、待ってよガーネット」
階段を慣れた足取りで駆け上がるガーネットをロサは走って追い掛けた。
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