第25話 似合っていますか?

 ——サンタクロースの正体を知っても、ずっと毎年来てくれるものだと思っていた。


 クリスマス当日、メイは友人と共に買い求めた勝負服を着て、姿見の前で最終チェックを行っていた。

 ふわふわのニットは見るからに暖かそうで、ゆったりとしたサイズなので下に保温性の高いインナーを着ても気にならない。ふんわりとしたチュールスカートは、動くたびにふわっと揺れる様が華やかな女性らしさを感じる。スカートの丈が長いので上品さを兼ね備えており、下に黒いタイツを履いており、いつもよりもずっと大人びて見える。

 もちろんこれだけでは十二月の寒さには辛いので、キャラメル色のロングコートを着る事にしている。おしゃれは我慢だとは言うが、それで無理をした体調を壊してしまえば周囲の迷惑になるし、寒そうに震える相手と外出しても心の底から楽しめないと思っている。

 ならばきちんと防寒対策をして、不安要素はすべて取り除いておくべきだ。

 鏡に映る自分に大丈夫だと笑いかけ、メイは鞄を手に取り、中身を改めてチェックをする。お財布、携帯端末、ポケットティッシュ、ハンカチ、色付きの保湿性のリーップクリーム、ハンドクリーム、絆創膏、携帯用の裁縫セット。後は必要はないとは思うが、長崎夫妻に念のためにと渡された防犯ベルと防犯スプレー。

 鞄の中に不足が無いとしっかりと確認をして、寮の部屋の中をぐるっと見渡して忘れ物がないかを確認する。

 冬休み間は長崎夫妻の所に一時帰宅をする事にしており、カガリとのデートとの後は、そのまま長崎の家に送ってもらう事になっている。

 以前メイとイクとでボランティアとして参加したバザー、開催していた教会でクリスマスミサにカガリと共に参加する。昼食をカガリと済ませて、その後はクリスマスカラーの街並みをデートする。適当に街並みを散歩しながらウィンドウショッピングを楽しみ、気になった店があれば中を覗いたりする予定だ。

 メイははやる気持ちを押さえて、ゆっくりと深呼吸をする。緊張でいつもより早く打つ心臓を感じながら、メイは鞄と、ベットの上に置いておいた少し大きめの紙袋を持って、少し荷物の減った部屋を後にした。



 メイはあまり私服にこだわりはなく、平日は大体制服で、たまの休みに出かける時や寮で過ごすための部屋着を持っている程度。無難で清潔感のある服ならば何でも良いと思っている。

 だからこそ改めて行った服選びにさんざん苦労をして、最終的にはイクにも手伝ってもらう事になったが、彼女からの太鼓判のお陰で、安心と自信を持って事に挑めるのだから、感謝しかない。

 大人びた気品ある雰囲気を持たせながら、少女としての愛らしさを保たなければい

けないので加減が難しいのだ。

 カガリがメイを気にかけてくれて、こうして時間を割いて我儘に付き合ってくれるのは、ひとえにメイが庇護をする対象であるからに他ならない。

 メイとカガリの出会いは、彼女が彼の働く病院に緊急搬送され、彼が治療に当たった事から始まる。そしてメイからの一歩的な八つ当たりであり、そのおかげでメイはカガリとの今の関係性を構築する事が出来た。

 メイから見て、カガリは立派な大人で、生きていく道筋を指示してくれた相手だ。

 両親を失った悲しみで心が弱っていくのを感じながらも、自身の感情が薄まっていくことに罪悪感を抱きながらも安堵していた。

 人間は適応していく生き物で、辛い事があってもそれで病んでしまわない様に心が痛みに麻痺していく。

 突然降りかかった理不尽によって、メイは生きる意味を失ってしまった。いっそのこと、あのまま眠るように両親と共に——などと、不謹慎な事も考えてしまうほどに、メイは弱り切っていた。


 ——だから、それは純然たる八つ当たりだった。


 それでもカガリはその八つ当たりに付き合ってくれた。もしかしたら過去に同様の事があったのかもしれない。

 それでも助けた事を、助けた本人から責められるのは理不尽な事だったはずだ。カガリは職務を全うして、人の命を助けるという善行を行ったのだ。彼に責められる謂れは無い。

 それでも、メイはカガリに言わずにはいられなかった。

 せめて、両親と同じ場所へ行きたかった。けれど、メイは自分が天国へと行けるほど、敬虔な信徒かと問われれば首を横に振る。神の存在を心の底から信じているかと問われれば、迷って口ごもってしまうだろう。

 見た事のない、聞いた事のない、感じた事のないモノを、どうやって信用すればいいのか、メイには全く分からなかった。

 それでも両親が信じているモノなのだから、とても良い事の筈だと思い、両親と共に祈りを捧げてきた。それでもやはり子供なのだから、偶に面倒くさいと思ったり、本当にいるのだろうかと疑ってしまう事もあった。

 その矢先に例の火事が起きた。信心深く、祈りを欠かした事のない、率先して人助けをするような両親に落ち度などどこにも見当たらない。ならば、彼女ら家族に降りかかった不幸の原因は、自分にあると思ってしまった。

 率先して悪い事をした覚えはない。もしかしたら知らない間に何か悪い事をしてしまっていた可能性はあった。けれど、彼女に思いつく事は、心の底から神を信じ切れていなかった事しか思いつかなかった。


 ——もし、このまま大人になって、罪を重ねて、天国に行けなくなってしまったら?


 想像しただけでも胸が張り裂けそうで苦しかった。恐ろしくてたまらなかった。ずっと一人ぼっちでいる事が、酷く悲しく思えた。


 ——そんな矢先にメイはカガリの姿を見つけた。


 きっと本当は誰でもよかったのだ。

 誰でもいいから、自分が独りぼっちではないと、いつの日にか天国で両親と再会できると肯定して欲しかった。


 ……だからとても、嬉しかった。 


 信仰に殉じるのであれば、天国へ行ける。

 いざとなれば異教徒である自分が殺して、殉教させてやるから大丈夫だと。

 だから、懸命に生きろと。

 医者が言うのはどうかと思う言葉ではあったが、それでもそれはメイにとっては、天から降ってきた言葉だった。


 ——だからメイは生きる事にした。


 そして、カガリと共に天国へ行く事が出来れば嬉しいと、そう願うようになった。


 サンタクロースはきっともうメイの下には来てくれないだろう。それでもきっとメイの事を良い子だと、微笑んで傍に居てくれる人がいれば、毎年のクリスマスを楽しみに待つ事が出来る。



 カガリの私服は、部屋着はゆったりとしたもの。外出用には流行りや廃れに影響されづらい服をと、全て似たり寄ったりだ。何度も買い物に行くのも面倒なので、長持ちしそうな少しお高めの店で購入しているので、品そのものはそこそこ良い。

 メイと共に外出するからと言って、気合の入った物を買うのも中学生相手に気合を入れすぎていて、それはそれで良識ある大人としてどうなのだろうと悩んだあげく、手持ちの服でどうにかする事にした。

 とりあえずはフォーマルな着こなしで、清潔感があり、品の良さがあれば問題はないだろう。冬という事も考慮して、ニット、スラックス、ジャケット、革靴という比較的無難ものでまとめた。もちろん肌着はヒートテックを着込み、靴下も厚手のものを履いた。

 財布と携帯端末とポケットティッシュやハンカチ、自宅の鍵はジャケットのポケットに仕舞えるし、後はクリスマスプレゼントの入った紙袋を持てば準備は整う。足りない物があれば、随時、出先で購入すれば問題はない。

 カガリとしては、そもそもメイは自分のファッションセンスにはそれほど期待していない気がする。

 顔を合わせるのは殆ど勤務先の病院なので、格好はやはり毎度似たり寄ったりだ。カッターシャツにスラックスに、唯一医者らしいアイテムの白衣。病院内の気温は一定に保たれているので、基本的にはこれで問題がない。

 とりあえず患者に悪い印象を与えない、清潔感のある服をと医者の当初に考えて購入してから、未だに継続中だ。考えるのが面倒なため、前の物と似たようなものを買う事になってしまう。

 後は疲労で草臥れていることを除けば、それほど悪い恰好ではない筈だと、カガリは個人的には思っている。さすがに外出時はコートを着たりはするが、基本的には年中同じ格好をしてるので、今更になって気取った服を着ていってしまうと、何事かとあらぬ誤解を与えてしまう気がするので、それは止めておく事にした。

 メイとは午前中に合流して、クリスマスミサに参加する事になっている。カガリとしてはミサに参加する事自体が初めてなので、勝手は分からないが周りに合わせておけば、大概の事は上手くいく筈なので、そこまで気負ってはいない。

 カガリと同じように見学目的での参加もそれなりに居るそうなので、慣れていない者が他に居るという点では安心した。



 そもそもカガリは宗教という物と関りが薄い。実家に居る両親や祖父母達が故郷にある寺の檀家という事で、産まれて物心が付く前にその宗派に入れられた。後はそういった行事の度に、お坊さんを呼んでお経を読んでもらうぐらいだろ。

 こういった宗教がらみの事は子供には理解するのは難しく、退屈で面倒な行事としか認識していなかったが、大人になってみると、そういった繋がりや宗教の大切さはある程度は理解できる。

 死者を弔い、故人を思い、生きている人間の心を支える。時には生きていく際の導とする。

 他人に無理矢理考えを押し付けたり、相手の弱みに付け込んで財産を接収したりしなければ、人生を豊かにしてくれる良い物だ。

 かといってカガリが熱心に信仰しているかと言えば、そうはならない。子供の頃から熱心に教え込まれたのであれば分かるが、今更心の底から信心を持てと言われてもそう上手くはいかないものだ。

 義務や義理で宗教に関わる事はあっても、カガリ自身が熱心に信仰する日はおそらくはこないと思っている。



 その点でいえば、メイは十分に信心深いと、カガリは思っている。

 時折宗教の教えを説いてくるが、それはあくまで話題の一つといった感じで、時と場合を考えてくれるし、カガリの知らない事を教えてくれるので興味もある。

 メイはカガリだけではなく、他人が自分とは異なる考えを持った存在だと理解している。好きなものも嫌いなものも、興味がある物、得意な事も苦手な事も、知識や読解力も、何もかもが違い、人間という生き物という事以外は違うのだと。

 世の中には、自分が知っている事や自分の好みが世界では当たり前だと思い込んでいる人間もいる。周りがそうだったからと言って、全員がそうだとは限らない、という事に納得をしようとしない。


 ——自分と違う考えを持つ者は間違っている。


 ——相手が野蛮だから、自分達の高尚な教えを理解しようとしない。


 そうやって自分達の文化や宗教を絶対のものとするために、武力を使って他の部族や国を襲い、脅かし、時には根絶やしにすらしてきた。

 神の名の下に、何て勝手に名を使われる神様もいい迷惑だろうと、カガリは呆れてしまった事もある。


 ——結局は人間の都合。


 いっそのこと自分達のために、と言ってしまった方が潔いとすら思ってしまう。もちろん暴力はいけない事なので、それを真っ先に振るってくる相手は無条件で拒否したい。

 人間なのだから、まずは話し合い、妥協点を見つけ、落とし所を見つけるべきだと思う。

 稀に自分の意見が通らないからと不平不満を漏らす者がいるが、そもそも何の益も無く、一方的に損をすると分かっていて、それを受け入れるものなどいないだろう。

 相手が争い事を嫌い、平穏を望んで渋々相手の意見を受け入れる事があるが、それは多少の損をしてもその後の平穏な生活を取っただけだ。

 それで相手が自分が正しいと増長させてしまう事もあるから、自分本位な相手は厄介極まりない。



 クリスマスミサの見学者の一部は別の宗教の人間で、あくまでイベントとして参加をするだけだろうが、その中の何人かは感銘を受けて改宗する可能性は大いにある。

 時と場合とその時の状態で、それをどう感じるかは変わってくる。

 もしかしたら神父の説法に感動する者や、その教えに救われたり、何か活路を見出す者がいるかもしれない。

 それが正しい形での布教だと、カガリは個人的には思っている。

 メイもそれを分かっているからか、無理に教えを説いてこようとはしない。話の流れの序でに、自分が信じる神の教えの話をする程度だ。

 年の割に大人びていて、空気を読むのが上手い。相手が飽きない程度に話をしてくれるから、彼女と話すのは嫌いではない。

 カガリとしても、自分とは違う価値観の人間と会話をして、考えのすり合わせをするのは意外と面白い。

 カガリはメイと話し、おそらくは対話とはこういう事を言うんだろうなと、一人納得をした事もある。


 その時のカガリとメイの様に、話し合いで物事を理解し合えたのであれば、どれほど世界は平和になるのだろうなと、柄にも無い事を考えてしまうぐらいには、カガリはメイと過ごす時間を気に入っていた。

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