第26話 暖かい夢を見てもいいですか?

 —―その日は町中が浮かれている。

 

赤と白、緑に黄に金。クリスマスの代名詞であるサンタクロースやトナカイ、雪やクリスマスツリーといった物に関連する色が街を彩っている。

 キラキラと光を乱反射する細工や、自ら光を放ちつつも電気代に気を使ってくれるLEDライトに、それを利用した電飾が柔らかな人工の光を放っている。

 いつもは町の景観に力を貸してくれている街路樹達も、この日ばかりは電飾を身に纏い、クリスマスツリーの仲間に加わっている。街行く人々はイルミネーションに見守られながら、家族や恋人、時には友人、行事ごとには興味が無いのか平時と変わらず過ごす人々。

 今はまだ朝の範疇なので外は明るいのだが、それでもクリスマスの雰囲気は心躍る。夜になり、イルミネーションが光を纏えば、人工の光が星の瞬きの様に美しく輝くのだろう。

 人の賑わいと共に、あちらこちらから流れてくる、クリスマスを題材にした音楽達が気分を盛り上げてくれる。


 例にもれず、メイの心はふわふわ、ふらふらとして、とても浮足立っていた。それが自分でも分かるのに、上手く制御できずに、頭の中はぐるぐると様々な感情や思考が廻っている。

 待ち合わせに指定した、レトロな雰囲気の大手のチェーンの喫茶店は、以前に遊びに行った際にイクとも来た店なので、迷うことなく辿り着く事が出来た。だが、遅刻しないようにと念のために早く出たせいで、メイは約束の時間よりずいぶんと速くついてしまっていた。

 朝のモーニングに力を入れている店なので、店内は賑わいを見せている。おそらくは自分と同じように、集合場所として利用している客もいるのだろうと、メイは手元にあるホットココアに口を付ける。

 喫茶店だというのにコーヒーの味が微妙だという話を思い出したりと、メイの思考は忙しなく、とめどない事を考え続ける。

 今日の装いはカガリは気に入ってくれるだろうかと、緊張と期待で心臓の鼓動がいつもよりも大きく聞こえる。

 けれど、今日はそれが嫌ではない。

 いつもは自分の感情を持て余す事に胸の中がもやもやして、もっとしっかりしなければと自身を叱るのだが、この日はそれが許される日だと思えた。



「——待たせてすまない。一応は集合時間より二十分は早い筈なんだが」


「いえ。年上を待たせるのは礼儀に反します。それに、私が誘ったのですから、お医者様を待つのは当然の事だと思います」


 背筋をまっすぐに伸ばして胸を張る少女の姿は、大人びた台詞に反して、背伸びをしているのが分かって可愛らしい。本人としては大人っぽく見せて、未成年の子供相手にカガリがいつも感じている引け目を、今日ぐらいは少しは減らして欲しいという期待を込めている。

 けれど、カガリの目には、大人びた雰囲気の少女にしか見えていないので、残念ながら期待外れなのだが、それとは別に彼は十分にメイの年相応の美しさを感じているので、その点では成功している。


 清潔感のある柔らかそうな白いニットと、脚が動く度にふわりと揺れるグレーのチュールスカートが、メイの少女らしい可愛らしさと、大人びた凛とした雰囲気に良く似合っている。

 空いている席には白い手袋とキャラメル色のコートと鞄と紙袋が置かれ、足元は黒いタイツに覆われていて、きちんと防寒対策をしている事を確認して、カガリはこれならば風邪を引く事も無いだろうと安心する。

 年頃の少女を半日預かるのだから、彼女の体を気遣うのは当たり前の事であり、何よりメイの心の傷は完全には癒えていないのだから、心の安寧を保つためには体の健康も大切だ。


「俺はあまり女性の服には詳しくは無いが—―とても、よく似合っている」


 飾り気のないシンプルな誉め言葉。カガリらしい不器用ながらも精一杯の言葉に、メイは蕾が綻ぶように、ふわりと笑った。


 今日のカガリの服装は、メイが初めて目にするものだ。元より顔を合わせるのが病院か、その近辺なので、基本的にはほぼ同じような格好をしている。

 けれど今日はニットとジャケットとスラックスに革靴というフォーマルな装いをしている。紺色のコートを羽織り、革製の手袋をはめており、きっちりとした服に身を固めている様は隙が無く、いつもの草臥れた雰囲気とは全く違う。


「お医者様も、とてもお似合いですよ。仕事ができる男性に見えます」


 いつもはよれたシャツと白衣姿ばかり見せていた自覚があるので、カガリは苦笑を浮かべて、曖昧にお茶を濁すしかない。メイもそれを分かっているらしく、ふくみ笑みを浮かべている。


「……せっかく時間に余裕があるですから、ご一緒しませんか?」


 元よりクリスマスミサの開始時刻よりも、十分な猶予を持って間に合うように予定を組んでいるので、今から向かうと少し早すぎる。


 目的の教会で行われるクリスマスミサは人気があり、毎年多くの人が訪れる。さらに言えばミサの都合上、敬虔な信徒たちが優先されるので、見学者はほぼ座れずに後ろの方で立ったまま参加する事になる。

 正確な人数制限は無いが、流石にミサを執り行うのを支障をきたす事態は避けるので、ある程度人が入ってしまえば扉が閉められてしまう。

 だからと言って開始前から長蛇の列など作れば、近隣住民や歩行者の邪魔になるので、そういった行為は止める様にと教会からのお達しもあるので、入場が始まる少し前の時間に到着をしたいとメイは考えていた。


「そうだな。俺もこの店に来るのは久しぶりだ」


 その事はカガリにも伝えてあったので、メイの意見に賛同して頷き、着ていたコートと手袋を外し、簡単に畳んでから二人掛けの席の空いている場所に紙袋と共に置き、メイの正面に座る。

 カガリは備え付けのメニューを手に取って中を改める。


「……ここは軽食の量が多い事で有名だからな。さすがにこの時間帯に食べると昼食に差し障りがあるし……、まあ、無難に飲み物にでもしておくか」


 この店のおすすめメニューと言えど、この真冬に冷たい飲み物は遠慮したいので、無難にホットコーヒーを頼む事にしたのだが、適当に捲った先で見た店の名物商品を見て視線が止まる。


「……せっかく来たんだから、小さいサイズならいけるか……」


 正直な所、カガリは大概は多忙なので、次にいつ来店するか分からないので、店の名物のデザートを食べておきたいと欲求に駆られてしまう。

 空腹の度合いからして十分に入るし、昼食にはそこまで影響はないのだが、お腹が膨れた状態の歩き回るのはあまり好きではないので、カガリは暫し逡巡してしまう。


「では、私と半分こにしませんか?」


 いつもよりも幼く見えるカガリの表情を、楽しげに眺めていたメイが提案してきた。カガリの視線がメニューからメイへと移り、少し躊躇う様子を見せる。


「あー、何というか、俺の我がままみたいなものだし、気を使わなくても良い。それで昼食に差し障りがあると困るしな」


 さすがに中学生に気を使われるのは、カガリのなけなしのプライドとしても、それなりに思う所がある。


「無理はしていませんよ。朝食もトーストと果物を少々でしたし、時間も経っているので小腹が空いていた所です。正直に言うと、私も店に来た時に何か頼もうかとも思たのですが、お腹がいっぱいになったり、サービスだとはいっても食べきれなかった分を持ち帰るのも、これから出歩くこと考えると困るので止めておきました」


 メイの言い分はもっともな意見で、これからクリスマスの町へと繰り出すのには都合が悪い。

 どうやらメイが気を使っているわけでもなく、事実を述べているだけだと分かり、カガリは彼女の提案に乗らせてもらう事にした。

 丁度クリスマス仕様の期間限定品が、メニュ-表にでかでかと写真が載っていたので、それを一つ注文する事にした。序でに、とり皿を頼む事も忘れない。


 店内は相変わらずのゆったりとした雰囲気で、それとなくクリスマス関連の小物やオーナメントが飾られているが、店の素朴な雰囲気を壊さないように配慮されている。会話の邪魔にならない程度の音量のクリスマスソングが背景音楽として流れ、会話を楽しみながらも、クリスマスの雰囲気をそっと醸し出してくれる。

 他の客達も大抵がきっちりとした服装で、この日に向けて気合を入れてきた事が察せられる。


「……そういえばプレゼントの交換は、昼食の時にした方が良いのか?それだと一旦どこかのコインロッカーに預けた方が良いか……」


 あまりこういったイベントごとには縁がなく、はしゃいだ記憶が高校生以降無いため、カガリは合理性で考えてしまう。

 せっかくのプレゼントなのだから、出来るだけ綺麗な状態で渡したい。それなりの人混みが予想される場所に行く事を考えると、一時的にどこかに預けておく方が無難だろう。


「……そうですね。折角なのですから、ランチの後に交換した方が良いかもしれません。その方が落ち着いて話せますし」


 メイ自身も、それほどこういった雰囲気に慣れているわけではない。折角なのだからその場の雰囲気を楽しむために、心配事は減らしておいた方が良いと考えた。

 人込みでプレゼントを守る事に意識を割きたくはないが、折角の包装をぐちゃぐちゃにはしたくない。カガリもメイも、それが偶然であり、不本意な出来事による弊害であれば、多少プレゼントが傷ついてもそれほど気にはしないが、折角送るのだから万全の状態で渡したい。


 そんな話をしているうちに、注文した商品が席へと届けられた。

 通常のものよりも飾り付けが華やかで、クリスマスカラーを意識している。カガリはカラトリーからナイフとフォークを取り出して、少し勿体ないが中心部から真っ二つにして、片方を取り皿へとそっと移す。その際にトッピングを崩さないよう気を遣う事も忘れてはいけない。確かに味と値段も大切だが、見た目だって食欲を増進させてくれる大切なものだ。

 カガリが取り分けてくれたデザートは、出来るだけ元の状態の雰囲気を損なわないようにとの配慮が見られ、一目見れば元の全体像を把握する事が出来る。

 メイはカガリが真面目な顔つきで、丁寧に取り分ける様子を眺めていた。いつもは自身の身だしなみには気を遣わないくせに、こういった事にはやたら慎重になる。

 取り分ける手つきも繊細で、日頃病院でカガリが他者に対してどう接しているのかが垣間見える気がした。


 不意にメイは窓の外の景色へと目をやると、そこには想像通りの、平穏だけれど特別な日を楽しんでいる人達が、当たり前のようにそこに居る。

 いつもはその人の群れからはぐれてしまい、たった一人でそれを遠くから眺めている。その群れが楽しそうに過ごし、当たり前のように家族達と笑い合っているのを見ると、その中で独り孤独に佇んでいる自分を想像してしまい、胸をかきむしりたい衝動に駆られてしまう。

 近づきたいと、その群れの一員になりたいと思いながらも、どうしても二の足を踏んでしまう。


 —―メイはすでに火の暖かさを知っている。故に火から離れては生きていけない。けれど、同時に火の恐ろしさも知っている。

 だからこそ、火を囲んでその温かさでのんびりと過ごす人たちを羨みながらも、その火が突然消えてしまうかもしれないという恐怖に駆られてしまう。


 だというのに、今日はその群れの一員として、暖かな火の傍で、その恩恵を受ける事が出来ている。

 ゆらゆらと、煌々と燃える焚火を囲み、美味しい食事をを口にして、暖に身を任せながら、誰かの話を聞きながら、うとうとと微睡むような幸せを確かに感じている。


「一応半分に分けたが、多かったら遠慮なく言って欲しい。残すのも持ち帰るのも、今日は避けたいしな」


 そっと押し出された皿がテーブルの上を滑り、メイの目の前へと配膳される。メイが顔を上げて前を向くと、そこには当然のようにカガリが座っている。優しい目をして、メイが応えるのを静かに待っていてくれる。


……ああ、だから今日の私は、群れの中で火に当たる事が出来ているのか。


「ありがとうございます。—―お医者様」


 メイは半分越したデザートの乗った皿を受け取り、嬉しさに頬を赤らめて、ふわりと柔らかな微笑みを浮かべた。

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