第24話 名前を呼んでいいですか?
——とある昼下がりの午後、メイは姿見の前で自分の着ている服を繰り返し確認していた。
隣で佇んでいるイクは微笑ましさ半分、呆れ半分といった様子だ。友人の服を選ぶのを手伝って欲しいという頼み事を叶えるため、彼女の買い物に付き合わされた彼氏の如く、その様子を見守っている。
「個人的には、それで良いと思うよ。わたしもあんまり服には詳しくないけど、普通に清楚なお嬢様って感じが天草に良く似合っていると思う」
先ほどから試着室に服を持ち込み、服を着替えてはカーテンを全開にしてイクに見せて感想を聞くという事を何度も繰り返している。
本人の主張する通り、イクはあまり服に拘りがない。制服以外は大抵は大衆向けブランドで適当に見繕った物を着まわしている。家にまつわる厳かな場では、その道のプロが全て用意してくれるため、彼女が頭を悩ませる必要が無いのだ。
一方メイもこれといって拘りが強いわけではなく、清潔で場の雰囲気に会う服装であれば何でも良いといったスタンスだ。実際にメイの好みの色や柄であれば、後はお値段との相談となるし、何度かイクと共に大衆向けブランドでシャツやカーディガンやスカートの類を見繕った事もある。
あまり派手なものは好まないし、かといって地味すぎるのも良くはない。
メイは散々迷ったあげく、グレーのチュールスカートに白のニットを合わせる事にした。後は黒いタイツとベージュの鞄にショートブーツでまとめようと決めた。ヒールの高い靴で少しでも大人っぽくならないかとも考えたが、イクに慣れない靴は止めた方が良いと至極納得の意見により、正気に戻って普段から慣れているものにする事にした。
さんざん悩んだあげくに、最初に手に取った物へと戻ってきた事にイクは苦笑するしかなかったのだが、そこは心の中だけにしておいた。
さんざん買い物につき合わせた代わりに、お昼のランチを奢る約束をしていたので、新品の服が入った袋を抱えたメイの足取りは軽く、イクと共に飲食店へと移動する。
もちろん中学生のお小遣いでも賄える範囲のお店だ。それでも近くの会社勤めのОL達に人気らしく、そこそこ混んでいた。だが運良く短めの待ち時間で、店員に席へと案内された。
メイは魚介類をふんだんに使ったペスカトーレとレタスやプチトマトやアボカドのサラダのセット。イクはお腹が空いたからと、がっつりとした肉料理が食べたいとロコモコを頼んだ。
一応はここはパスタが美味しいと評判だとは聞いていたのだが、それでもロコモコを選ぶあたりはイクらしいと言える。
お冷やで乾いた喉を潤し、おしぼりで丁寧に手を拭いたりしているうちに、頼んだ商品が運ばれてきた。
エビとイカとムール貝とパスタをトマトソースで絡めた逸品は、目にするだけでも食欲をそそる。魚介の旨味が染み出たトマトソースが絶品で、赤い中に散らされた綺麗な緑色のパセリも良いアクセントになっていて、思わずメイの口元に笑みが浮かんでしまう。
イクの頼んだロコモコとて、十分に食欲をそそる見た目をしている。ご飯の上にハンバーグにデミグラスソースがかけられ、上には目玉焼きが乗せられている。トマトにレタスアボカドが綺麗盛られているので見た目にも鮮やかだ。
メイは食べる事は好きだが、量はそこまで入らないため、ペスカトーレとサラダで十分に満足できる。パスタは食べやすいし味や種類も沢山あるので選ぶ楽しみもあるが、如何せん店屋のパスタは量が少ない。
予想通りメイの方が先に食べ終わってしまったので、ゆっくりとお冷やを飲みながら待つ事にした。
イクは日頃はメイと食べる量はさほど変わらないが、食べようと思えばもっと食べられると普段から言ってはいたが、それを目の前にするとやはり感心をしてしまう。状況に応じて食べる量を増やしたり減らしたり出来るのは、純粋に羨ましいとメイは思っている。彼女だって、美味しい物は少し多めに食べたいと思う事ぐらい幾らでもある。
イクの食べ方は箸を使おうがナイフとフォークを使おうが、素人目に見ても所作が美しく気品を感じるのは、やはり幼い頃よりしっかりとした教育を受けているからだろう。
あまり興味がない服選びにも付き合ってくれる、度量の広い気の良い友人と出会えたことに、メイは心の中で神様に感謝を述べた。
楽しい時間が過ぎ去るのは早く感じると言うが、最近のメイはそれを良く実感している。カガリと会話する時も、イクと共に過ごす時間も、他の出来事よりもずっと早く終わってしまっている気がしてしまう。
楽しい時間が早く終わってしまうのは錯覚で、変わらない日常が続くという事も錯覚なのだと、メイはきっと誰よりも理解している。
「——島原さんは、とっても優しい人だと思う」
「え?何?急に褒められる理由が分からなくて、何かあるのかと疑っちゃいそうになるんだけど……」
学校の寮へと向かう帰り道、街路樹に囲まれた緩い坂を上りながら、メイはため息を吐くように呟いた。
突然向けられた讃辞に、イクは目を瞬かせてメイの横顔をまじまじと見つめる。
メイはとても可愛らしい少女だと、イクは個人的には思っている。けれど、時折遠くを見つめる横顔が酷く大人びていて、同性でもドキッとさせられる時がある。おそらくは、これが性別を超えた美しさという物なんだろうと思ってはいる。
けれどイクはその美しさを好ましいとは思えないでいる。きっとそれは少女特有の不安定さや破滅願望の様なモノに由来するのだと、イクはすでに知っているからだ。
——退廃的な美しさは酷く人を魅了する。
けれど、周りの人間達はそんな物を望んではいない。きっと——絶対に、幸せだと心から笑う姿の方がずっと綺麗なはずだからだ。
メイはとてもしっかりしているように見えて、その実とても脆い。綺麗に咲き誇る花に触れてしまえば、それが散ってしまうのではと不安に思うような気分に近い。
「——だって、私の事情を知っていても、詮索する事も無く、普通の友人として付き合ってくれている。そういうものを全てのみ込んでおける、とても強い人」
絹のように美しい烏の濡れ羽色の髪が、するりとメイの肩から零れ落ちる。首を傾げて微笑みかける少女は、天使のように慈愛に満ちていて、悪魔の様に蠱惑的だ。
けれど生憎と、イクはそういったモノへの耐性は同年代よりもずっと強い。
「ああー。ごめんね。気が付いているとは思っていたんだけど……気分は良くないでしょ?」
「いいえ。それなりに良い家の出の子の交友関係を調べるのは、親としても惣領としても仕方がない事だと思っている。……むしろ、いちいち交友関係を調べられる島原さんの方が大変だと思うけど」
先ほどの倒錯的な微笑みなど微塵も感じさせることなく、メイは苦笑を浮かべて労わりの言葉を向けてくれる。痛くない腹を探られても平気だと、強がっているようにしかイクには感じられない。
メイが他人に知られたくないと思っているのは確かだが、それは後ろめたいからでも、哀れまれるのが嫌というわけでもなく、単純に彼女自身が完全に受け入れられていないから。
もちろん好奇に目に晒されるのも嫌ではあるが、それはどちらかといえば他人に現実を見ろと強要されるのが耐えられないからでしかない。
メイは本当に少しずつ顔を上げて、ゆっくりと前へと踏み出そうとしている所なのだ。誰かに無理矢理背中を押されてしまうと、バランスを崩して再び倒れ込んでしまうかもしれない。そうした時にもう一度、立ち上がる力が自分に残っている保証などどこにも無い。
その点でいえば、この女学校の寮生活はメイにとって良い環境だったのだろう。普通の一般的な中学生には少々きつい環境かもしれないが、礼節と節制をもって必要な知識と礼儀作法を学ぶこの学校は、お互いの距離をしっかりと測る人間ばかりだ。
例え生徒の背景を知った所で、その生徒が正しく在ろうとすればそれを受け入れて平等に扱ってくれる。もちろん人間なのだから感情や趣味嗜好もある筈だが、それ等に惑わされる事が無いのは、それは信仰心共に生きる教師達だからこそ。産まれも育ちも関係なく、生徒個人を見てくれる。
宗教には良い所も悪い所ももちろんある。けれど、神の下ではみな平等という文言を歌い、それによって救われる人間がいるのであれば、きっとそれは間違いではない筈だ。
人間は火が無ければ生きていけないが、火の中では生きていけない。結局の所はそれらをどう受け止めて、どういう風に使い、どういう風に伝えて、どうやって共に生きていくかでしかない。
「まあ、人によっては過剰に嫌がる人もいるのも事実だし、嫌がる気持ちも分かるしね。探られて困る事が無くても、他人に不躾に見られたり、何でもかんでも知られるのは生理的に嫌でしょう?私は割り切っているけど、それを他人に強要はしたくない」
「島原さんの、無理に他人と迎合しようとしない所、とても良いと思う。まあ、それも時と場合によるのだろうけど」
ただ褒めるだけでなく、被る損害の可能性を示唆してくるメイに、イクは肩を竦める。
「まあ、そこは日本人らしく空気を読むしかない。後は時世の流れを読む力を鍛える事にするから問題ない」
はっきりと言い切ってしまうあたりが彼女らしいと、メイは口元に笑みを浮かべる。
「わたしは天草の事を色々知っていとはいえ、所詮は紙の上に書かれた文字の情報に過ぎないから。大切のなのは生ものでしょう?少なくもとわたしが知っているのは今の天草だけだし、過去の事ごちゃごちゃいったところで、付き合い方を変えるつもりはわたしには無いし」
「……紙の上の文字……アナログなまま?デジタルには移行しないの?試しに読むだけなら電子書籍も悪くないと思う」
「——そっちの話?」
メイはこの話はもうおしまいだと遠回しに伝えてきたので、話を始めた本人がそういうならそれで良いかと、イクは空気を読んで大人しく引き下がった。
「島原さんは明日には帰省するのでしょう?準備で忙しいのに、今日は付き合ってくれてありがとう」
改めて丁寧に伝えられた礼に気恥しくなり、イクは視線を丘から望む街並みへと向ける。
「準備はすでにばっちりだから大丈夫。天草はクリスマスの日だっけ?」
今日の買い物がクリスマスの日に着るための服である事は、メイから直接聞いていたのでイクは、お世話になっている長崎夫妻徒のクリスマスパーティーのための物かとも思ったが、メイの気合の入れようを見る限り、何となく違う気がしている。
……けれどそれを聞くのも野暮だろう。
次の日の朝、前以って出発の日を聞いていたため、メイは準備していたクリスマスプレゼントを手渡しした。どうやら同じことを考えていたらしく、イクからもクリスマスプレゼントが渡され、意図せずプレゼント交換で今年の直接的な付き合いをしめる事になった。
大きなカバンを一つ背負ったイクの背後には正門があり、その向こうには彼女を迎えに来た両親と車が停止しているのが見える。
あまり待たせるのも悪いので、少しの寂しさを覚えながらもメイは微笑んで彼女を送り出す。
「良いお年を迎えられますように。また来年会いましょう。イクさん」
いたずらっぽく笑うメイに一瞬虚を突かれたが、イクはすぐに立て直していつも通りに笑って手を振った。
「良いお年を。メイも来年もよろしく」
ようやく名前で呼び合う事が出来たと、メイもイクも今年の目標を達成できたことに満足をして、きっと来年もいい年になる筈だと、やってくる次の年に思いを馳せながら笑顔で別れる事が出来た。
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