第20話 正しく在れば、心は満たされるのでしょうか?
——正しく在り続ければ、天国への門は開かれるのでしょうか。
メイはとある授業の課題をこなすために、イクと共に図書館にある長机の一角に居た。課題は翻訳された外国の物語の感想文。日本の物語との違いを意識して書くようにとのお達しを受けていた。
前以って教師が似たようなあらすじの本を選んでいてくれている。課題となる本は様々な種類があるのだが、それらを読んで感想文を書く事になっていたので、課題の本はおおむね貸し出されてしまっている。
やはり真面目な校風な事もあり、早々に課題を終わらそうとする生徒が多い。
幸いにもメイとイクは課題の本が返却された所に出くわし、二人でそれぞれ借りて回し読みをした後、課題を終わらしてそのまま本を返してしまおうという事になり、今こうして図書館で課題に取り掛かっていた。
課題の期間は一か月ほどあるので、そう焦る事は無いのだが、早々に課題をこなしてしまった方が何かと都合が良かった。
……何より、余計な事を考えずに済む。
少し前にメイは過呼吸を起こして短期入院をする羽目になってしまい、保護者である長崎夫妻に心配をさせてしまったし、そこに出くわしたイクにも迷惑をかけてしまった。もちろんどちらも、メイが健康であればそれで良いと言ってはくれたが、それでも負担をかけてしまった事がメイの心の中に溜まり、時折不甲斐ない自分が情けなくなってしまう。
早く立派な大人になって、カガリの隣を歩けるような人間になりたいと、常々思っているメイとしては歯がゆくて仕方がない。
「——というか……今回の課題の作品、恋愛を絡めてくるものが多い。なんか翻訳されていても、外国の価値観というか、感情の激しさにちょっと引いてしまう」
図書館という場所という事でいつもよりも声量を下げたイクは、メイの隣でげんなりとした表情でぼやいた。
「それは同感。別に悪いわけではないのだけれど……何というか、情熱的というか、熱量が大きいというか……。もちろん日本の恋愛小説もそういうモノはあるのだけれど、お国柄なのか、遠回しで控えめな感じはする。後、夢見がち」
「まあー、それはねー。折角なんだから、作者の夢を詰め込みたかったんだと思うよ」
「言葉が足りなくて、すれ違ってやきもきするのは同じだけれど、外国の人の方が行動が極端な気がする。ヒロインのキャラが大概似たような感じだし、……後、眠らないためにコーラを飲むっていうのが」
日本人ならば、眠らないために呑むのは大概はコーヒーが定番なのだが、なぜかコーラを飲むシーンがあって、メイは首を傾げてしまった。
「あー、まあ、国によっては常飲している所もあるし、あれも結構カフェインが含まれているから」
「私は炭酸系飲料はあまり飲まないから」
「意外と美味しいの多いよ。炭酸も弱めの物も多いし」
偶に話が別の方向へとそれるのは、落ちを求めずに取り留めのない雑談を好む女性特有なのだろうかと思い、メイは思って話の方向を修正する。あくまで課題についての意見の交換が目的なのだ。
「恋愛が切欠で、国や一族が滅ぶは話も多いから、昔からそうなのかな」
「まあ、私からすれば、不倫とかが切欠に過ぎなくて、元から色々と不平不満が溜まってたという話だろうけど」
さすがに恋愛で自分のみならず、国が荒れる事になると分かっていて突き進む時点で、その人は人の上に立つ者としては不合格だと、イクは嘲笑を口に浮かべた。
「一時期流行ったネット小説で、悪役令嬢モノってあったでしょう?あれとか最たるものでしょう。上に立つものが政略結婚するのなんて、あの世界観的には普通だし、物語の中でもそう書かれている場合が多いのに、それでもやらかすんだから」
「所謂、下克上、そのカタルシスを楽しむものだからね。実際問題、国を治める立場の者が、その場の勢いで行動していたら、国なんて成り立たない。——けど、昔からファム・ファタール……『運命の女』にロマンを持つ人は一定数いる」
「お国の利益になる相手を婚姻を結ぶのも、ある意味王族としての宿命みたいなものだと思うけど」
国への献身に対する対価が、一般人よりも良い教養と生活なのだから、王族もそんなに楽ではない。庶民が王族に入った所で、それにふさわしい教養を身につけ、価値観を変えるまでに、どれほどの苦労をする羽目になるかと考えると、やはり生まれと育ちはある程度釣り合いが取れている方が良いと、メイ自身も考えている。
自らの努力でそれらを身に着けて、価値観を変えていけるのであれば問題は無いが、知識や教養が違えば話も合わなくなってくるはずだ。
少なくとも日本では義務教育の恩恵により、国民の殆どは最低限の教養を身に着けている。昨今は高校も殆ど義務教育と言っていいほどだ。
それでも地域格差によって、同じ高卒でも話が合わないなんてことは多々ある。それが良いと思う人もいるのだろうが、それは片方がある程度相手に合わせて我慢をする事が出来る度量を持ち合わせているからで、その我慢が限界を迎えた時に、愛情という物が枯渇してしまうのだろう。
自然体でいられる相手という相手が、どれほど希少で、それに巡り合えるかはまさに運次第。
「……歳の差って、どのぐらいまでならば許容できる?」
恋愛の話になったのを良い事に、メイは最近の悩みに関する質問をそれとなくイクに振ってみる。今している雑談の延長だと思ったのか、イクの視線が広げていた本の方へと向き、僅かに逡巡して、すぐにメイの方へと戻ってくる。
「まあ、個人的な意見を言えば……ギリギリ十歳ぐらいかな……。もちろん、大の大人が年端の行かない未成年に手を出すのは問答無用で犯罪だとは思う」
イクの十歳ぐらいの所で、メイは少し顔を上げて「二・三歳は誤差の内」と心の中で呟き、成人と未成年の交際で難色を示したために、僅かにだが後ろめたさを感じて視線をそらしてしまう。
「あまり離れるのは宜しくはないとは思うけど、成人した同士なら、周りに迷惑さえかけなければ本人同士次第じゃないかな?未成年相手と成人相手で、その辺りの倫理観も変わってくるだろうし」
イクが問題視しているのは社会経験に乏しく、保護者を必要とする未成年を相手にする場合で、両方人生経験を積んだうえでの合意であれば、それなりに許容できる範囲は広いらしい。
メイとしては、とりあえずは社会的にも立派な大人になる事は決めているので、その事にほっと胸を撫で下ろした。
メイとて年頃の少女で、仲のいい友達との付き合いを大切にしたいとは思っているし、自分にとって大切な事を理解して欲しいと思っている。もちろん一方的に、自分の価値観を押し付けてきたり、こちらをいいように扱おうとする『友人』はお断りだ。
「——偉そうなことを言ったけれど、私人は今の所は恋愛に対して、それほど興味はないかな。ここがそういう校風で女子だけっていうのもあるけど、自分が好みの男性と付き合う未来が全く想像できない」
イク自身、恋愛に対して全く興味が持てず、それの延長線上にある結婚など遠い世界の事でしかない。姉夫婦たちの様に、仲睦まじく、お互い見栄を張らずに自然体で、尊重し合える相手が居れば、きっと人生は温かく豊かなものになるとは思っている。
けれど、実際問題、ずっと人生を共に歩んでいく相手と、巡り合える人間がどれほどいるのだろうか。
人間はどうやっても環境によって変わってしまう。今は良くても、何時かは対立して、お互いの事を拒絶し合う事になるかもしれない。
「今の所は、学業を平穏無事に終える事が優先だしね」
やはりイクは自分よりもずっと老成しているなと、メイは素直に感心してしまう。それなりに子供の頃から色々な経験を積んできた名家の人間ともなると、自分などよりもずっと先の事を考えて生きている。だからこそ、刹那的な恋愛に希望を持てないのだろう。
一方で自分はどうだろうかと思考を巡らしてみれば、目の前の事をこなしていく事で精一杯で、視野狭窄に陥っている自覚はある。頭では分かっていても、心が付いて行かない事に、メイはいつもやきもきしてしまう。
……もし、自分がひとまわりも年上の男性相手に懸想していると告げたら、彼女はどんな反応をするだろうか?
できれば肯定して欲しいとは思ってはいるが、おそらくイクは率直に反対を表明するだろう。空気を読んで黙る事はあるけれど、無駄な嘘や建前は苦手らしい。だから、おそらくはメイの話を一通り聞いたのち、自分の意見として賛成できないと告げる事は容易に想像できる。
子供の頃からしっかりとした教育を受けてきたせいか、一般常識から大きくそれる事を忌避しているきらいがあるのは、友人しての付き合いの中で感じていた。
年相応の嘘や火遊びを避け、大人としての対応を心がけている様子からして、通常の学校に通えば周りとの空気が合わずに、息苦しい生活を余儀なくされる事が予想できる。表面上は取り繕い、つかず離れずの距離感を持って学生生活を終えることは出来ても、自分らしさを押し込めて周りに合わせるだけの生活は、まさに灰色の青春と言っても間違いではない筈だ。
その分、この学校は家の都合などで、精神年齢が高めの生徒が多い。仲良しこよしを強制するのではなく、社会勉強の一環として程よい人間関係を構築しているため、相手が望む距離感を保つように皆が心掛けている。
故に、濃厚な人付き合いをする事は難しいが、そもそも通常の公立の学校で出来上がった人間関係は、学校卒業とともにそのほとんどはリセットされる。
小学校、中学校、高校と刻み、社会人となった時に、どれほどの友人が傍に残っているのだろうか。
……出来る事であれば、彼女の友情が長く続いて欲しい。
無理に距離を詰めようとせず、こちらが望んだ距離を測りながら、ゆっくりと近づいてその空気に慣れるまで待っていてくれる。
そんな気遣いのできる友人に、何時かカガリの事を話せる日が来ることを、メイは切に願った。
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