第19話 思い出してくれますか?

 ——とても懐かしい夢を見た。

 夢の中では妹がいて、一緒に街を歩いている。街路樹に飾られたライトがきらきらと瞬き、「星みたいで綺麗」と、子供の様に騒ぐ妹の気分は最高潮の様だった。

 暫くすると妹は石畳の濃い色だけ踏んで進み始めた。これは妹の幼い頃からの気分が良い時に出る癖で、横断歩道は白い所だけ歩くし、色違いの床は数の少ない方を伝って進む。流石に届かない距離だったり、途中で途切れていれば少し不満そうにしながらも、さっさと諦めて元通りに歩き始める。

 妹は自分よりもずっと行動的で、近場で開かれる祭りやイベントごとに詳しく、小さな物まで率先して参加していた。中学生ともなればそれなりに友達がいるらしく、良く連れ立ってイベントに参加する様にはなったが、暗い時間や近所で行われる小さな集まりには兄である自分が誘われた。

 予定がなければできるだけ妹に付き合っていたが、今にして思えば出不精の兄の身を案じてくれていたのかもしれない。

 面倒くさいと思う事もあったが、それでもしぶしぶでも妹に付き合っていたのは、単純に肉親の情であったのは確かだった。高校生にもなれば反抗期を迎えるものらしいのだが、自分も妹もこれといってそれらしいものはなく、お互いの心地よい距離感を自然と取りながら、それでも家族仲よく過ごしていた。

 ——大切な妹だった。

 それは間違いなく断言できる。決して失われる事なく、大人になって独り立ちをしても、実家の行事や長期休暇には実家に戻って、顔を突き合わせて近況報告をしたり、顔を合わせなくとも定期的に軽い連絡を取り合って、お互いが平穏無事だと教え合うのだと思っていた。

 周囲に広がる煌びやかなイルミネーションや、赤や緑の多い町の賑わいは、クリスマスの物だとぼんやりと考えていた。

 ……そういえば、あの子との約束はいつだったか。

 そんな考えが脳裏に浮かび、目の前の光景に違和感を覚えた。

 毎年似た様な光景で、けれど見る度に綺麗だと感心していた事を覚えている。分厚い上着を着た重装備の人もいれば、折角だからと寒さに耐えておしゃれする人もいて、みんな楽しそうの笑っている。

 自分の少し先を行く妹が振り返りながら声をかけてきた。

「どうしたの——?」

 妹が発した言葉なのは分かる。けれど、どんな声で言葉を紡いだかが分からない。心なしか妹の表情がぎこちない。姿形は間違いなく妹だというのに、どうしてか絵をつなげたパラパラ漫画を見ている様に、動きが鈍い。

 そこでようやく、カガリは違和感の正体に気が付いた。

 ……ああ。これは夢か。だって、妹が生きている筈がないのだから。

 そこ周囲の景色が揺らぎ、ぼんやりと不鮮明なものになっていく。イルミネーションの光が星の様に遠くで瞬いている。

 ——人間は声から忘れていく。

 そんな言葉を思い出し、カガリは夢から覚めていった。


 周りに半ば無理矢理に取らされた休暇。どうやらカガリ自身が思うよりも、酷い顔色をしていたらしい。過呼吸で卒倒するほど急激なものではないが、じりじりとトラウマによるストレスがカガリの体を蝕んでいたらしい。

 メイの心配が先になり、自分の体調に気が付く余裕がなかったのは、自分の不徳の致すところだ。

 マリとの付き合いは高校生だった頃からで、この道に進むきっかけの一つと言っていい。

 本当は医者を目指すか、精神科医を目指すか迷っていたのだが、マリにこちらの世界は貴方には向いていないと指摘されて諦めた。精神科に掛かるという事は、そもそも精神的に不安定な部分があるし、患者のトラウマに正面から関わらないといけない。感受性が高いととてもじゃないが心が持たないし、抱え込んでしまう質のカガリには向いていない。カガリの方が病んでしまうのがおちだとはっきり言われた。

 もちろん医者は色んな背景を持った者達を、患者として区別なく受け入れる。人間性や支払いの有無は後から来るもので、必要であればどんな人間——例えば犯罪者であっても受け入れて治療を施さなければいけない。

 マリには外科医は特に止めた方が良いと忠告された。そもそも一般的な患者相手でも、それなりのリスクを背負っている。大きな手術となれば、全力で立ち向かっても、必ず成功するわけではない。

 医者は『必ずや絶対などという言葉は使ってはいけない』などと、先輩にもさんざん釘を刺された。この国の医療水準は高いが、それでも手の施しようがない患者も、運が悪いとしか言いようのない患者もいる。

 産婦人科医が嫌厭されがちなのもその辺りが原因だ。確かに医者と看護師や他の医療従事者も、全力を尽くして当たるのだが、そこは人間相手。ヒューマンエラーも突発的な事故も起こる。どれだけそれらを減らそうとしても、百パーセントの安全など荒唐無稽なお伽話。

 元々出産は命がけで行う物で、それは生き物として避けようのない事。十月十日腹の中で命を育み、それを命がけで出産する。これは女性にしかできない偉業だとカガリは心から思っている。けれど、女性も一人で子を作るわけではない。男女揃ってようやく一つの命を作る。

 日本では出産死亡率が一桁を切ってら久しい。医療技術の発展、定期健診、衛生観念の高まり、医療機関での出産が当たり前になり、出産時のリスクがぐっと減った。

 それでも体にかかる負担はかなりの物で、体へのダメージの回復には五週から八週の期間が必要で、元通りになったと感じるには一年近くかかる。法律でも八週以内の就労は禁止だ。

 それでも、やはり救えない命は出てくる。これはどうしようもない事で、ましてや医者は人間で神ではない。

 患者の家族も感情の行き場がなく、八つ当たりする先が医者と病院しかないのだろう。気持ちとしては充分に理解できるが、それでただでさえ、なりてのいない産婦人科医を減らしてしまうのは本末転倒だろう。

 それは手術などでリスクが高い外科医も他人事ではない。皮膚科医など、命の危険が供わない科になろうとする人間が増えていく。

 結局の所、医者になれば、ある程度のリスクは覚悟しなければいけない。

 カガリは子供の頃は、医療従事者や教師など、人の人生に直接かかわる仕事には付きたくないと、心の底から思っていた。人の人生を左右するなど、自分には耐えられないし責任を負いたくないと。

 だというのに、今となってはどうだろう。医者になり、しかも緊急医療に携わっている。

 ……人生とは本当に分からないものだ。

 カガリはベットの上に寝転んで、そんな事を訥々と考えていたのだが、いい加減に差し迫った問題と向き合わなければいけないと、頭の隅で考えていた。


 ——クリスマスの予定をそのまま行うか、日をずらすか、中止にするか。

 メイは運び込まれた次の日には退院していった。元より念のために大事をとっての入院で、直接何か悪い所があったわけはなない。

 結局入院中はメイと会話する瞬間は無く、退院の手続きをしている様子を遠目に見たきりだった。薄情と言われても仕方がないかもしれないが、急患で忙しかった事と、カガリ自身がどういう顔をすればいいのか分からなかったため、何となく避けてしまっていた。

 ……いい年した大人が、中学生相手に何をしているのだろう。

 一人悶々と悩んでいても仕方がないと覚悟を決めて、枕元で充電中の携帯端末を手に取り、メッセージを送る事にする。通話しないのは、上手く言葉がまとまらずにグダグダになる可能性があるので、文章として書きだす事で自分の中で整理をするためだ。

 青春時代をおざなりに生きてきたせいで、情緒が育ち切っていない事が原因だと、カガリは自己分析をしてはいるが、頭では理解できでも、感情面ではそれをコントロールする事が出来ない。

 医者は勉強ばかりで、人間性があれな人が多いという話を聞いて苦笑した事があるが、カガリは別に意味で心が不安定だ。こういう時は、それとなくマリの診察の際に相談していたのだが、今入院中の相手に迷惑をかけるわけにはいかない。

 ……何とか自分一人で解決しなければ。

 自身の性格上、下手に悩むと泥沼にはまってしまう事は分かり切っていたので、最終的には思いついた簡潔な文章を完成させ、続けざまにそれを送る。

 勢いのままにやり遂げ、カガリは一息ついて携帯端末を充電器へと戻し、再びベットへと倒れこんだ。せめて睡眠の質を上げようと、少し前に買い替えたマットは程よい反発力でカガリを受け止めてくれる。

 ……そういえば、部屋に物が増えた。

 元々物持ちがいい上に出不精で、シンプルな物を好み、必要最低限困らなければいいと思っていたために、元々持ち物は少なかった。けれど最近は健康に気を遣うようになり、同僚達と話す機会が増え、メイに本を勧められたりと、色々な趣味趣向に触れて、気に入った物は購入をしたりした。

 そんな事を思いながら自身の部屋を眺めていると、携帯端末がメッセージが届いた事を知らせてくれる。

『できれば予定通りで』

 帰ってきたメッセージはカガリが送った物よりも短い。

『了解した。こういう時にどうするべきかと考えたんだが、俺はこういう事にはとんと縁がなかった。それで直接君に聞いてみる事にした。気分を害したのであれば済まない』

『いえ。私の事を気遣って下さったのでしょう?遠回しに断りを入れているとは思ってはいません。お医者様は曖昧にせずに、断る時は断るでしょう?』

 年下の女の子と相手に、逆に気を使わせてしまった事が申し訳なく思ってしまい、カガリは大きなため息を吐いた。

『じゃあ、クリスマスは予定通りに』

『はい。楽しみにしています』

 気を使わせてしまったと、カガリが悔やんでいる事を知られてしまうと、さらにメイに負担をかけてしまう。なので、下手な言葉よりも分かりやすい方が思いが伝わりやすいと判断をした。

『体調を崩さない様に気を付けて』

『はい。お医者様もご自愛ください』

 中学生相手に、他人の事よりも自分の事を気を付けてくれと心配された事に、カガリは思わず苦笑してしまう。

 大人びていてもメイは中学生で、まだ庇護されるべき子供なのだ。折角のクリスマスぐらいは、ちゃんと楽しんでほしいと、カガリは切に願った。


 カガリとの連絡を終えて、メイは寮の自室でほっと胸を撫で下ろしていた。

 カガリの性格からして、断る時は正直に伝えてくると考えていたが、それが当たっていた事にメイは心から安堵してしまう。

 確かにそう考えてはいたが、頭の隅に遠回しに断られているのではという不安は常にあった。こればっかりは自分の性格なので仕方がないと、自分自身でも思ってはいるのだが、それでもやはり不安にもなるし、そんな事を考えてしまう事に罪悪感を覚えてしまう。

 遠回しに言葉を伝えるのも、相手への気遣いではあるために、時と場合で判断が難しい。こればっかりは場数を踏んで、相手との信頼関係を結んだ上で、相手の性格から察しなければいけない。

 幸いにもカガリはそういった事は得意ではなく、言葉は選ぶが直接的にものをいう傾向にある。だからこそ付き合いが短いと、カガリを不愛想で冷たい人間だと勘違いされてしまう。

 何となくだが、カガリはメイと同じで、自分が抱えている物で手一杯で、そういった事に気を回す余裕がなかったのではないかと、メイは勝手に推測している。

 カガリは本来はそれなりに社交的で、相手の意思を尊重して気遣える人間なのではないかと、メイ自身の経験と周りの人間の話を聞いて、そう感じた。なんだかんだ職場の同僚達とは仲が良い様だし、患者からの受けも悪くないと人伝に聞いている。

 気遣いというのは難しい。使いすぎると他人行儀に思われるし、足りないと無遠慮で自分勝手な人間だと思われる。

 元より自分が人付き合いが得意ではないと自覚しているため、メイはカガリの誰にでも平等に優しくしようとする所を素直に尊敬している。不器用ではあるが、誠実だ。

 医者という職業柄、貴賎なく相手と接しなければいけないし、患者やその家族に配慮しなければいけない。けれど、医者も生活していくために、商売としても成り立たせなければいけない。

 綺麗事だけでやっていけるほど、聖職ではない事は重々理解している。

 誰にでも優しいカガリ事は好きだが、それでも彼の特別になりたいと思ってしまう。

 メイはベットに寝転がり、持っていた携帯端末に手を重ねて胸の上に置く。

 カガリは良くも悪くも常識という物に左右されやすい。だからこそ、メイが大人になって世界が広がれば、カガリよりも良い男性に出会えると思っている節がある。

 確かにメイは中学生で未成年。カガリは二十代半ば。親子ほどとまではいかないが、一回り違うのは確かに珍しい事だが、前例がないわけでもない。

 世間からすれば、カガリが責任を取らされる立場で、メイは誰かに庇護されなけば生きていけない子供。今更なのだが、カガリに迷惑をかけることは出来る限り避けたい。

 それが分かっているからこそ、メイは自分で生きていけるように強くなりたい。ちゃんとした大人になり、きちんとした職業に付けば、カガリとの仲を誰かに責められたとしても、胸を張って堂々と言い返す事が出来る。後ろめたい事など何もないのだと。

「——ままならない物ですね。お医者様」

 メイは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出し、ゆっくりと目をつむり、クリスマスの予定を思い出す。迎えるかもしれない初デートの光景を想像すると、自然と口元が綻ぶのが自分でも分かった。

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