第17話 これほどに脆いものなのでしょうか?
——十年近い付き合いとなる恩人のマリが、カガリの勤める病院へ緊急搬送された。
幸いにも命には別状なかったのだが、煙を多く吸い込んでおり、予断を許さない状態のまま、昏々と眠り続けていた。
次の日には病院へ警察官が尋ねてきた。
——例の連続放火事件の疑いが強い。
マリは集中治療室へと運ばれ、その光景をカガリは部屋の外から硝子越しに眺めながら、若い女性警察官とその上司の中年の男性警察官から、それを事務的に告げられた。
本当に頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けるんだなと、他人事のような考えが過る一方で、全くの他人事というわけでもなく、長年の癖としてポーカーフェイスを保ちながらも、カガリは酷く動揺していた。
連続放火事件——メイの家族を襲った理不尽な悲劇。彼女から大切なかけがえの家族を奪った犯人。
それがマリの身にも手を伸ばした。
「——何故?」
思わず口から零れ落ちた声に、男性警察官が反応を示した。
「……今の所は何とも。けれど、彼女の職業上、どうしてもそう言った精神的に異常をきたした人間と接しなければならないので、本人の与り知らぬところで恨みを買っている可能性もあります」
警察官の言う精神の異常をきたした人間、であった——少なくとも、カガリ自身は病名が付くほど酷くはないと思っている——カガリにそれを告げてくる。
それと同時に、カガリの脳裏にメイの儚げに微笑む顔が浮かび、懸命に立ち直おろうとする彼女を貶められた気がして、僅かにカガリの目が揺れて口元が歪む。それを目にした男性警察官は、己の失態に気が付いて慌てて謝罪をしてきた。
「——すみません!患者さん達を馬鹿にしたり、貶めつもりはなかったのですが……。……言葉が過ぎました」
男性警察官は人の良さそうな顔つきをしているが、どことなく草臥れた雰囲気を漂わせている。よくよく見ると目の下に隈があり、疲労感と哀愁がにじみ出ている。
事件の捜査で忙しいというノブチカの言葉が脳裏をよぎり、カガリは気を取り直して場を取り繕う。医者が相手に余計な不安を抱かせてしまってはいけないと、カガリは己の未熟さを痛感する。
「——いえ……。……こちこそ、変に気を使わせてしまったようで、申し訳ありません」
大の男二人がお互い頭を下げ合うのを、鉄仮面と言ってもいいほど無表情の女性警察官が無言で見守っている光景は、傍から見ればなかなかにシュールだろう。
「——それで、被害者の関係者に全員には話を聞かねばなりません。……天草メイさんと交流が深いと、彼女の保護者の長崎夫妻から聞き及んでおります」
メイの保護者というのは、彼女の両親と親しくしていた弁護士の長崎夫婦で、週に何度か携帯で連絡を取り合い、たまの休みの日には共に外出をして交流していると、カガリは世間話として耳にしていた。
カガリも何度も会って話しているが、人の良さそうな夫婦で、ふわふわとした雰囲気が人を和ませる。本人たちも日常的なトラブルの依頼をよく受けているらしく、彼らを慕う人たちも多い。
メイの両親はそれぞれ弁護士と教職についていたらしく、家庭の事情で進学を断念しようかと悩んでいた際に、色々な支援制度を調べたり、部屋を借りる際の保証人になったりしてくれたのだという。
二人が出会いもメイの両親が切欠との事で、まさしく恩師なのだと目に涙を浮かべて語っていた。
「できれば、天草さんには事件の話をしないで欲しいと、彼らからも頼まれています。未成年ですし、法と大人に守られるべき存在です」
カガリは警察官の話に、内心胸を撫で下ろしていた。カガリの脳裏をよぎるのは、初めて屋上で出会った時の人形のように無機質な瞳で佇んでいる姿。
メイのそんな姿をもう見たくないと憂いてしまうのは、致し方がないだろうとカガリはそっと目を伏せた。
「……もし、何か思い出す事がありましたらご連絡下さい。——十文字先生達には、後日改めてお伺いする事になると思います」
複数形で言われた事に引っかかりながらも、カガリはそれ以上の詮索はしない事にした。
もしかしたら、治療に当たったスタッフの事を指しているのかもしれない。そう思うのと同時に、珍しく狼狽した様子のコタロウの顔が過る。
——以前に、マリのカウンセリングを受けた帰りに、コタロウに会った時、本当に偶然だったのだろうか。もしかしたら、コタロウもマリの所へと行く道中だったのではないのだろうか。
不意にメイとコタロウの雰囲気が似ていた事を思い出し、その理由が分かった気がした。
——後日、メイが熱を出して病院へと運び込まれた。
今のご時世、事件や事故の情報は、携帯端末やパソコンで簡単に手に入る。特に検索などしなくとも、優秀なAIが使用者の傾向を読み取って、気になりそうな情報を親切に目につきやすくしてくれる。
メイは朝起きた際に、携帯端末で今朝の大まかなニュースと住んでいる地域のニュースに目を通していた。
そうなれば、マリの事件を目にするのも必然、と言っても問題はないだろう。巷を騒がせている連続放火事件の最新情報なのだから、世間の関心も高い。
保護者である長崎夫妻が、直接会って説明をしようとしていたらしいが、生憎仕事が立て込んでいたために平日には面会は叶わず、時間調整をして顔を合わせるその日の朝に、メイはその記事を読んでしまった。
結果として、メイは精神的な負荷によって体調を崩してしまった。幸いにも談話室ですぐ傍にイクがいたおかげで、すぐに人を呼んで、かかりつけの病院へと運び込む事が出来た。
元より昼食を一緒に取る約束をしていて、外出の準備をしていた長崎夫妻が連絡を受けて、すぐさま病院へと駆け付けた。
メイの症状は発熱しただけで、とりあえずは点滴を投与して一日様子を見る事になった。夫妻はほっと胸を撫で下ろし、担当してくれた医者に深々と頭を下げた。
元からメイは自身の家族を襲った悲劇が、他者の手によって引き起こされた事は、退院してすぐに夫妻から話を聞かされていた。
この時代、幾らでも情報を知る手立てが存在し、隠蔽するのは難しい。それこそ完全に俗世を離れて寺にでも籠りでもしなければ、自然と耳に入ってくる。ましてや本人に関係する重要な事であればなおの事。
夫妻は下手な情報の隠匿は碌な事にならないと、仕事柄よく知っていた。見知らぬ他人の口や、第三者の手によって書かれた文章で知るよりは、保護者である自分達の口から直接伝える事が、メイにとって一番最良だと結論付けた。
メイはもちろんショックを受けた様子で、唇を引き結び、膝の上で拳を握り締めてはいたが、顔を上げて、話を遮る事なく最後まで話を聞いていた。
その冷静で大人びた様子に、夫妻は感心するととともに、老成した彼女の様子に一抹の不安を覚えていた。子供であるうちは、子供らしくある事が一番良いと、夫妻は自分達の経験を踏まえて、そう思っている。
だからこそ、急いて大人になろうとしている少女の心を心配していた。
メイは事件の直後は、ショックで魂が抜けた様にぼんやりしていた。それでも両親の安否を繰り返し尋ねるメイを見ていて、医者と相談して、体調が落ち着いた頃に、両親の死を彼女に伝えた。
メイ自身、周りの反応から薄々は察していたのだろう。それでもその衝撃の悲しみは、他人が想像する事が出来ないほどに大きかった。メイはその場で過呼吸をおこし、気を失った。
その後は数日高熱出して寝込み、目を覚まして体調を回復した後は、言葉を発する事をしなくなった。
いつもぼんやりと窓の外を眺めているか、ベットに横たわって天井を眺めているか。話しかければ視線を向けて、無表情で軽く頷いたり首を振ったりと、必要最低限の反応を返すだけになった。点滴が外れた後は、一応は出された病院食を口にし、歩けるようになった後は、あてもなく院内を彷徨い歩いていた。まるで誰かを探しているようだと、それを見ていた看護師達は心配になって、それとなくメイの事を気にかけていた。
その頃のメイは、元々整った容姿であった事もあり、まるで、散る事を控えた淡い色の花の様に儚げて、酷く美しかった。
——しかし、ある時からメイの様子は変わった。
——正しく言えば、生気が戻り、瞳に光が宿った。
年相応の表情をして、少しずつ言葉を発する量が増え、花の蕾が綻ぶように微笑むようになった。
その切欠がカガリだと、病院スタッフが気が付くのに、そう時は掛からなかった。
カガリが休憩時間の合間を縫って、メイを見舞いに病室を訪れた時、丁度、保護者である長崎夫婦の妻が病室から出てきたところだった。
「ご無沙汰しております」
お互いの面識はあるため、すぐに頭を下げて挨拶を交わした。長崎夫人は知的で凛とした雰囲気の中にもたおやかさがあり、強く優しい働く女性という言葉がふさわしい。夫妻が揃うと、独特のふんわりと柔らかい雰囲気を纏い、場の空気を和ませてくれる。
「あの……、メイさんの容態はどうでしょうか……?」
恐る恐る問いかけてくるカガリの不安そうな様子に、虚を突かれた長崎夫人は目を瞬かせたが、すぐに我に返った。
「メイちゃんの事を気にかけて下さって、ありがとうございます。少し熱が高いですが、点滴を打ってもらってからは落ち着いています」
ほっと胸を撫で下ろすカガリの様子を観察しながら、長崎夫人は彼の顔が酷く疲れている事に気が付いていた。その事を指摘すべきかどうか逡巡していると、会話に僅かな間が生まれ、何とも言えない空気が漂ってしまう。遠くで館内放送が流れるのが聞こえ、それを合図にしたかのように、カガリが先に口を開く。
「——細川先生は昔からの知り合いでして、お世話になっています」
長崎夫人は、カガリの言葉が現在進行形である事に気が付きはしたが、本人が気が付いていない様なので、その事には触れずに返事をする。
「そうですか……。私共も、メイちゃんの事もそうですが、仕事上での面識もありましたので、今回の事は少なからず衝撃を受けています」
相槌を打つカガリは、度重なる出来事と、それに対する対応で、肉体的にも精神的にも疲れている。そのせいで隙ができ、何時もよりも対応が甘い。表情が取り繕えておらず、感情が分かりやすく表へ出ていた。
「……メイさんの様子を見ていってもいいですか?」
迷子の子供の様な目をしているカガリと、閉じられた扉の向こうに眠るメイへと交互に視線を向けてから、目元を緩ませて長崎夫人は首を縦に振る。
「もちろんです。ただ、ぐっすりと眠っているので——」
「ありがとうございます。少し、顔を見たら仕事に戻りますので」
いったん家へ着替えなどを取りに戻ると言う長崎夫人を見送り、カガリは病室の扉へと手をかけた。
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