第14話 酔いますか?
ここ最近のカガリを知っている者からすれば、彼は随分と変わったという印象を抱くだろう。
元々、カガリは仕事熱心だが、人付き合いを避けているのを皆がそれとなく察してはいた。かといって、仕事上の付き合いは真摯に向き合うし、面倒見も良い。どうしても私用で仕事を休まなければならない時は、真っ先にカガリに連絡をするぐらいには、彼は信頼されていた。
それと同時に、熱心過ぎて体調不良の際も、多少の風邪ならばマスクをして出勤してくるし、明らかにひどい隈を作っている状態でも、「大丈夫」の一言で済ます。さすがにインフルエンザなどはきっちり直してくるが、基本的には職場の同僚から目を離すのが心配だと、個人差はあれど思われていた。
けれど、仕事から離れてしまえば、カガリは他者と付き合う事をほとんどしなかった。たまの休みは家に籠っている事が多く、外に出ても必要最低限。
特にネット環境が整っている状態で、わざわざ外へ出る必要性を感じなかったことが大きい。
結果として、カガリは社畜の出不精という印象が強くなった。
けれど、ここ最近は、仕事以外の事も休憩時間などに話すし、体調が悪い日は無理をせずに素直に有休をとる。出来るだけ睡眠時間を確保するし、食事も三食きちっととるようになった。
何より雰囲気が柔らかくなったと、皆が口をそろえて言う。以前は切羽詰まって余裕のない、ピリピリとした近寄りがたい雰囲気を纏っていた。
そしてカガリの雰囲気が変わったきっかけが、患者として運ばれてきた一人の少女である事は、カガリの同僚達の間では、誰も口には出さないが周知の事実だった。
自身の事で精一杯で、職場の同僚との友好関係を築くことをしてこなかったカガリではあったが、人間的な社会生活を送るにあたって、それがとても大切な事なのだと、改めて思い知った。
もちろんカガリはそれなりの社会経験を積んできた大人だ。故に、人間関係が大切な事も、一般常識の共有、言葉を尽くして会話をする、相手の立場になって考える事、助け合いの精神など、様々な事が必要な事は頭では理解していた。
けれど、それは人生を充実して、幸せなものとして生きてい上で大切な事という話で、機械的に惰性で生きていく分には、いくつかの社会常識は必要ではない。
だからこそ、今までカガリはそれらを適当に流して生きてきた。だが、定期的な休日や休息をとるにあたって、それらは周りとの人間との協力がなければいけないのだと思い知った。
いかに周りの人間達が、カガリの体調を心配して、出来るだけ休憩をとらせるように心を配っていたのかも、気が付く事が出来た事は大きい。
故に、偶然の重なりにより、職場の同僚であるカガリ、コタロウ、ノブチカの三人で飲みに行く機会が得られた。
カガリとノブチカはクリスマスの休暇の件で揉めはしたが、話してみれば気づかいのできる人間だった。少々調子に乗る所と、良い恰好をしたがる節があり、突発的な事態になるとてんぱってしまい、他人に突っかかってしまうなど、子供っぽい所もあるが、その分素直で分かりやすい人柄をしている。
コタロウはいつも柔和な微笑みを浮かべていて、人当たりも柔らかく丁寧で、患者さんからの受けもいい。まじめに仕事をきっちりこなし、患者を助けるために真摯に仕事や相手と向き合う事の出来る。
何より、二人は優秀な医者だという事が、カガリには大きく、自身ももっと精進して奢らないようにしなければと、自分を戒めるきっかけにもなった。
久しぶりに他人と飲むお酒は美味く感じてしまい、ふわふわと心地よいよ酔いに包まれて、カガリはふわりとした微笑みを浮かべた。
会話の内容は仕事の事から始まり、休日の過ごし方、最近はまっている趣味など、共通の話題から少しずつ広がっていき、個人的なものへと変わっていく。
カガリにとってのお酒とは、付き合いでコップ一杯程度の量を飲む程度のものだった。一度、悪夢を見た時に逃避のために酒を煽った事があったのだが、次の日に二日酔いになって頭痛と吐き気に苦しんだだけで、結局は悪夢から逃れることは出来なかった。
幸い、その時の記憶から、自身が飲める量はおおよそ把握しており、年を取って多少は弱くなったのを想定して、焼き鳥を挟みながらちびちびと口の中を潤しながら、饒舌に話す同僚の話に耳を傾けていた。
「俺の彼女、警察官をしてて、昔から真っすぐで、……なんていうか、心が強い、というか。努力を惜しまないし、人にも公平に接する。——とにかくいい女なんです」
日頃、職場で惚気る事をしない反動か、ここぞとばかりに惚気話を利かせてくるノブチカに、カガリとコタロウは顔を見合わせて苦笑した。
「……でも、最近結構忙しいらしくて。一応は有名な大学とか出て、所謂エリート街道には載っているらしいけど……。……最近、物騒な火事が起こっているでしょう?」
『火事』という単語に、カガリの動きがピタッと止まる。彼の異変にすぐに気が付いたコタロウではあったが、むやみな口出しをせずに成り行きを見守る事にする。
「あー、ほら、……実は、メイちゃんの事、少し彼女から聞かれてさー。うちの病院に入院していたのは知っていたし……。彼女の所の火事、やっぱり放火らして……」
酒に酔ってはいるが、まだ十分に理性が残っているノブチカは、視線を彷徨わせながら話す言葉を選んで、出来るだけ正確に彼の持つ懸念を伝えようとする。
たまに無神経な事や、自分の都合を押し付けたりはするが、大概はその場のノリと勢いである事が殆どで、注意されればちゃんと反省はする。……懲りずに同じ失敗をやらかしてしまう事があるが、彼自身、彼女にも注意されて気を付けてはいる。
「そのうち、あんたの所にも警察がいくかもしれない。さすがに彼女の所に直接行くような真似はしないはず、とは彼女も言っていました。被害者で未成年で、カウンセリングにも通っているし……」
その連続放火事件は一年ほど前から、定期的に起こっているそうだ。それ自体はカガリも聞き及んでいた。そして、おそらくはメイと家族を襲った火事も、同一犯の犯行だろうという事も、マリから教えられている。
学校の寮にいたとしても、今の時代は完全に情報を遮断するのは難しい。被害者保護の観点から、事件の詳細はある程度は伏せられていて、彼女の事件がその連続放火事件の一つである事は、関係者以外には伏せられている状態だ。
「……まあ、どうしても病院関係者はそういった事が耳に入ってきますから。患者との付き合い方にも関係してきますし……」
コタロウが痛ましそうに顔を俯けて、手に持っているグラスに注がれた透明の酒が波打つのをじっと見つめる。
プライバシー保護の観点から、医療従事者達はそういった事に気を付けている。病院の信用問題にも伝わる。
それでも、そういった事を調べて暴こうとする人間は、世の中にはいくらでもいる。そしてそれを自らの欲に負けて漏らしてしまう人間もいる。
結局の所、各々の仕事に対する覚悟と、決まり事を守るという当たり前のモラル頼り。
「——あ、言っておくけど、俺の彼女はそういうことしないから。外部秘匿の物は、絶対に喋らないよ?酔っぱらっても漏らさないし、仕事に誇りを持っているんだよ?そういう所、格好いいよねー!」
最終的にはノブチカの彼女自慢へと戻っていく。コタロウはノブチカが飲みすぎないように、適度におつまみを進めて、お酒を水で割って薄める作業を相槌の片手間に行っているあたり、本当に人の面倒を見ることに慣れている様だった。
「……俺と彼女、小学校彼の幼馴染で、俺んとこ母子家庭で、母親が仕事に出て忙しくて、俺が寂しい時はいっつも傍に居てくれた。——中学三年生三学期の頃に初めて告白したら速攻で振られて、理由を聞いたら、俺の事、手のかかる弟の様にしか思えないって言われて……。高校生になってから学期末ごとに告白をして、きちんとした会社に就職するか、自力で大学に行くかしたら、付き合ってくれるって言ってくれて―」
「……という事は最初を含めると、十回目で成功したという事か。……それを一途と取るか、しつこいと取るか、偏執的と取るか……」
「……難しい所ですね」
いつも調子の軽いノブチカの以外の一面に、カガリとコタロウは純愛の話なのか、狂気的な話なのか、判断に困って顔を見合わせる。
「……いるよな、その彼女?こいつの妄想とかじゃないよな……?」
カガリの脳裏をよぎった可能性に、酔いの勢いもあって軽くなった口から疑念が零れ落ちてしまう。
対応に困ったカガリが戸惑う様子に、コタロウは珍しいと思いながらも、同僚の無実を証明する事にした。
「大丈夫です。少し前に、彼と彼女さんのデート現場にばったりと出くわした事がありますから。清楚な雰囲気で綺麗な方でしたよ」
「……増田、意外といろんなところで同僚と出くわしているんだな」
カガリは少し前にマリにあった帰り、コタロウにばったり出くわした事を思い出していた。休みの日は良く出歩いているらしいコタロウは、うとうとし始めたノブチカの手の中から、そっとグラスを外してテーブルの中央あたりに置いた。うっかり引っかけて中身をこぼさない様にとの配慮に、カガリは素直に関心をしてしまう。
「前から思っていたけど、面倒見が良いんだな。……弟か妹でもいるのか?」
何となく口にしてしまった問いかけだったが、コタロウはふわりと微笑んで首を横に振った。
「……いえ、下に兄弟は居ません。まあ、何と言うか……性分、みたいなものです。……十文字さんは?」
真っすぐに打ち返されてきた質問に、カガリの思い出がふわりと蘇ってくる。
「……妹が、いた」
感情表現が豊かで、社交的で、少々抜けている所がある兄を気遣うしっかり者だったなと、二度と会う事のない妹。
……よくよく考えてみると、しっかりという所以外、全くメイに似ていないな。
そんな事を考えながら、カガリのグラスに残っていたお酒の残りを飲みきる。その隣で、コタロウも残っていたおつまみを攫って食べて、皿もグラスも綺麗に空にしている。
そんなカガリの視線を感じたのか、コタロウがカガリの方を見る。何気なしに合ったコタロウの視線が、一瞬宙を彷徨い、再びカガリの元へと戻ってくる。
「……オレは姉が居ました。努力家で秀才で、面倒見も良いし、卒なく何でもこなすのですが、結構抜けている所があって、良くフォローをしていました」
コタロウの瞳が揺れて、その表情は懐かしそう穏やかなものだが、口元に微笑みは物寂しそうに、カガリには見えた。
「……何というか、お人好し……と言いますか、自分の事よりも他人の事ばかり優先して、悩み事を抱え込んでしまうので、何となく、放ってはおけませんでした」
何となくだがコタロウの姿をみていると、メイと話している時の光景が浮かんできて、既視感を覚えてしまう。
年下という事もあるが、何となくだが、しっかりしているように見えて、放ってはおけないと感じてしまい、それが先ほどコタロウ自身が語る姉の話と被っている事に気が付いて、カガリは少し可笑しくなってしまう。
思わず笑みが口から零れてしまうカガリに、コタロウは不思議そうに首を傾げてしまう。あまり、カガリから向けられた事のない、穏やかで子供を見るような表情。当のカガリはその事に気が付いていないようだが、それほど悪くないのではと思い、コタロウは微笑み返した。
その様子をぼんやりと眺めていたノブチカは、カガリとコタロウは似た者同士だなと、宵の勢いも手伝って妙におかしく感じてしまい、肩を震わせて笑ってしまう。
急に笑い出したノブチカを心配して、声をかけてくるカガリとコタロウは、やはりよく似ていた。
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