第8話 それは楽しい事ですか?
人気の恋愛小説が原作の映画は、監督も出演俳優も評価されている有名人を起用しているだけあって、なかなかの出来だった。
話の主軸自体は王道のラブストーリーで、分かりやすくて万人受けする内容だった。
——主人公はヒロインと、病院の傍にある図書館で出会う。二人とも読書好き。好きな本の傾向が同じで、図書館の利用時間がかぶっていて何度もお互いの姿を見かける。
引っ込み思案の主人公は、ヒロインがとある本を手にしていたのを切欠に気にするようになる。けれど主人公は、不審者と勘違いされる事を恐れて声をかける事が出来ないでいた。
主人公は自由業をしていたのだが、最近はスランプで仕事が上手くいかず、気分転換に図書館へと足を運んでいた。
ある時にカウンセリングのために病院を訪れた主人公は、ヒロインに声をかけられる。
ヒロインに自身を認識してもらっていた事が切欠で、主人公は少しだけ前向きになる。
その後は図書館で顔を合わせる度に、挨拶をするようになり、お勧めの本を教えるようになり、毎日一時間ほどのヒロインとの会話を支えに、主人公は少しずつ前へと歩み始める。
ヒロインは長い間病院に入院しており、医者から許された外出の時間で図書館へと足を運んでいた。
ヒロインは本を読むのが好きで、「その話の中に没入する事で夢を見ているのだ」と、主人公に話す。
「できればお気に入りの小説は完結まですべて読みたい。長い間ファンをしている作家さんの新作がなかなか出ないので待っている。好きな小説が映像化されても、ドラマならばいいが映画となるとネットで配信されるようになるまで見れない」
そんな他愛のないヒロインの話を聞くのが、主人公は気に入っていた。
ある時期から、ヒロインが図書館に来ない日がちらほら出始める。最初は週に数日あるかどうか。数日おきに一回。二日に一回。そして週に数日来るかどうか。
やがてほとんど来なくなった。
主人公はカウンセリングのために病院に訪れる度に、ヒロインの姿を探したが出会う事は無い。
落ち込む主人公の姿を見たカウンセラーが、周囲の医師たちにそれとなく話を聞いてくれて、ヒロインの容体が悪くなって、出歩く事が出来なくなったことを知る。
主人公はカウンセラーに手紙を預けて、ヒロインに渡してもらうように頼む。カウンセラーはそれを引き受けて、ヒロインも手紙のやり取りを了承して、文通が始まる。
外出する事が出来なくなったヒロインは、昔に呼んで気に入った本の感想や、自身の楽しかった思い出を書くようになり、主人公もそれに合わせて自身の思い出を話し始める。
「ようやく小説の続きが出たのだが、良い所で終わっていて気になる」「本が好きになったのは両親が読書家で、家に書庫の部屋がある」「好きな作家さんの新刊がもうすぐ出るそうだ」「図書館の本を傷つけたり、落書きする人が許せない」「最近は随分前に映像化された映画のリマスター版をよく見る」「猫が好きなのだが、アレルギーなので映像だけで我慢している」
主人公はヒロインが好きな作者の本の文庫本を、手紙と一緒に一冊ずつ送るようになる。邪魔になるのであれば、断ってほしい旨も伝える。
ヒロインは主人公に礼を伝えて「文庫本は手ごろな価格だし、軽くて小さいので場所を取らないので、自分としてはもっと読者層を増やすためにバンバン文庫化して欲しい」「電気書籍もいいが、気に入った本は形あるものとして手元に置いておきたい」
例の作家の新刊が発売される前日に、その作家のサイン入りの本がヒロインの元に届けられる。
ヒロインはそれを一気に読み終えた後、手紙を書き始める。
カウンセラーから、ヒロインが亡くなった事が伝えられて、手紙と彼が送ったサイン入りの本を手渡される。
葬儀はすでに執り行われて、主人公が送った本は棺桶に入れられてヒロインと一緒に燃やされたが、この本は主人公に渡して欲しいと、手紙と共にヒロインから頼まれた両親から受け取ったと話す。
ショックを受けた主人公だったが、何とか自宅に戻り、手紙を読む。
手紙は簡潔な内容で、今までの交流が楽しかった事と、それに対するお礼の言葉。新刊の感想と、「私は貴方の綴る物語が好きです。これからも書き続けて欲しい」と書かれていた。
主人公はヒロインが好きな作家で、スランプに陥って悩んでいた。
ヒロインとの出会いと交流で、少しずつ書けるようになり、ようやく完成した本を一番にヒロインに読者になって欲しかったが、自分がその作家だと知れてがっかりされるのが怖くて、知人の出版関係者に頼んで手に入れたと、最後の手紙で初めてヒロインに対して嘘を吐いてしまった。
それを後悔する主人公だったが、何気なしにに送り返された本を開いて、自分のサインが掛かれたページを見ると、そこには主人公のサインの隣に、すっかり見慣れたきれいな字で、ヒロインの名前が書かれていた。
ヒロインはサインの字と、主人公と交わした手紙の文字がそっくりな事に気が付いた。
本の内容は、主人公の少年が病院で出会った少女と、本と手紙をやり取りしていき、お互いの悩みや思い出を伝えあって交流していく。そして最後には、心の病気を完治した少年と、体の病気を完治した少女が、手を繋いで図書館へと入って行く所で終わる。
「本に落書きをするのは許せないと言っていたのに」と主人公が呟いて終わる。
「やっぱり映像と音楽の美しさに定評がある監督さんだけあって、こう、なんて言うか吸い込まれて目が離せなくて、気が付いたら終わってた」
映画を見た後は近くの喫茶店での映画談義だろうと、イクが言い出したため、一番近くにあった某有名チェーン店で、おやつと一緒にお茶を飲んでいた。
「もちろんストリーも大切だけど、映像にするんだったら小説とは違う表現をして欲しいよね。私、あらすじしか知らなかったけど、やっぱりどういう風に撮って、どういう風に編集してまとめるかって、重要だよね。どういう演技をするか、表情に声に動作。BGMもそれを助けて、さらに見る側に耳からも訴えてくる感じ」
まだ映画を見た興奮が冷めやらぬイクは、いつよりも早口で饒舌に語る。
「途中から交流が手紙の文通になって、お互いの思い出を伝えあうのは良かった。きっと、お互いの思い出を共有したかったんだなって」
「……ヒロインは自分が長くない事はそれとなく分かっていただろうから、自分という人間がいて生きていた事を、家族以外の誰かに覚えて欲しかったんじゃないかな」
喫茶店の中はログハウス調で木を多用しており、天井も高く、広い空間を大人の視線の高さに合わせた仕切りによって分けられている。店内には話の邪魔にならないように、けれど別の席の会話が隣席に届くのを阻害するように、丁度いい音量で落ち着いた音楽が流されている。
「あー、何かで見たけど『自分の綺麗姿を覚えていて欲しかった』とかいう言葉があったな。でも、私も同感かもね。そりゃあ、最後まで一緒に居たいけど、苦しんで弱っていく姿を見せたいか、見たいかと言われれば、正直悩むかな」
ひとしきり喋った後、二人はそれぞれの飲み物で喉を潤した。一応はコーヒーの方が売りなのだが、メイはコーヒーがあまり好きではないので、メニューに大きく書かれていたクリームソーダを注文してみた。透き通る緑色の中で炭酸の泡と氷が揺れ動き、水面に浮かぶバニラアイスがゆっくりと溶けていく。アイスの頂上にのせられたサクランボの赤色が少し愛らしい。
一方イクはせっかくだからとコーヒーを頼み、ミルクと砂糖をたっぷりと入れた。水面で渦を巻いて交わっていくのを眺めた後、頃合いを見てゆっくりと味わう。
一緒に頼んだ名物の焼き菓子は、ミニサイズでも結構大きい。期間限定のものと通常のものを頼んで、口に入れる前に半分に切って交換する。
あまり食べると、帰る時に動くのがきつくなるので、相談して少し控えめにした。あくまで映画が目的であって、喫茶店での談義はオマケ。序でに帰りに何か美味しそうな物があったら、味見をする余裕を残しておきたかった。
「……でも、序盤で、主人公がヒロインの好きな小説家なんだろうなとは思っていたけど、やっぱりその通りだった」
「ああー。それね。私はその新刊の小説家と、続刊が出てこない小説家のどっちだろう、と思っていた。まあ、主人公がカウンセラーとスランプがどうこう話していたし」
カウンセラーという言葉で、メイはもうすぐ行かなくてはいけないなとふと思った。実際にカウンセリングの様子を見た時、部屋の中もカウンセラーと主人公の性別も違うというのに、マリとメイの姿が一瞬浮かび上がって見えた。
「他人に相談して解決するわけでもないけれど、話して自分の中で整理して客観的に見て考えるのが大切らしいから」
メイは焼き菓子をフォークで一口サイズに切り分けて、添え付けのホイップクリームをつけて口に運ぶ。柵っという触感とクリームの滑らかな舌触りと、それぞれの甘さが口に広がり、香ばしい風味がそれを手助けする。
「まあね。一番良くないのは抱え込む事らしいから。コマーシャルでも、偶に流れているし「一人で悩まないで」て」
雑談の話が逸れて別の方向へ行くのは、よくある事。
「……そういえば、何時だったかな。通り魔をした犯人が動機を聞かれた際に、『死にたくて、他人を指して捕まれば、死刑になると思った』とか言っていたら、それを見た人が『死にたいのならば、他人を巻き込まずに一人で死ねばいいのに』と言って、非難を受けた事があったでしょう?」
「——ああ、あったね。そういう相談窓口をしている団体からもクレームが入ったとか」
事件自体は一月近く報道されていたのだが、その発言云々の報道は数日ほどしか取り上げられていなかったので、メイはそれとなくイクがその報道を知っているかどうか尋ねたのだが、それは杞憂だったらしい。
「そう、それ。けどね、前提条件として、命は尊くて、守るべきもの、大切にするものでしょう?死なないにこしたことは無いし、相談して解決できるならば、それが良いに決まっている。けど、命を大切にするのは、『当たり前』の事でしょう。その一人で死ねばいいと言った人は、別に犯人の命がどうでもいいわけではなくて、死なないにこした事はないけど、それでもどうしても死ぬのであれば他人を巻き込むな。というニュアンスで言っていたと、私は捉えていたの」
自死というのはキリスト教的には大罪で、問答無用で地獄行きだ。それがどれだけの苦悩と苦痛の上での結果なのか、当人にしか分からない事だろう。
「——けどね、『そんな酷い事を言うな』『冷たい』だの言う人がいて、私は首を傾げたの。命が尊いのは、人間社会で生きている限りは根底にある物でしょう?けれど、その犯人は無関係の人を傷つけて殺した。犯人が一人で死んでいれば、その人達は助かったわけでしょう?一人の命と、複数人の命。どちらを優先するかは明らかなのに……」
「まあ、世の中には、額面通りにしか受け取れない人は沢山いるからね。前提条件として、『命は大切』『他人に迷惑をかけない』『犯罪はしない』、という常識がある事を忘れているのか、気が付いていないのか分からないけど」
少なくとも日本の一般家庭で普通に学校に通って育てば、当たり前に身につくはずの常識。
メイも気が付いた時には、当たり前の事として考えていた事。けれど、それを失念してしまう事は生きていればある事だし、人間は間違えるし、忘れてしまう生き物だ。
出来うる限り気を付けて、他人に迷惑をかけないように、悪人はならないように生きていくものだと、メイは何となく思っている。
少し話が逸れすぎたと思い、メイは話題を戻す。
「……話は戻るけれど、原作を読んでいた時、ヒロインは何時主人公の正体に気が付くんだろうと思っていたの」
「あれ、いいよね。納得するかどうかは個人差だからおいておいても、手紙の筆跡が同じで気が付くっていうの。こう、何ていうか、きっと主人公の事が好きで、だから書いている文字も好きで、感みたいなものが働いたって感じがして」
「うん。文字って、ずっと昔から情報を残したり、伝えるために使われてきて、本が好きな者同士が、文字で通じ合うのって、凄く良い」
「きっと、新刊のサイン本も、他意は無くて、好きな人に喜んでもらいたいのと、病気が治って幸せになるっていう話で、ヒロインの事を勇気づけたかったのかなって」
イクがメイと同じ意見を口にしたのが嬉しくて、メイは大きく頷くと、溶けかけのアイスをスプーンですくって口に運ぶ。バニラの良い香りと、冷たい滑らかな感触、それと少量のソーダの炭酸が混じりあう。
「……でも、少しぐらいは、ヒロインに自分の事を気が付いて欲しいっていう下心もあったんじゃないかなって、思う私は、少し性格が悪いかな?」
人間である以上、純粋な愛情だけを持つのは難しい。世の中の神様だって、純粋な思いだけで動けるどうか怪しいものだと、メイは個人的に思っている。
「あー、かもしれないね。やっぱり、好きな人に好かれたいとか、褒められたいとかいうのは誰しも思う事だもんね。積極的に伝えようとはしていないだろうけど……」
「……主人公は、自分がヒロインに好かれているっていう確信が持てなかったんじゃないかな。少なくとも、好意の類は持たれているのは分かっていただろうけど。……だから、最後に些細な嘘を吐いてしまった」
主人公はヒロインに対しては、最初からずっと誠実だった。言い辛い事はそう正直に伝えていたし、嘘らしい嘘はついていない。ヒロインの事情も、無理に探ろうとはせずに、彼女の意思に任せていた。
けれど、主人公はヒロインにがっかりされるのが怖かった。自分が彼女の好きな作家だと知られて、イメージと違うと彼女に失望されるのが何よりも怖かったのだろう。
「けど、ヒロインはそれに気が付いて、主人公が彼女を喜ばせようとしているのも、元気づけようとしているのも分かっていたんだろうね。まあ、行動を見ていたら、悪い人には思えないしね」
「……他の主人公から貰った本は一緒に火葬されたけど、サイン本は自分の名前をサインの横に書いて主人公に返したのは、自分の事を覚えていて欲しかったからだと私は思う」
イクは焼き菓子を交互に食べて、通常のものと期間限定のものとの味の違いを楽しんでいる。どちらも美味しいのだが、イクとしては通常のものの方が好ましい。
「私は、ヒロインが主人公の意図に気が付いて、これは自分と主人公の物語だって伝えるために描いたのかと思った」
「……なるほど、確かにそう解釈もできる。主人公が書いた小説のモデルは、明らかにヒロインだっただろうし」
緑色のソーダをストローで吸い上げるのを一旦やめて、メイは感慨深そうに頷く。
「途中で本を丁寧に扱わないといけないと、ヒロインは熱弁していた。本に落書きをするのが許せない。さらに、公共の図書館の本を傷つけるのはなおの事許せない。——落書き、とは違うとは思うけど、最後にヒロイン自ら本に手を加えている。自分の心情を曲げてしまうぐらいに、主人公に何かを伝えたかった」
メイが手に持っていたストローをくるくると回すと、緑色のソーダと氷が渦を巻いて動く。
「……正直な所、私は死にオチっていうのが、あまり好きではないの。もちろん、話として必要な事はあるけれど、こういう病院が舞台の話は、大概主人公化ヒロインのどちらかが亡くなってしまう。……一昔前に、素人小説が流行った時に、やたらめったら主人公たちが不幸な目にあう話ばかりが増えて、辟易した事があるの。やっぱりね、理不尽な不幸や、お涙頂戴のための死にオチはちょっとね……」
メイの両親も相当な読書家で、ジャンルなどはあまり気にしていなかったため、その中には流行っているからという理由で購入された物もあった。購入したのだからと最後まではちゃんと読むが、両親もメイも一度読んだきりになっているものも数多くあった。
元よりファンの作家や気に入った作品は、保存用と使用用途二冊買ってカバーを付けていたぐらいには、家族そろって読書家だった。
「ああいう小説は、素人が書いたからこその発想と読みやすさ、みたいなものが売りだろうからね。素人が読んでも意味が分からなかったり、稚拙すぎて読み辛いものも多かったけど」
気が付けばテーブルの上にあった焼き菓子は綺麗に無くなり、飲み物もすっかり飲み終えていた。
「食べて一休みした事だし、そろそろお会計して出ようか」
二人は席から立ち上がり、隣の席に置いていた荷物を持ち、伝票を持ってレジに行き、お代を清算してから喫茶店を出た。
外に出た瞬間の日光が眩しくて、メイは目を顰めて顔を逸らした。やはり店の中とは違って外は肌寒く、メイは来ていた上着のボタンを上まで留める。
「丁度、いい感じに日も落ちてきたし、そろそろ帰ろうか」
メイとイクは、目的のバス停まで並んで歩き始める。
背筋をまっすぐに伸ばして、姿勢良く歩くイクの様子を、メイはちらりと伺う。
もちろん育ちもあるのだろうが、真っ直ぐに自分で歩くイクの事を、メイは眩しくて、羨ましいと思う。
季節は初冬を迎えて、街路樹は光合成を諦めて落ち葉を散らし、日没も速くなっていく。歩道を行きかう通行人たちの装いも防寒着へと変わり、立ち並ぶ店先も冬本番へ向けての商戦が始まっている。
例え、メイが足を止めた所で、周りの世界は変わらずに時の中を流れていく。
抱えた荷物の重さに諦めてその場に立ち止まるのと、重い荷物を背負って苦しみながら歩き続けるのと、どちらがマシなのだろうかと、メイはぼんやりと考えながら帰路へと着いた。
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