第7話 恋をするのは幸せな事ですか?
とある休日に、メイとイクは学校に外出届を出して、町の中心部へと赴いていた。
数日前の事、談話室で寛いでいたメイの元に遅れてイクが現れた。家族からの連絡があり、少しの間部屋で通話をしていたと話し、イクは次の休日の予定を尋ねてきた。
「これといって予定はない……、かな。当日になって外出したくなる可能性はあるけれど、基本的には本でも読んで過ごすつもり」
あまり意味もなくふらりと出歩く、という事をあまりしないメイは、必要が無ければ外出をほとんどしない。カウンセリングの日は別ではあるが。
一応は学校の敷地にある礼拝堂へ赴くことはあるし、図書館を利用する事はあるのだが、必要な物は購買部で買えるし、そこで買えない者はネット注文すればいい。寮監に中を確認はされるが、疚しい物を買う事など無いので問題は無い。
「実はね、姉が知人から映画のチケットを貰ったらしいんだけど、……生憎、姉も義兄も忙しいから行けなさそうで、良ければ友人を誘って行って来いって言われたの」
メイは以前、イクから実家は所謂大地主で、不動産関係の仕事を一族で経営していると聞いていた事を思い出した。そのため、母と姉は経営者として顔が広くて、そのオマケとしてイク自身も知り合いが多いとも語っていた。
「——独りで映画を見るのは別に問題ないんだけど、折角二枚チケットがあるんだから、偶には友人と青春をしても良いと思って。——というわけで、天草さんさえよければ、次の休みに一緒に映画を見に行かない?ほら、前に読んでいた小説の映画」
躊躇う事も気負う事も無く、イクはいつもと変わらない様子でメイを誘ってきた。だから、メイも有り難くその行為を受け取る事が出来た。
「——貴方が良ければ、一緒に行きたいかな」
「よし!じゃあ、決定ね」
こうしてメイとイクは二人連れ立って、繁華街を訪れていた。
休日となれば繁華街は一際賑わっていた。歩けないほどではないがよそ見をして歩けば肩をぶつけてしまうかもしれない。人の動きを気にしつつも、通りに並ぶ店屋を眺めながらメイはイクに尋ねてみた。
「……そういえば、お姉さんとは仲が良いの?結構、年が離れているって、前に聞いたけれど」
メイはあまりプライベートな事は聞かない事にはしているが、折角だから映画のチケットをくれた人の事に興味が出てきていた。
「——あー、……私と姉さんは干支が一緒、といえば分かるかな?私も随分と年が離れているな、とはたまに思う」
「確かに、少し離れているかも。確か、二人姉妹だったよね?」
メイは一人っ子で、親せきに年の近い子はいるのだが、会うのは正月とお盆ぐらいだ。メイの家はキリスト教を信仰はしていたが、母方の実家は普通に仏教徒だったはずだ。メイたち家族は親戚の行事ごとは、それに合わせて参加していた。
「そう。すっごく、出来の良い姉。ちなみにОGで、うちの学校の卒業生。中学高校で上位の成績を維持しつつ、名門の大学へ進学した。ちなみに母も祖母も卒業生。女系家族で、父さんもお祖父ちゃんも養子なの」
メイはなるほどと、素直に納得をする。自分自身の考えをしっかりと持っているイクを見ていると、何となくその一族の血を感じてしまう。
「ついでに言えば、別に女が家督を継ぐと決まっているわけではないんだけどね。それなりに歴史がある家で、争い事を避けるために、一応は、長子が跡継ぎと決まっているの」
なるほど、とメイは相槌を打ちながら話に耳を傾ていた。やはり、歴史がある家系はそれなりに大変なのだなと、ちらりとイクの横顔を見る。
「総領娘、ってやつね」
メイは少し前に本で読んだ単語を思い出して口にする。イクもその言葉に同意して頷く。
「そう。姉さんは子供の頃から優秀だったの。礼儀作法もしっかりと仕込まれているし、妹の私が言うのもなんだけど、まさに良家のお嬢様って感じ。見た目はふんわりしていて、保護欲をくすぐるみたいだけど、実際はかなり男勝りな性格をしていて、義兄さんも尻に敷かれているから」
楽しそうに姉の事を話すので、イクが姉の事を慕っているのが良く分かるなと、メイは微笑ましそうに見ていた。
「むしろ、義兄さんの方がふんわりとした天然な性格をしているよ。見た目は気難しそうに見えるのに。でもまあ、根性が据わっているから芯の通った人で、姉さんもそこに惚れたって、前に惚気られたことがあるから」
「……皆、仲良しなのは良い事」
思い出の中の両親の笑顔を思い出し、メイは物悲しい気持ちにはなったが、顔には出さないようにした。
「……んー。基本的には仲が良いし、全員大人だから、何か揉め事が会ってもお互いの妥協点を探したり、第三者の力を借りて収めたりするから。けど、まあ、いい歳こいて、いつまでも大人になれない人もいる」
「……やっぱり、人間関係は相互努力の上に成り立っているという事か」
争いも諍いも、無いにこしたことはない。けれど、やはり人間は感情を持っていて、自分自身でもコントロールできない。だからこそ、お互いが譲り合って、話し合う。相手への攻撃は、暴力であろうと経済力であろうと、どうしようもなくなった時の最後の手段なのだ。
「……ちょっと、愚痴というか悪口になってしまうけど、いい?」
その問いかけにメイは僅かに逡巡したが、すぐに結論を出して頷く。イクは少しだけ気まずそうに、けれどほっとした風に微笑んだ。
「母さんの弟——つまりは叔父さんがいるんだけど、この叔父さんの奥さんがなかなかに曲者でね。長男教っていうの?その気があってね。で、叔父さんの家の子供は二人とも男なわけ」
長男教とは文字通り、長男を優先させるといった考え方だ。一番可愛がり、お金をかけて教育をしたり、良い物を持たせたりする。そして、ゆくゆくは家の後を継がせる。
もちろん優先されて注がれた分だけ、負担や責任は大きくなるのだが、昨今は悪い意味での長男教の方が広まっている。
いってしまえば、親が長男ばかりを贔屓して可愛がり、他の兄弟達を蔑ろにする。
「さっきも言ったけど、基本的にはよほどの問題が無い限りは、家は長子が継ぐことになっているの。男女関係なくね。……けど、叔父さんの奥さんは、男である旦那が後を継ぐはずだと騒いだの。——まあ、既に母さんが後を継いで、周囲への地盤固めもとっくに済んでいたから、ただの戯言で終わったのだけど」
郷に入っては郷に従え、という言葉をメイはふと思い出しながら、相槌を打ちながら続きを促した。
「叔父さん自体はそれなりに優秀なんだけど、女に弱くて尻に敷かれているの。だから押しが弱くて、基本的には奥さんの意見に賛同してしまう。昔から、母さんにも逆らえない人だったらしいから、良くも悪くも家の家系って感じではある」
代々、女の気が強く、偶に生まれる男は大人しいとの事で、確かに悪い部分が強調されてしまったのだろう。
——結果として、不協和音の原因となってしまった。
「——で、今度は母の次の跡継ぎは、男である従弟だと主張し始めた訳」
実質、跡取りはイクの姉だ。自他ともに認めており、十分な能力を持ち合わせている。
「叔父さんは、それを諫めたりしないの?」
騒動を起こして被害を被るのは、むしろ直接の親族である叔父だろう。すでに自分達が親族から良く思われていないのは、既に痛いほど理解している筈だ。いくら気が弱いと言っても、良識ある大人であれば自分の妻を諫める筈だ。
「……惚れた弱み、かもね。実際にかなり綺麗だと思う」
こういった時に情というものは厄介だ。損をすると分かっていて、それを加味したとしても、好きな人の願いを叶えてやりたいと思うのだろう。
「……でね、今はまだ、姉さんは子供を作っていないの。仕事や地盤固めに忙しいというのもあるけれど、姉さんが子供を作りにくい体質らしくて。不妊治療にはお金と時間と凄い労力が必要なの。だから、今の所は子供を作る余裕が無い」
生まれ持っての体質はどうしようもない。周囲もその辺りは理解していて、後継ぎを急かしたり、体質の事を責めたりする人は、表立ってはいない。
……一名を除いては。
「その辺りの事を、親戚の集まりで叔父さんの奥さんが姉さんを責めた。跡取りは自分の子供になるのだから、子供達を優遇して資金援助をしろって。……まあ、結果は火を見るよりも明らかだよね。実質、縁切り状態」
さすがのメイも眉を顰めてうわーと、イクの義理の叔母の行動に引いてしまう。
どうしようもない事を責めても仕方が無いし、堂々と人の悪口を言う人は人格面に問題ありとみなされて、基本的には信用されなくなる。
「その時に、母さんが言ったの。跡継ぎは次の惣領である姉さんが決めるし、うちには妹——つまりは私ね、私以外にも他にも親類はいるからがいるから、いざとなればどうとでもなるって」
「……それって大丈夫なの?名指しをされたら、島原さんがやっかみを受けてしまうのでは?」
イクの心配を口にするメイに、イクは朗らかな笑顔を向ける。
「心配してくれて、ありがとう。けど、大丈夫。元々、私が頼んでおいたの。こういう事があったら、標的を分散させるために私の名を出してって。……ただでさえ色々と大変な時期に、姉さんにこれ以上の負担はかけたくないから」
メイは一瞬イクの母親に対して非難を覚えたが、すぐにそれを恥じた。今まで経営者として一族を率いてきた人だ。考えなしにそういった事を口にするはずも無いし、それを他人事として傍観するようなイクではないのに。
「……ごめんなさい。ちょっとお節介だった」
素直に頭を下げて謝罪をするメイに、イクは苦笑する。元より、感情を表に出さないメイではあるが、こういった時には素直に自分の非を認める事が出来る。
イクはメイのそういう素直な所が気に入っていた。
「ああ、気にしないで。愚痴を吐きたかったのは、私の方だし。悪口は巡り巡って、自分に返ってくるから、あまり人前では言わない様にとは言われているんだけどね」
イクはまだ子供で大人に庇護されるべき立場だ。いくら大人びて達観していても、心はそこまで丈夫ではない。
「母さんも言っていたけど、愚痴って人に言うと楽になるね。まあ、ほどほどにしないと、聞く方は大変だから」
「……ほどほどなら、それでいいんじゃないかな。私も、その内に愚痴を聞かせるだろうし」
そういった弱みを見せてもいい相手として、イクが信頼してくれているのが、メイには嬉しい事だった。
「——もちろん。……けど、まあ、ほどほどにね」
メイも頷いてから、話は一通り終わったので話題を変える事にする。
「イクの家は、親類が多いんだね」
「まあね。無駄に昔から続く家系だから。……ああ、ちなみに、直系で男が生まれたのって、叔父さんで八十年ぶりぐらいだって言っていたかな?」
確かにそれだけ男が生まれないとなると、女が強くもなるだろう。
「でも、叔父さんの所の子供が二人とも男だったから、割とみんな驚いていたな。再従弟ぐらいになれば、偶に生まれるかな。それでも、割合的には女が多いけど」
親族一同が集まれるほどの本家の広さが想像できずに、メイは少し気になってしまう。
「もともと、日本は女の方が強かったんだけどね。平安とかは通い婚とかいって、女の所に男が出向いていたりしていたから。女が留守を預かって、家をしっかりと守る」
「その辺りは、西洋文化の影響らしいよ。理不尽な事に、あっちでは宗教的には女に生まれた時点で、地獄行き決定だから」
メイもその辺りは未だに納得がいかないし、当時の男どもの気が知れない。絶対に仲よくはなれないだろう。
「ああ、女は男をたぶらかす、とか言うよね。誑かされる方もどうかと思うけど。結局はお稚児趣味に奔ったりしているし、意味は無いよね」
どういうわけか、大概の宗教は女人禁制だったりする。修行の妨げになるというが、そもそも煩悩を振り払えていない時点で、修行不足ではないだろう。
「——そういえば、前に恋の話をしたでしょう?」
少し前に、今回見に行く映画の原作小説を読んでいた際に、メイがイクに恋とは何だろうと疑問を投げかけた事があった。
「昔からあった事とはいえ、戦国時代とかは偉い人達は殆どが政略結婚で、恋愛結婚なんて殆ど無かったみたいだよね。個人より家の繋がり優先というか」
家の存続のためには仕方がないとはいえ、他人に決められた相手を好きになれたのだろうかと、メイは甚だ疑問だ。好きでもない相手に尽くす事が出来るのだろうかと、心底理解できないでいる。
「その辺りは現代に生まれて良かったと思うけど……。特に、人に贈った恋文を資料として衆人の目の前に晒されるのは、流石に遠慮したい」
当人たちも、送った時はそれが数百年も残り、大衆の面前に晒されるとは思いもしなかっただろう。
「恋といえば、ロミオとジュリエット。あれって出会って数日間の物語だと聞いた時は驚いた。歳も、十六歳と十三歳。いくらなんでも恋愛脳過ぎない?」
それこそ燃えがってそのまま燃え尽きた恋の話を、イクは心底理解できないらしく、その話を聞くたびに呆れてしまう。
「色んな人を巻き込んで死者を出したあげくに、勘違いで二人とも死んじゃうんだから。いくらなんでも、その場の勢いで生きすぎだと思う」
彼女の意見には、メイも八割方同意する。
「元より仲が悪かったし、当時は命が今よりも軽かったんだろうけど。ロミオはジュリエットの親類を二人殺しているし、友達をその親類に殺されているし。できれば話し合いか、せめて殴り合いの喧嘩ぐらいで止せばいいのにね。恋は盲目で頭をおかしくするし、暴力は何も生まないという、良い見本だと思う」
暴力は一番短絡的だが最終手段にするべきものだと、メイは思っている。
「先に手を出した方が悪いと思うし、——そもそも、ロミオとジュリエットが結果的に死んだ事で、長年いがみ合っていた両家が反省して仲直りをするか、甚だ疑問。今までも殺し合いは何度もしていたのに、その時の犠牲で反省はしなかったのかと」
昔に作られた作品で、今なお大勢の人に愛されているのは分かるが、登場人物達に感情移入するのは難しい。
メイのロマンの欠片もない意見に、イクも同意して大きく頷く。
この会話を第三者が聞いていれば、これから恋愛映画を見に行くような会話だろうかと首を傾げるだろう。
……けれど、きっと、二人は一緒に天国へ行きたかったのだろうと、メイは口には出さずに考えていた。
キリスト教の教義的には地獄行きなのだろうが、もし、神が二人を憐れむか、二人が罪を贖うほどの徳を積んでいれば、あるいは——。
大切な相手を失う悲しみは、とても表現し辛い。一言でいえば「とても苦しい」、だとメイは思う。
その苦しみと、これからも付き合っていかなければいけないのであれば、それは生き地獄だろう。
メイも、未だにふとした瞬間に両親を思い出して、胸が締め付けられて、呼吸が上手くできなくなる。内側から生まれてくる恐怖と悲しみが体を満たしていき、その感情に沈められて苦しくなる。
いっそのこと、全てを投げ出してしまえば楽になれるのではと、そんな考えがよぎる。
——けれど、それでは駄目なのだ。
メイは天国へ行かなければいけない。きっと両親はそこに居る筈なのだから。
——メイはカガリと共に、天国へ行きたいのだから。
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