第5話 恋の話をしませんか?

  メイが通う学び舎は、所謂、キリスト系のお嬢様学校に分類される。

 中学、高校とエスカレーター式で上がり、高い進学率とどこに出しても恥ずかしくないマナーを身に着ける事が出来る。内面も外面も美しい、優秀でどこでも活躍できる人材を育成している。

 規則はきっちりとしてはいるが、休日には申請して許可が下りれば門限内であれば外出も可能だ。日曜日には礼拝が行われているが、これは自由参加で出なかったからと言って内申に響くことは無い。

 一昔前は、大学への進学よりも、家庭に入って旦那を支えて子供を育てるために必要な能力を鍛える——所謂、花嫁修業を主軸に置いていた。けれど、時代の流れと移り変わりと共に、柔軟に変化しながらも、良き伝統を守ってきた。

 そのため、成績が優秀な者への援助は充実しており、それなりの融通も利く。

 その成績優秀者であるメイには、それなりに過ごしやすい環境だった。

 女子というのは基本的にグループを作りたがり、集団行動を好む傾向がある。単独で行動していると周りから心配されたり、空気が読めないなどと言っては遠巻きにされたりする。

 けれど、この学校はその傾向が緩いと言える。

 元より熱心な宗教家の育ちで、隣人に優しくするように教えこまれているし、元々自分の能力向上と良い大学への進学を目指しているので、他人への干渉へ時間を割くのも勿体ない。

 ちゃんと学校の規則を守り、一般常識を守って、生活で必要なある程度の人間関係を持てば、それなりに快適に学校生活を送る事が出来る。

 教師たちも人間関係でいざこざが起きないように配慮しているし、相談しやすいようにカウンセラーも用意されている。

 規則正しく、校則従って生活する事が苦でない者には、概ね過ごしやすい環境と言える。

 ——そしてそれはメイにも当てはまる事だ。

 メイは人付き合いが嫌なわけではないが、積極的に関わろうとは思わないし、誰かと群れていないと不安になる事も無いし、単独行動も苦ではない。

 話しかけられれば誠実に対応するし、頼み事もできる範囲で引き受けて、無理なものは理由を付けてやんわりと断る事にしている。

 そんなメイがこの学校で友人だと聞かれれば、肯定できる知人が一人だけいる。

 それが今、メイと共に昼食を食堂で共にしている島原イクという名の少女。彼女はメイと同じクラスで、寮も隣室で、部屋を一人で使っている。

 寮の部屋に余裕がある限りは、一人部屋でもいい事になっているので、メイもイクもそこは大変ありがたく思っている。

 四六時中他人と一緒というのは、精神的につらい。それが友人であろうとも、時には血縁だろうとも、そこは変わらない。やはり、適切な距離感と一人の時間というのは大切なものだ。

 最初は席が隣同士で、メイもイクも積極的に人に関わる事をせず、基本的には単独行動が多かったのだが、その内授業などでペアを組む事があり、自然と友人と呼べる関係に収まっていた。

 顔を合わせれば挨拶をし合い、休み時間にそれとなく会話をして、授業などで同じ班になり、食事を共にして、寮に戻って偶に携帯端末でメッセージを送り合い、偶にお勧めの小説や漫画を貸し借りして、お互いの趣味や何気ない日常の話題を話し合う。

 必要以上にお互いの事を詮索せずに、必要な時に応じて必要な情報交換をする。困っている際は、相手の予定を優先しつつも手伝いや助けを求めたり、必要かどうか尋ねたりする。

 人から見れば淡白な関係かもしれないが、メイとイクからすれば、世間の思う女子の行動や関係性は疲れるものだと思っている。

 そもそも干渉しすぎるから争い事が起きるのだから、お互いに譲り合って妥協し合って何気ない日常の時間を共有する、今の関係を二人は気に入っている。

 二人が寛いでいるのは、寮にある談話室。両性ならば自由に利用できるので完全に気を抜くことは出来ないが、本を読んだり会話するのには問題は無い。

 そして今現在、談話室にいるのはメイとイクの二人だけ。

「そういえば、この年もハロウィンは都会の方は大変だったみたい。警察も大変だよね」

 イクはタブレット端末で最近にニュースを流し読みながら、隣で本を読んでいるメイに話しかける。

「毎年やらかす人が居るしね。羽目を外さなければいいけど、その場の雰囲気でやり過ぎる事もあるから、そこは難しい問題。まあ、何でも楽しそうなら取り入れるのはこの国の良い所の一つでもあるとは思う」

「まあ、そうだね。いまいちイースターは定着していない気がするけど。……というか、この時期にこの格好は寒そうとしか思わないし」

 差し出されたタブレット端末には、季節に合わない薄着の格好の女性たちが映し出されている。

「おしゃれは我慢だとは言うけど、こんな時にその我慢を使うのはどうかと思う。そんなに肌を出して、どれだけ自信があるんだろうとは思う」

 メイからすれば、親しい人と仮装し合うのであれば分かる。だが、見知らぬ他人や顔を合わせる事が無いであろう映像の視聴者の注目を、体を張って集める意味が分からない。

「子供が仮装をして近所を回ってお菓子を貰う筈なのに、大人が騒いで、警察が出動する。まあ、ある意味トリックではあるけれど」

 器物破損という名の悪戯は、お店も一般人も警察もお断りだろう。

「その場の雰囲気って怖い。黒歴史決定じゃない」

 イクは眉を顰めて、うわーという心情を分かりやすく表現している。

「まあ、常識とモラルがどれだけ大切かという話。学校とか家で教わらなかったのか、分かっていて従わなかったのか」

 この学校は比較的平穏で、校風も締めるところは締めて緩めるところは緩めるというもので、多少の人間関係のいざこざはあれど、大事に発展する事はほとんど無い。 

 そもそもが家柄が良くて、躾がしっかりと行き届いている才女が多く、精神的にも成長が早く、他者との距離感を取るのが上手い。

 下手な社会にいる大人よりも、ずっと成熟している場合すらある。

 とはいえ全員がそうだという事は無く、年相応ならまだしも、それ以下の幼女の様に稚拙な生徒がいるのも事実だ。

 そういった問題の多い生徒は校風に馴染めずに転校するか、そういった生徒が集められたクラスに入れられて、教師から厳しい監視の目が入る事になる。

 ばらけさせるよりも一か所にまとめた方が管理がしやすいのだろうが、そこを担当するベテランの先生たちも大変だろうと、メイは教師たちを心の中でねぎらう。

「そういえば、天草さんが読んでいるのって小説?」

 不意にイクからふられた話題に対して、メイはページをめくる手を止めて、本が閉じてしまわないように指で軽く押さえながら膝の上に置いた。

 何となく思いついた話題を口にするのは女性らしいなと、メイも頭の隅で思いつつ質問に答える。

「図書館に新しく入った小説。最近映画化すると話題になっていたらしくて、さっそく注文したみたい」

 図書館は別館を一棟すべて使用しており、立派な外観と便利な設備、なかなかの蔵書量がある。学ぶために必要な専門書や資料集以外にも、有名な文豪や児童向けの文学作品、有名な賞をとった作品や、本屋大賞を取った物など多岐にわたる。

 関係者以外入室できない禁書庫には、歴史的にも貴重な古書もあるそうで、持ち出し厳禁のために偶に専門家がわざわざ訪れるほど。

 そのためか、この学校の図書館は比較的利用者が多い。タブレット端末で電子書籍を購入する事も出来るが、折角無料で利用できる施設があるのだから、利用しない手は無い。

「まあ、最近王道の恋愛小説、といったところだと思う」

 そう言いながらメイは本を持ち上げて、イクに表紙のタイトルが見えるように掲げる。それを確認したイクは、ああと小さく頷いた。

「確か……、あれでしょ?色々あって闇を抱えている主人公が、ヒロインと出会って立ち直って、青春をして、三角関係をこじらせて、くっついたと思ったら、ヒロインが病気で亡くなってしまう。それから、ヒロインの最後の願いで強く生きていこうとする感じ」

 メイ自身もまだ半分しか読んでいないが、大筋はそれとなく知っている。だが、人によってはネタバレと指摘にするかもしれないので、イクにはそれとなく指摘しておく。

「……私は気にしないけど、人によっては嫌がる人もいるから、もう少しオブラートに包んだ方が良いと思う」

「ああ……、ごめん。私もあまり気にしないから、つい。確かに、気にする人は気にするか……」

 イクは申し訳なさそうに苦笑する。彼女は良く言えば大らかで、悪く言えば大雑把な所がある。メイはその辺りがむしろ楽で付き合いやすいと思っている。

「——たまに思うけどさ、そういうのって、どうしてか恋愛至上主義ばっかり出てくるよね。『私の方が先に好きになったのに』とか言われでもね……」

「それは同感。だからどうした、としか思わないもの。好きになった後、関係を変えたくなかったり、臆病だったりで、告白もせずにずるずる来ておいて、いきなりそれを言われてもね」

 メイは割と人見知りをする方だが、覚悟さえ決まれば後は突き進むのみだと思っている。

 イクも当たって砕けろ、と日頃から思っているので、目の前でひたすら足踏みする意味が分からない。

「変わる事は恐ろしいし、失敗した際のリスクを恐れるのも分かる。けれど、代わらない物なんてほとんどない。結局の所は、怠慢ではあるとは思う」

 相手の関係性を維持する事を望んだところで、時は流れて環境は変化する。それに対応できなければ、それまでなのだろう。

「それでヒロインに当たるぐらいなら、さっさと告白して付き合っておけばいいのに、と思う。だから、少女漫画とかはほとんど読んだ事ない」

 むしろ少年誌ばかり読んでいると、イクは肩を竦める。

「——ああ、あと、学園物の恋愛話は、登場人物はどれだけ学校生活での恋愛に人生をかけているんだとか思う。子供の頃は、学校が世界の大半を占めているけど、社会に出ればその何倍もの世界が広がっているわけだし、もっといい男がごろごろいると思う。何で、そんなに面倒くさい男が良いんだとは思う」

 話として面白くするためには、事件を起こして、人間関係をかき乱す方が良いのだろうが、確かにそんなに問題だらけの相手と付き合っても、将来苦労するのが目に見えている。

「……絶対にさ、ずっとそばで支えてくれていた、幼馴染の男の子や女の子の方が性格も良いし、何気に優秀だったりするでしょう。まあ、長いこと一緒にいるせいで、家族に近くて、恋愛対象に見れないのかもしれないけど」

「……でも、そんなに良い幼馴染がいる人が、どれほどいるのかは疑問」

 メイの素朴な疑問に、イクも大きく頷く。

「普通に生活していたら、友人関係とかもそうだけど、同性との付き合いの方が多くなるものでしょう?高スペックの幼馴染がいる状況を維持できる人間が、世間にどれほどいるのか……」

 身もふたもない夢も希望も無いような会話を、メイとイクは楽しげに話している。その会話自体に大した意味はなく、何かを得ようと思っているわけではない。ただ、意味のない会話を気楽にできるのが楽しいのだ。

「……ねえ、島原さん。恋の定義って、なんだと思う」

 唐突にそんな事を尋ねたメイを良くはちらりと見たが、すぐにその話の内容を精査し始める。

「あー。確かに、難しいかも。本人が好きなのだと自覚できればそうなんだろうけど……。あー、確か昔に、恋愛中は脳内麻薬が出ているとか、テレビかなんかで見た気がする。なんか、その感覚が気持ちがいいらしいけど……」

 さすがに色気も夢も無い意見に、メイは苦笑する。

「——そういえば、昔、家族から聞いた話だけど、万葉集に出てくる歌で、恋という字を孤独の孤と悲しいという漢字を当てているものがあるって、聞いた事がある」

 イクが記憶を掘り起こそうと視線をあちこちに彷徨わせる様子を、メイは続きを待ちながらじっと見つめる。

「……孤独に相手を思い、悲しむ。求める人が傍に居ない事の悲しさや寂しさ。……定義自体は難しいけど、傍に居ない事を寂しく思うぐらい、大切な相手に向ける思いかなとは思う。傍に居たい、傍に居て欲しい。肉親とか以外で、それを他の誰より強く思う相手がいる事じゃないかな?」

 傍に居て欲しい、その言葉がメイの心の中に落ちていき、水面を揺らして、ゆっくりと沈んでいく。

「……というか、こういう話って難しい。私には、青春は今の所、無理」

 イクは自分の乙女心の無さにため息を吐く。けれど、メイにとっては数ある中の答えの一つのように思えた。

 他愛のない雑談をメイはとても楽しく思う。


  ——おそらくは十文字カガリという人間は、酷く面倒な男と言える。

 メイ自身、自分も面倒な人間という括りに入っているとは思うし、カガリはその中でもかなり面倒で付き合いにくい部類だと思っている。

 医者という事で肩書としては聞こえがいいが、その実、緊急医療に力を入れているせいで休みは少なく、本人自身が社畜と呼ばれる類な事もあり、よほど理解のある相手出ないと異性と付き合うのは難しいだろう。

 常に命がかかわる仕事のため、合理主義で現実主義。少女漫画に出てくるような、所謂かまってちゃんや、世間知らずで綺麗事ばかり主張する人間とは、正直な所、相性は悪い。

 そして何よりも、とても重い個人的な悩みを抱えているのは、彼と付き合っていればそれとなく察する事が出来る。

 それを相談もせずに自分だけで何とかしようとするのは、見ていてもやもやとするだろうし、頼ってくれない事にイライラもするだろう。

 「どうして頼ってくれないの?私はそんなに信用できない?そんなに頼りないの?」という台詞を物語の中で何度目にした事があるが、現実的に見て、一介の一般市民にはどうする事も出来ないし、何よりも大概の場合は取り返しのつかない事態ばかりだ。

 話すだけで楽になるのは確かで、メイもカウンセラーに思いついた事を話すと、心がとてもほっとする。

 けれど、カウンセラーの先生は具体的な解決策を口にする事は無く、ただひたすらにメイの話を相槌を打ちながら聞いてくれる。独り言とは違い、反応を返してくれる相手に言葉を向ける事で、心が落ち着いて、頭の中がすっきりして、自分で客観的に状況を見る事が出来るようになる。

 ——結局の所は、自分の心の問題は、どう足掻いても自分で折り合いをつけて、楽になる方へと向かう事しかできない。

 心には、精神には、記憶には、思い出には、意識には、明確な形が無い。曖昧で不、明瞭で、人によって異なる精神的な病気ほど、厄介なものは無い。

 原因を科学的にも物理的にもはっきりとさせて、それを治療するなり、取り除くなりする肉体的な病気とは違い、それに触れる事が出来るのは、その病気を患う患者自身だけ。

 きっと、自分の心は火傷でじくじくと痛んでいるのだろうと、メイは勝手に想像して思っている。

 焼けてしまった部位が無くなり、新たな肉と皮が出来上がるまで、火傷はじわじわと痛み、うっかり触れてしまうと刺すように痛み、さらに治りが遅くなってしまう。

 ……きっと自分が本当の意味で完治する事が無いのは、メイ自身が一番分かっている。

 火傷が完治しても、その痕跡はずっと残り、それを目にするたびにその時を思い出して、胸が締め付けられるように苦しくなる。

 ——傷跡を抱えたまま、それを直視しないように目を逸らして、他人の目に触れないように隠して生きていくしかない。

 ……カガリの傷跡は、どんな見た目で、どんな形をしているのだろうか?

 カガリが隠した傷跡を見たいと思ってしまうのは、傲慢で我儘で自分勝手だと分かってはいるが、メイにはその欲求を我慢する事しかできない。

「……お医者様ばかりが私の傷跡を見た事があるのは、ずるいと思います」

 カガリの傷跡を見て、触れてみたいと思うのは、恋をしているせいなのだろうか?とメイは夢の微睡み中で考えている。

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