第3話 休暇をつくってくれますか?
知人の少女メイからのお願い事、クリスマスでの休暇要請を受けて、カガリはさっそく彼の上司に打診してみる事にした。
何となくらしくない自身の行動に戸惑いを覚えて、カガリは上司と二人っきりの間を狙って、シフト調整を頼んでみた。
どうやら彼らしくない行動——珍しい事態に、上司も驚きを隠せなかったらしく、目を丸くして彼の事をまじまじと見てきた。
しかし、それなりに長い付き合いの上司は、なぜ彼がらしくない行動を起こしたのか、すぐに察しがついたらしい。平静を取り戻して、上司としての顔に戻り、休暇の申請理由を尋ねはしなかった。
上司が自分の休暇の理由を予想して、それが当たっている事に、カガリ自身も気が付いており、何となくばつが悪い。視線を彷徨わせる彼を、上司を物珍しそうに見ていた。
「まあ、いつも、他の者の予定を優先してくれていたんだ。誰も我儘だとは思わないさ。俺も上手くお予定を組んでおく」
人の良い上司は、カガリが休みを取ることに賛成だ。むしろ、有給休暇を少しは消化する様に、毎回せっついていたぐらいだ。自らの健康を気遣うようになったばかりか、自分から休みを取ろうとする様になり、その変化を歓迎していた。
……その切欠が、未成年の一回り違う少女だという事は、彼の人柄を信じて追及しないでおくことにした。
「……自分を顧みられるようになっただけ、成長したという事か」
礼をして部屋から退出していく後輩を見る上司のまなざしは、嬉しさと寂しさと申し訳なさが入り混じっていた。
カガリが休憩中に携帯端末を見ると、仕事用のフォルダとは別の場所にメールが来ていた。
仕事用のフォルダが一番多くのメールを受け取り、続いて登録外の迷惑メールや広告などが送られてくるフォルダ、そして登録された家族、友人、知人からのメール用のフォルダ。
元々人付き合いが良い方ではない上に、医師になってからは社畜をしているカガリ宛てに来る私的なメールは必要最低限だけで、アドレス帳の容量の大きさに辟易したのはかなり前の事になる。
宛名は天草。メールのタイトルがそのまま要件となっていて、本文は一言も書かれていない。
『トリック・オア・トリート』と書かれた文字が、少女からのありったけの感謝が込められている様に感じられる。
思わずにやけてしまう口元を押さえて、保存用と書かれたフォルダへと、本文の無いメールを移動させた。
やはり、大きな行事ごとの日を空けておきたい者は大勢いる。
友人、家族、恋人と様々な相手と共に、その祝日を過ごすために全員がそれなりの努力はする。けれど、それが叶う者もいれば、叶わない者もいるのが世の常だ。
特に公共施設職員や医療関係従事者は、いつ何時何が起きるか分からないために、常に誰かしらがその任を務めなくてはならない。
それはこの病院も同様で、入院患者の世話や救急外来のための人員は常に誰かしらいる。お互いが話し合い、妥協し、押し付け合い、妥協してシフトは完成していく。もちろん仕事だから仕方が無いのも確かだが、それを理由に家庭を顧みなければ、待っている未来は悲惨なものだ。
そんな家庭も恋人もいなかったカガリだったが、この仕事に就いて初めてクリスマス休暇というものを申請して勝ち取った。
今までは過ごす相手が居るものを優先させて、彼自身は適当に人員に余裕がある日を選んで休んでいたので、正直な所、彼からすれば行事ごとや祝日は平日と何ら変わらなかった。せいぜい、接する人間が少ないなという感想ぐらいだ。
先述の通り、予定を融通してくれた上司は、日頃、彼に世話になっているのだから、お互い様の精神でそれを受け入れてくれるだろうと思っていたし、良識を持っている人間であればすんなりと受け入れてくれる——はずだった。
だが、運の悪い事に、彼の職場には自己中心で他人の事を思いやれない人間が在籍していた。
十二月のシフトをを見て、すぐに彼に突っかかってきた同僚が現れたのだ。
「——十文字さん。悪いんですけど、クリスマスの日、シフト代わってくれませんか?」
その男の同僚は、所謂同期というもので、同じ頃にこの病院へと配属になった。陽キャという言葉がぴったりの男で、クリスマスやハロウィンなど、友人や恋人と騒ぐような祭日は決まって休みを取っていた。運悪く休みが取れない時は、よく彼に出勤日を代わって貰っていた。
カガリ自身、どちらかと言えば社畜と言われる分類の人間で、どちらかと言えば陰キャで仕事優先だったため、すぐにそれを了承していたのだが、この時は違った。
「……悪いが、その日は予定があるんだ。代わるのは無理だ。すまない」
いつもの様に了承してくれると思い、楽しいクリスマスを夢想していた男は、一瞬固まって、すぐに焦ったように彼に詰め寄ってきた。
「ちょ……ちょっと、待って。俺、クリスマスイブから二日間、恋人と過ごす予定なんだよ。変わってくれないと困る」
人間は予定外の事態になると、やはり誰しも焦ってしまうらしい。男の中では、カガリがすんなりと休日を代わってくれると、すでに決まっていたらしく、彼の対応に不満を露わにした。
だが、無理なものは無理で、カガリにその気はない。
「俺個人ならともかく、相手がいる予定だから、悪いが無理だ。他を当たって欲しい」
淡々としたカガリの態度に、男は顔を顰めて声を荒げた。
「——な、何言っているんだ。俺にも相手はいるんだ。もう、約束してしまったんだ。いつもは、すんなり変わってくれていたじゃないか……!」
不穏な空気を感じ取った他の同僚達が、何事かと彼らに視線を向けた。それを感じ取った医者は申し訳なく思いながら、さっさと話しを言い含める様に自身の意思を伝えたのだが、相手はそれを聞き入れようとしない。
「だ・か・ら……!俺も相手がいるの……!すでに約束したの……!あんたが代わってくれないと、俺は困るの……!」
何とか勤務日を代わって貰おうと、言い募る男に対して、カガリは淡々と同じ言葉を繰り返す。
「先ほどから伝えている通り、予定があるから無理だ。他を当たってくれ」
「何言ってんの!クリスマスなんて大概が予定を入れちゃってるもんでしょ……!代わってくれる人なんているわけない」
まるで自分が正しい事を言ってるかのように、医者の言葉を否定して、勤務日を代わろうとしない彼が悪いかのように攻め立ててくる。
さすがの言い分に、成り行きを見守っていた他の同僚が口を挟んできた。
「今、自分で言った通りに、この人にも予定が入っていて、代われないと言っているだろう。……大体、休みの予定も決まる前に約束なんてするなよ」
言葉の通り、クリスマスに予定を入れて休暇を取っている人達は、その日を楽しみに大事な日だと思っている。故に、その日に少女との予定がある彼が、それを了承する筈はない。
自分の言葉で正論を叩きつけられて、男の同僚は悔しそうに押し黙って、無言でカガリの事を睨みつけてきた。
心のどこかで、彼が自分の頼みを断らないと、根暗な彼よりも自分の方が優先されるべきだと思っていた。毎年クリスマスを共に過ごす相手もいない彼の事を、勝手に格下認定をしていた。その相手に頼みを断られた事が、悔しくて納得が出来ずにいる。
カガリ自身、何となくそうだろうなとは思っていたが、仕事には何の支障も無いし、クリスマスを共に過ごす相手がいないのは確かだったので、反論もせずに頼みを受け入れていた。相手も喜んでいるし、揉め事になるのも良くないと思って行動していたつけが、こんな所で回ってくるとは思いもよらなかった。
男はそこでようやく、他の同僚達から非難めいた視線を向けられている事に気が付いて、すごすごと引き下がっていった。
立ち去る男の背中を見送り、カガリは小さくため息を吐いた。
「——ありがとう。こっちの話が通じなくて困っていたんだ……」
カガリは延々と続きそうな生産性のない会話を断ち切ってくれた後輩に感謝を伝える。
今年になって、この病院に勤務し始めた新人の後輩は少し恥ずかしそうに微笑む。
「いえ、オレこそ……、先輩には助けて貰っていてばかりですから……」
「あいつも一応は先輩なんだが……」
肩を竦めて苦笑したカガリに習うように、後輩も肩を竦めてため息を吐いた。
「公私を分けるのは悪い事ではないとは思いますが、それを他人押し付けて迷惑をかけてしまうのは、社会人としてはどうかと思います」
先ほどの同僚は、良く言えばポジティブで明るく、物おじしない性格だ。悪く言えば、都合の悪い事からは目を逸らして逃げ、慇懃無礼な所があり、そういった礼儀を掻いて注意を受ける事も時折見受けられた。
患者は治してもらう立場であり、多少の不満は飲み込み、よほどの事が無ければ大事にはしない。……たまに、例外のモンスターペアレントが発生するが。
見た目も好青年そのもので、老若とわず女性層からは人気がある。歳など気にせずに、女性に優しくできるのは素直に関心出来るのだが、男性相手には淡白で必要最低限の会話しかしないため、そちらからの評価は微妙だ。
「悪い奴ではないんだが……」
そんなカガリの呟きに、後輩は苦笑を浮かべる。
「悪人ではないけれど、善人でもないでしょう。実際問題、十文字先生に迷惑をかけているわけですから」
割と厳しい意見に対して返答に困ったカガリは、曖昧な笑顔を浮かべて話を流した。
空気が肌寒くなったいつもの屋上で、薄明かりの広がる空の下、カガリは上着を着て、ベンチに座ってメイに連絡を付けていた。
「とりあえず、クリスマス——十二月の二十五日は休暇申請が通った。まあ、正月は出勤する事になったが……」
こういう時、日本人の楽しければ良ければいい精神によって、増えに増えまくったイベントに頭を悩ませてしまうのは、カガリだけではない筈だ。
クリスマスが終わればすぐに正月が来て、節分やバレンタインデーなど、宗教や文化の混在したカレンダーを毎年購入して、壁に飾って月ごとに捲っていく。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
メイの素直な感謝と喜びの言葉が、カガリに達成感と期待感を与えてくれる。
大の大人が少女の言葉に感情を振り回されるなんてと、今の自分を嘲笑い非難する過去の自分の声が聞こえてきたが、カガリは聞き流して流すことにした。
……後悔するのは当日を終えた後でいいだろう。
カガリはそう過去の自分に言い聞かせる。せめて当日を迎えるまでは、少女が楽しみにしている日を貶める様な、後ろ向きで暗い事は考えたくなかった。
カガリとの通話を終えたメイは、携帯端末を大切そうに胸に抱きしめた。
機械を通した時点で、それはカガリの生の声ではない。機会が合成して作った、本人に似た声でしかないのは分かっている。それでも、カガリの声は、メイの心に温かな火をかざしてくれる。
直接触れる事が出来なくても、それはゆらゆらと揺れて、曖昧な形のまま、熱というエネルギーを放っている。
メイ自身、自分の抱える思いに名前を付ける事が出来ずにいる。
そこには確かな熱と光があり、彼女が歩くために体を温めてくれて、行く先の道を照らしてくれている。
……もし、歩き切った道の先が崖であったとしても、そこから突き落として終わらせてくれる。
カガリが屋上でメイに言った言葉は、未だ色褪せずに、残響の声がいまだに響いている。
それらが無くならない限り、彼女は不確かな視界の中、不確定の未来へと歩いていくと決めていた。
「……貴方なら、私と共に、天国へ歩いてくれると、信じています」
少女にとって、それが一番大切な事なのだから。
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