第2話 お話してくれますか?

 その連絡が来たのは、所謂ハロウィンの夜の事。

 その日、医者は宿直で仮眠をとっていた。

 基本的には仕事の予定を入れて、必要最低限の休みしかとらない彼ではあったが、合間の休憩や仮眠などはしっかりと取るようにしていた。

 周りが働き詰めの彼を心配して、出来るだけ差し入れや小まめに休憩を取らせようとする事と、最近はその行為を素直に受け取り、自身の体を顧みるようになった事もあり、以前よりもずっと体調が良い事を実感していた。

 丁度、目が覚めて、意識がはっきりとするのを待って、ぼーっと天井を眺めていた時、彼の携帯端末が着信を知らせた。

 着信の音楽で、それが通話である事と、相手が『彼女』である事を医者に知らせてきた。

 その音楽が頭に直接響いている気がして、医者に覚醒を促してきた。

 ……慣れとは便利だが、恐ろしいものだ。

 そんな事を思いながら上半身を起こして、枕元に置いた携帯端末を手に取り、画面に表示されている登録された名前を確認してから、通話ボタンを押して耳に当てる。

 聞こえてきたのは最近ではすっかり聞き慣れてしまった、鈴が鳴るの様な愛らしい少女の声。

「——こんばんは、お医者様。今、お時間は宜しいでしょうか?」

 もし、医者が何らかの職務に当たっていれば、彼は携帯端末には出ない。そのまま数コールすれば、少女は今は忙しいのだと判断して、別の時間に改めてかけてくるはずだ。

 医者が通話をしている時点で、彼が休憩時間である事は少女にも察しがついたはずだが、律儀に医者の時間の心配をしてくる。そんな些細な少女の労わりと律義さが、彼には嬉しかった。

「……ああ、今は丁度休憩中だ。まだ、しばらくは余裕があるから問題は無い」

 しっかりと覚醒した医者は、壁に取り付けられた電波時計をちらりと見て時間を確認する。

「そうですか。良かったです。……世間はハロウィンで乱痴気騒ぎをしている最中だというのに、お医者様は本当に勤勉なのですね」

 少女の口から乱痴気騒ぎという単語が出た事に、医者は内心苦笑しながら、少し揶揄いを含ませて会話を続ける。

「むしろ、君ぐらいの年の子が参加する祭りじゃなかったか?まあ、日本ではすっかりコスプレパーティーの様相を呈しているから、本場の物とは全然違うだろうが」

「お医者様のいう『本場』とはどこの事を指しているのですか?南瓜のランタンを灯すアメリカですか?それともケルト——カブのランタンを灯す方でしょうか?」

 聞いた事のない話に医者は首を傾げて、「カブ?」と思わず呟いてしまい、それを拾い上げた少女が律儀に答えてくれる。

「はい。ハロウィンは元はケルト人達の祭りだったものが、アメリカで民間行事として定着した物です。死者の霊が家族の元を訪れる、例えるならば日本でのお盆ですね」

 少女の説明は簡潔で、元々そう言った知識の類を知る事が好きな傾向の医者は、相槌を打って少女に先を促した。

「死者の霊は、妖精や悪魔の姿をしていて、彼らの機嫌を損ねない様に、もてなす為にご馳走や飲み物を用意をします。子供達が悪魔やお化けの仮装をするのは、そういった死者達に気付かれない様にするためだそうです」

「……そういえば、日本でもわざと変な幼名を付けたりして、子供の健やかな成長を願ったりしていたな」

 何故、わざわざ家族を尋ねるのに怖い装いをするのか、医者には甚だ疑問ではあるのだが、そういえば、日本神話でも黄泉の国にいる神様は、かなり怖い見た目をしているので、仕方が無いのかなと思った。

「むしろキリスト教徒からすれば、明日の方が大切な日。カトリックとプロテスタントで多少差はありますが、諸聖人の日。聖人や殉教者達のために祭日だったり、死者の日として墓参りをしたりするのですが……」

 すらすらと話していた声が、キリスト教における死者の日、という単語を皮切りに澱んで小さくなっていく。医者はその事に気が付いても指摘せずに、少女が再び言葉を紡ぐのを待った。

「——少し話を戻しますと、ケルトでのハロウィンでは、カブをくりぬいて顔の形にして蝋燭を灯していたのですが、アメリカでは南瓜の方がなじみ深かったので、カボチャをくりぬいて蝋燭を灯す『ジャック・オー・ランタン』になったそうです。あれも怖がらせて追い払う魔除けの役割を持っています」

「……つまり、ハロウィン自体は、キリスト教徒は関係ないんだな?」

 何となくは知っていたが、やはりあれはキリスト教徒は無関係だったかと、医者は自身が持っていた知識を思い起こす。

「祭日が近かったり、かぶったりしているので、勘違いしている方も稀にいらっしゃるそうですが、起源は全く関係ないですね」

「まあ、日本ではあまり関係ないな。良いものなら何でも良いの精神で、節操なく色々と取り込んできたからな。神道と仏教とキリスト教の闇鍋だからな。まあ、この国の良い所だと、俺個人としては思うが。——ああ、特にクリスマスとか最たるものだろう?」

 日本でのキリスト教の祭りと言えば、やはりクリスマスだろう。

 むしろこちらの方が節操がない気がしてならないのだが、医者からすれば、今の所、聖夜を共に過ごす相手は同僚か患者ばかりなので、情報として聞き流して終わりだ。

「——そのクリスマスの事で、今日は連絡をしました」

 急に端末の向こうの声が途切れて、次に聞こえてきた声は硬いものになっていた。

「クリスマスのお昼から夕方まで、私と一緒にクリスマスを過ごしていただけませんか?」


 医者は人生で初めて異性から、クリスマスを共に過ごそうというお誘いを受けた。

 相手は一回り違う幼気な少女。

 ……事案にならないだろうか。

 医者のそんな心配と共に、嬉しそうに笑う少女の姿が脳裏をよぎる。

 少女の心遣いは嬉しく、とても好ましいものなのだが、医者はすぐに返事が出来なかった。

 返事に窮する医者の雰囲気を察した少女が、彼へ逃げ道をを用意してくれる。

「仕事で忙しいというのであれば、無理強いはしません」

 前以って用意してあった台詞なのか、先ほどまでとは違い抑揚が無く淡々としている。

 自分よりもはるかに若く、人生経験が半分程度の少女に気を使わせている事に、医者は強い罪悪感と情けなさを感じてしまう。

 少女の望みを少しだけでも叶えてやりたいという思いと、自分には誰かの幸せを願う資格などあるのだろうかという思いがよぎる。何よりも、少女と過ごす祝祭は楽しいものなのだろう夢想し、それに魅力を感じる自分が、酷く罪深くて、矮小な存在に思えてしまう。

 断りと了承の返事が同時に喉から出そうになり、相反する答えが両立できるはずもなく、結果的に容量超えてしまい、医者の思考は停滞して動きが止まる。

 そんな医者に、少女は逃げ道へと誘う。

「——お医者様が私とクリスマスを過ごしていただけないというのであれば、その日の夜に、私のピッキング技術とボルダリングの成果をお見せする事になります」

「どこに潜入する気だ……!」

 反射的に叫んでしまった医者は、慌てて声を潜めて、激しく脈打つ心臓を落ち着けようとする。

「どこにと言われましても、サンタクロースが枕元にプレゼントを置くのは、クリスマスであれば自然な事だと思いますが」

 今いる仮眠室で、寝ている自分と窓の向こうから侵入をしてくる少女の光景が浮かび、医者は頭を抱えてしまう。

 ……サンタクロースの衣装を身に纏った少女の姿が浮かんだ事は、気にしない事にする。

「保護者には前以って許可を取ってありますし、お昼にお医者様と出かけても、何ら問題は無いと思います」

 容赦なく撃ち込まれる追撃に、医者はダウン寸前だ。

「一か月半以上の余裕があれば、予定に組み込むことも不可能ではないですよね。それに丸一日というわけではなく、半日。しかも明るく、人が多い時間帯にです」

「なにを迷う事があるのですか?」と小悪魔のささやきに、医者は敗北するしかなかった。


 弾んだ声の少女と「おやすみなさい」を言い合ってから通話を終了した医者は、そのまま後ろへと倒れこむ。使い古されたベットはがっしりと医者の体を受け止める。

「……やっぱり、配達日を指定しておくんだった」

 医者——十文字カガリは後十数分の仮眠時間を確認し、携帯端末のアラームが鳴るまで目を閉じて、何も考えない事にした。


「……少し、はしゃぎすぎたかも……。お者様に子供っぽいと思われていなければいいけれど……」

 年頃の少女は年相応に、大切な相手に子供扱いされる事を気にしていた。

 彼女自身、自分が子供で保護されるべき弱い存在である事は理解しているが、必要以上に子供扱いされたくは無いと思っている。子供であるがゆえに、医者が相手をしてくれているという事実と矛盾してしまうが、少女は人間とは矛盾と無駄を楽しむ生き物だと思っているので、そこはあまり気にしない事にしている。

 ベットに腰かけていた少女は、ゆっくりと横になり、ゴロンと寝返りを打って仰向けになる。

 少女がいるのは中学校の寮の一室だ。本来は二人で一部屋で、ルームメイトが居るものなのだが、彼女が入寮した時期の関係と、彼女の抱える事情に学校側が配慮してくれたおかげで、他人目を気にすることなく広々と部屋で快適に過ごせている。

 備え付けの本棚にはたくさんの書籍が並び、机には学業に関する教科書や文房具などが仕舞われている。クローゼットには制服とその予備、後は私服と就寝時に着るパジャマ。

 時代の流れに対応して、幸い携帯端末の類は申請をすれば所持しても問題は無い。もちろん、所謂、有害情報などを防ぐために、ある程度の規制はされている。

「……お母さんとお父さんは、戻ってきてくれるのかな……?」

 死者が家族の元にやってくるハロウィン。そのような事は無いし、期待するだけ無駄で空しくなると分かっていても、——例え妖精やお化けの姿となっていたとしても、一目で良いから会いたいと思ってしまう事は止められなかった。

 クリスマスの予定は、余裕をもって連絡を入れるつもりではあったが、別に今日でなくても良かったのだ。

 ただ、何となく、医者の声が聞きたくて仕方が無くなってしまった。迷惑かもしれないと、数コールして出ないのであれば、すっぱりと諦めて、別の日に折り返そうと思っていたが、彼は彼女の呼び声に応じてくれた。

 最初に出会った時から、彼は少女が求める物をくれる。

 すでにパジャマに着替えて、就寝する用意を済ませていた少女は、柔らかく温かい布団に潜り込み、携帯端末を抱きしめるようにして眠りに付いた。

 次の日、少女は寮の管理人から、彼女当てに荷物が届いている事を知らされる。

 規則として中身を改められた後の小包を手渡されると、宛名が医者の名前である事に気が付き、はやる気持ちを抑えて速足でそれを抱えて自室へと戻る。

 部屋について鍵を開けて中に入ると、すぐに小包の中身を確認する。

「綺麗——」

 部屋の明かりを乱反射してキラキラと輝く硝子の瓶の中には、透明の包みに入れられた鮮やかな多彩な色の飴玉が詰められている。

 しっかりとした硝子の容器は質の良いもので、飴を食べ終わった後は物入として使う事が想定されているのだろう。

 少女の脳裏に、ハロウィンという単語がよぎり、昨日の医者との会話が思い出される。

 少女——天草メイは飴の入ったガラスの瓶を、宝物のように抱きしめて、頬を赤らめて幸せそうに微笑む。

「お医者様は、——本当に、私が欲しい物をくれますね」

 

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