第22話 中里さんと今カノ
もし、人生において偶然にも中里さんに会うことがあったら、私は動揺せずにいられるだろうか? と想像したことは何度もある。取り乱すことは確実だった。好きだったのだ。打ちのめされて、物理的距離を取るしか方法がなくて、泣きながら故郷に戻ったのだ。
だが、実際こうして会ってみると……ただただ、彼についてきた工藤さん? の存在に戸惑っている。彼女の意図がわからない。仕事以外で初対面の人と仲良くお酒を飲めるほど、私はフレンドリーではない。
私はスミレに責任を取らせることにして、様子見に入った。
「研修でこっちに来てるって聞いて……俺、高山の異動日いなかっただろ? だからちゃんと一度話したくてさ。よかった、元気そうで」
中里さんは私をじっと見つめて目尻を下げながらそう言い、四角いテーブルの私の右隣に座ってしまった。そして工藤さんも中里さんの隣……つまり私の正面に座った。
「そうですか。中里さんには大変お世話になりました。中里さんのご指導のおかげであっちでも業務こなせています」
「いや、それはお前が優秀だったから。高山は俺の自慢の弟子だよ」
「えっと、那智、こちらは那智と入れ違いに法人営業部に入った工藤さん。工藤さん、こっちは私の同期の高山さん」
「はじめまして」
「どうも」
「…………」
スミレがめんどくさそうに紹介してくれたが、全く話が進まない。そんな雰囲気をわかっているのかいないのか、中里さんが話しかける。
「向こうでは法人離れて個人受信担当なの? 投信研修に来たってことは」
「うーん、うちの支店は法人の規模そんなに大きくないし、私は今、窓口ですけど、人数多くないから、ピンポン押してやってきたお客さんのがなんの取引であれ、私の担当になりますね」
「そっか、高山はしっかり頑張ってんだな」
中里さんは記憶のとおりに、嬉しそうに笑った。すると、
「大変ですね。地方はなんでも屋で。専門も活かせないなんて」
ようやく口を開いた工藤さんは、なぜか謎マウントを取り、同情しているような顔を私にした。
「「は?」」
私とスミレの声が1オクターブ下がったのはしょうがない。
地方の仕事と本店の仕事、全く役割が違う。比べるなんてナンセンスだ。
どういう業務であれ、お客様に帰るとき満足してもらうよう努めること、それが全て。そしてその姿勢が結果的に営利企業である会社にも、益をもたらすのだ。
「工藤は……支店配属ないんだっけ?」
中里さんが困り顔で彼女に問う。中里さんもスミレも既に一度支店勤務を終えている。私は今回が初めてだけど、地方出身だから、支店の業務を認識し、納得していた。
「私、入社以来ずっと本店内で異動なんです」
工藤さんは少し恥ずかしそうに、でも得意げに中里さんに笑った。まあ副主任だそうだし、優秀には違いないのだろう。
「あの、地方勤務に不満があるかもしれませんが、その愚痴を中里さんにこぼすのは控えてもらえませんか? 中里さんは人がいいから、先生だったよしみで面倒見てくれるんでしょうけど、本店は高山さんほど暇じゃないんです。今日だって仕事をわざわざ切り上げさせて……」
「へ?」
今度は声がひっくり返る。
「お、おい。俺は別に」
「中里さんは優しいから、私が代わりにキッパリ言ってあげてるんです」
工藤さんは可愛らしく、口を尖らせた。
なんだこのイチャイチャは? なぜ、私は初対面の彼女にここまで因縁つけられないといけないのだろうか?
今後、彼女と業務上絡む可能性もある。舐められっぱなしでは支障がある。
私は、軽く音を立てて、ビールのグラスを置いた。
「あの、私もう帰りますから、3分だけ私の話、黙って聞いてもらえます?」
ギョッとした三人の注目が私に集まったところで、大きくため息をついて、話しだす。
「私は東京を発ってから一度も、中里さんと連絡を取っていません。そして今日も中里さんが来るなんて知らなかった。私は希望を出して故郷に異動したので、地方勤務に不満はない。親孝行できて、家業も手伝えて、最高に美味しいコーヒーを出す行きつけの店で常連さんに仲良くしてもらえて、幸せ太りしてるくらいです。これで、あなたの不安は解消されましたか?」
「だ、だって中里さんが、あなたが問題起こすからしょっちゅう気にかけて……」
「おい、高山は問題なんか起こしてないし……気にかけるのは当然だろ? 工藤、おまえどうしたの? 支店さんあっての本社だぞ?」
そこでまたドンッとグラスがテーブルに置かれた。スミレだ。
「ねえ。呼んでもいないのにやってきて、私の一番の同期にケンカ売るってないわー! 中里さん、なんでこんな久々の再会に水をさす人連れてきたの? ガッカリよ。もうおかえりください」
おしゃれなイタリアンは最悪な空気に包まれた。しかし私はこれをどうにかしようとすら思わなかった。財布を出して自分の分のお金をテーブルに置いていると、落ち着いた店のカラーにそぐわない、体育会系の声が響いた。
「ねーちゃん!」
「斗真!」
今度こそ頼りになる弟の声にホッとして、入り口に向かって振り向くと、なぜか斗真の後ろにレイもいた。二人はなんと、色違いのボーダーTシャツを着ていてちょっと吹いた。本当の兄弟みたいだ。
レイは一瞬で店内全ての人間の目をひいた。
「あれってモデルの……」
「めちゃめっちゃかっこいい……」
「ラッキー……顔ちっさ!」
客がレイを見ながらヒソヒソ話をはじめた。東京ではすでに顔が売れているようだ。
「なっちゃん!」
レイは長い足で真っ直ぐ私のもとにきて、ぎゅっとハグした。もちろん私もハグを返す。軽く店内がざわつく。ふふふ、うちの弟、カッコかわいいだろう!
「レイもお迎えに来てくれたの?」
「うん。なっちゃんスーツだ! 仕事モードカッコいい〜」
「見直して見直して! レイも元気そうでよかったあ」
「え……レイと知り合い? 本当にこの後モデルの人と用事があったの? 中里さんとじゃなくて?」
工藤さんがぶつぶつ言ってるけれど、不愉快なことっぽいので聞こえない聞こえない!
斗真は何度か食事を一緒にしたことのあるスミレに話しかけている。
「スミレさん、うーっす」
「斗真くん、ちょうどよかった。もうさっさと那智を連れて帰って。私のせいでせっかく上京した那智をイラつかせちゃったの」
「マジ? 『私失敗しないので』のスミレさんが?」
「マジ。大失敗よ。那智、ごめんね」
「ふーん」
レイは中里さんと工藤さんをチラリと見て、私のキャリーバックを抱え……顔をしかめた。
「……なっちゃん、どうしてこんな重いの?」
「実は、うちの山のタケノコがどっさり……」
「やったー! ねーちゃん、たけのこご飯作って!」
「なっちゃん、俺も、俺も!」
「はーい。下ごしらえ済みだからすぐできるよ。じゃあスミレ、またね。お勘定ここに置いとく」
私はスミレに手を振り、残りも二人に会釈して、席を立った。中里さんはひたすら困惑した顔をしていた。
赤いおしゃれなドアを抜け、騒がしい道路に出ると、ようやく力が抜けた。
「ねーちゃん、何あれ?」
「スミレと二人で軽く一杯のはずが、乱入者で参った」
三人で駅に向かって歩く。週末で大混雑の都会の人波から、大きな二人が私の両脇を歩いて守ってくれる。
「……あの男だろ、ねーちゃんが好きなやつ」
「好きだった、よ。それと、彼の今カノ」
「何それ? エグ!?」
斗真が顔を引き攣らせる。
「マジで信じられないでしょ。彼女に勝手に敵視されていじめられた。こっちは恋愛を認識された瞬間忘れられて、手すら握っていないっていうのに。斗真、慰めて。シャワーじゃなくてお風呂入れていい?」
「いいよ。ちゃんと掃除しといた。レイも泊まるっていうし」
「レイ明日お休みなの? じゃあたけのこご飯は朝ごはんにしよう」
そう言ってレイを見上げると、思いの外真面目な表情とぶつかった。
「なっちゃん、ああいう男が好みだったの?」
「好きだったんだけど……なんだかなあ。すっごく頼り甲斐があったんだよ? でも、さっきのアレで、私の見えないところでお幸せにって気持ちになった」
私を優しく指導してくれていた笑顔の中里さんを思い出し、少し胸が痛い。
「……ねーちゃん、ほんとにそう思ってるなら、スマホブロックしたほうがいいよ。絡んできそう」
斗真も深刻そうに私を見つめる。
「えー! 彼女いるのに連絡なんかしないでしょ?」
「もしかして連絡あったら、さっきの今カノがまた攻撃してくるよ」
「わ、わかった」
私は素直に中里さんとの唯一のつながりで……希望だったラインをエイッと削除した。SNSなんかは若い人に従うのが正解なのだ。
「よし、家で、飲み直そうぜ!」
「レイがいるからお酒はダメ。私が大和さん直伝の美味しいコーヒーを淹れてあげる」
「じゃあ、ケーキと焼き鳥買って帰ろう。それとたけのこご飯!!」
「すごい取り合わせ」
三人でクスクス笑って電車に乗った。斗真が目ざとく席を一つ見つけてくれて、年長者を座らせてくれた。
◇◇◇
うつらうつらと眠る那智の前に、斗真とレイは護るように立ち、吊り革を握る。
「あの男、なっちゃんをじっと見てたよね。隣の彼女じゃなくて」
「ねーちゃん、呪い消えてかわいくなったから。ねーちゃんを忘れたことは呪いでしょうがないとしても、今カノ連れてくる時点でアウト」
「なっちゃんは呪われててもかわいかったし。それに俺はたとえ呪われてても、なっちゃんを忘れたりしない」
「レイ重い!」
「俺も重いけど、たけのこもっと重い」
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