第3話 珈琲卜部
〈珈琲 卜部〉、ホームページを見る限り、普通の喫茶店だった。
メニューを押すと、店主こだわりのコーヒーと、敢えてパスタと言わず、スパゲティやサンドイッチ、ホットケーキの写真。軽食もどれも美味しそうだ。
そしてなんとこの狭いようで広い日本で同じ県!
「碧子様……」
『那智……行こう!』
碧子様と相談し、とりあえずお客さんとして訪ねることにした。
夏の終わりの土曜日、こちらに戻って買ったかわいいブルーの軽自動車で県南へ一時間ほど走り、有名な遊水池そばのショッピングセンターの大きな駐車場に車を止めて、スマホのナビを頼りに15分ほど歩くとその珈琲店はあった。まだ昼前だというのにしっかり汗をかいた。九州は平気で9月までは真夏なのである。
焦げ茶の木造のシンプルな一軒家。
入り口にやはり木の看板があり、縦書きで〈珈琲 卜部〉と書いてあるだけ。
窓はあるけれど、中の様子がわかるわけでもなく、メニューが飾られているわけでもない。
「うわー、入りにくい……」
『何を言っている? 遠路はるばるやってきたというのに?』
「うう、わかってるってば……」
日傘をたたみ、自分の身だしなみをチェックする。なんせ碧子様曰く、ここのご先祖は当時最強の神官? だったのだ。今日の装いは先日買った薄手のワンピース。仕事で使うほどカチッとしていない、元気になるように優しい黄緑の細いストライプの柄だ。とりあえず、珈琲を頼んで様子を見るだけなのだ。
ちなみに碧子様はラフな? オレンジ色の小袿スタイルだ。なんでも十二単衣はよっぽどの時しか着ないらしい。
『あの時は、那智に誠意を見せたかったから……』
そして、あの真っ白な化粧も早速やめさせた。肌に悪いよと(怨霊相手に肌に悪いも変だけど)。
碧子様は、すんなり受け入れて、今ではナチュラルメイクだ。自分でも時代遅れだ(千年ほど)と痛感していた様子。
そんな碧子様に私はもう、ほとんど悪意を持っていない。私たち一族の不幸の元凶ではあるけれど、碧子様の散々後悔し疲れ果てた表情や、失恋して自信を奪われて何もかもを諦めた様子をここ数日見て、もはや恨む気持ちなど消えてしまった。
この人は手痛い失恋した女性で、せめてこの慢性化した事態を解決しようと必死になっている。私と同じだ。
「よし。那智、行きまーす!」
『ちゃ、ちゃんと見守ってるからなっ!』
私はゴクっと生唾を飲み込みエイっと扉を開けた。
からんから〜ん、と扉の上に付けられていた小さな鐘がなった。
「いらっしゃいませ」
低い、落ち着いた男性の声に迎えられた。
室内も外観と同じく焦げ茶の磨き上げられた木の空間だった。声の主を探すと、カウンターの中に私よりも少し年上に見える、メガネをかけた、クセの強い茶髪の背の高い男の人が白シャツに黒いパンツ、腰下の黒いエプロンを身につけて立っていた。
「あ、あ、あの」
「お好きな席にどうぞ」
穏やかな、あくせくしていない声。絶対に会社勤めじゃ出せない口調。
他に客はなく、私は隅の四人掛けのテーブルに腰かけた。ドキドキしながらテーブルの上のメニューを見ていると、その男性がお冷を持ってきた。私は脳内リハーサルどおり声をかけた。
「あの、注文いいですか?」
「はい」
彼はニコッと笑い、エプロンのポケットからメモ帳を取り出した。
「ブレンドと、ホットケーキを」
「ああ、うちのホットケーキは今流行りのお洒落でフワフワなやつじゃないけど、いいかな? 間違ってもインスタ映えしないよ?」
「そこまで言われると逆に興味しか湧きません。それでよろしくです」
「じゃあ、カウンターにどうぞ、コーヒーカップを選んでね」
言われてカウンターを眺めると、向こうの壁一面に色とりどりのカップがずらりと並んでいた。
「うわー! 素敵!」
私は立ち上がってカウンターに歩み寄り、身を乗り出して端からじっくり吟味する。華奢なもの、ゴツイもの、平たいもの、背の高いもの。
せっかくだから、普段の自分が選ばないものがいい……。
「上の段の右の黒いカップで!」
「へえ、天目かあ。渋いねえ」
「あれ? ダメですか?」
「いいや。天目にぴったりの美味しいコーヒーを淹れますね」
そう言うと彼はカウンターの奥に消えていった。すると碧子様が現れた。
『どうしたのかしら』
「きっと奥でホットケーキ焼くんじゃないかな?」
『それにしても、異国の焼き物が素晴らしいわ。あれはなぜ透き通っているの?』
「あー耐熱ガラスだね」
私は小声で碧子様と室内の感想を言いながら席に戻る。求めていた神棚っぽいものもお札もなく、何も手がかりがつかめない。
『とりあえず悪しき気配は皆無……よかった』
「そうなの? 落ち着いた、やり過ぎ感のない、素敵なお店だね」
「ふふ、褒めてくれてありがとう」
いつのまにか彼がカウンターから、ホットケーキをトレーに載せてやってきていた。
「お待たせいたしました」
真っ白なお皿に
「うわー! おいしそー!」
朝から一人、緊張して神経使って運転してきたのだ! 脳が糖分を欲している!
「今日はダイエット中止〜」
『……最近痩せたのだから、だいえっとなど考えずともよい!』
「ではすぐにコーヒー淹れてお持ちしますね」
「お願いします」
私はシロップをたっぷりかけて、バターを満遍なくまだ熱いホットケーキに伸ばす。あっという間に両方染み込んだ。私はナイフで一切れ切るとパクっと一口食べた。
表面サクッ! 中は……重い!身が詰まってる! 夏休み、母が作ってくれた昼ごはんの味だ。懐かしい。
「美味し〜い」
腹ペコの私が無言でもぐもぐ食べているのを、碧子様は隣に腰掛け頬杖をついてニコニコ眺めている。
室内にコーヒーの香りが漂う。顔を上げてカウンターを見るけれど、ちょうど彼の手元は見えない。
どうやって淹れてるのだろう? サイフォンかな……。
何せ〈珈琲 卜部〉、珈琲が売りなのだ。あー楽しみ!
わくわくしながらホットケーキをもぐもぐ食べていると、彼がカウンターの前にまわり、コーヒーを運んできてくれた。私の目の前に、さっき選んだ天目のコーヒーカップがカタンと置かれる。珈琲の琥珀色はカップそのものの色のせいでさっぱりわからない。カップの中味をじっくり見ながら、やっぱり初めて選ぶカップじゃなかったとちょっと反省した。
カタン、もう一回音がした。
顔をあげると、白磁に青い蔓と赤い花模様の、いかにも有田な器が、いかにも美味しそうに琥珀色を中に満たして、隣の席の前に置かれていた。
「こちらのお嬢様は、こちらを気に入っていたようだったので」
彼はそう言うと、碧子様を見て、ニッコリと笑った。
私は思わずガタガタッと音を立てて立ち上がる。椅子がひっくり返り、コーヒーが溢れる。
碧子様も慌てて私の後ろにまわり、背中に隠れ、ブルブル震える。
「あーあ、もったいない。美味しく淹れたのに……」
彼はそう言うと台拭きを持ち出して、コーヒーだらけのテーブルを拭きだした。
「落ち着いて、ね? だって私が
私はへなへなと床に座り込んだ。
◇◇◇
彼は一旦テーブルからコーヒーを引いて、カウンターに戻し、再び戻ると倒れた椅子を起こして、私の手を取り立ち上がらせた。
「ホットケーキは美味しかった?」
「は、はい!」
「じゃあ、熱いうちに食べて。一生懸命淹れた自慢のコーヒーこぼされたうえに、ケーキも食べてくれないんじゃ、お兄さん怒っちゃうよ?」
「す、すいません! いただきます」
「うん、美味しいうちに召し上がれ。その後ゆっくりお話しようか?」
私と碧子様は壊れた人形のように首を縦に振り続けた。
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