不思議な夢
僕は気がつくと、温泉に入っていた。ガレージの中のような場所にいて、シャッターは右から二メートルくらいしか開いていない。外は曇っているが明るくよく見えた。不思議な空間だと思った。しかし何故か動揺はしなかった。気持ちがよかった。
周りを見渡すと温泉というか、人口のお風呂のようにきれいに整備されていた。シャッターの方から離れて、奥に行くほど暗かった。
そしてこの場所には見知らぬ人がいた。
「こんにちは」
ややその人を怖がっていつものように人見知りをして言うと、
「こんにちは」
と二十代くらいの眼鏡をかけたひょろひょろの僕と背が同じくらいの男が、人見知りをして小さい声で、優しく返した。
その男の後ろにも何人か人がいたので挨拶をした。
しかしシャッターがある方の反対側を見ると光が少ししか届いていないので、顔が見にくく、よく見えたのは水面に光が反射して波を打つ光景だけだった。
「あの、名前は何ですか」
二メートルくらい左側に離れている中年の男に訊いた。その男は一人でいた。顔が見えないがなんとなく顔が丸いのは分かる。とにかく情報を知ろうとした。
男はハキハキと、ゆっくり名前を言ったが天井が高すぎて音が反響し、名前が聞きとれなかった。
しかし僕は自分の悪い癖で
「あ、分かりました。有難うございます」
と考える前にすでに言ってしまっていた。
それでも、なぜか僕はいつものように自分の話し方に満足するのだった。
他の人に名前を訊いた時、僕と同じように人見知りをする人もいれば、がたいがよく、口調の強い人もいた。
僕と違って他の人はのんきに会話をしていた。楽しそうであった。
反対に誰も僕に話してくれないので、ショックを受け悲しくなっていた。そして黙って向こうで話している人を見て、妬んでいた。
そんな時僕と同じような余り物になったであろう男がこちらにやって来た。
水をじゃばじゃばとかき分けゆっくりこちらへやって来る。よく見るとさっきのひょろひょろであることに気がついた。挨拶をした時に気が合うと思ったのか、と僕は推測した。
しかしこれほど嬉しいことはない。なぜなら誰かと話したいと思っているときに、向こうから寄ってきてくれたのだから。
「いやー気持ちがいいですね」
男は作り笑いをしてこちらを真っ直ぐ見ながら言った。かなり人と話すのに慣れていそうな人だな、人なつっこい人なんだなと推測した。同時に本当はこんな人だったんだという驚きや意外性もあった。僕はその驚きと同時に嬉しさでいっぱいになった。
小声になりそうになったので、いやここは勇気を出すべきだと思い、
「そうですね、ずっと入っていられますね」
と僕も人見知りをしている中、勇気を出して元気良く言った。
「そうですね」
男もこちらに目を向けて、どや顔で答える。
二人の間に沈黙が走った。
何か話そうと考える前に若干の優越感に僕は浸った。俺は出来る奴なんだ、と一瞬思った。
自信満々になんか話してこいよ、というような目でその人を見ると、相手が一歩後ろに引いた。さっきの笑顔が消えた。何かを感じたのだろう。しかしまたすぐに一歩こちらに近づいた。
僕が話すのが得意でないという事、そしてメンヘラだという事に気がついたのか、またすぐに無理に笑って、
「じゃあ、これから先は自由時間ということで」
と言った。
ショックだった。
しかし心のどこかにあった相手に対する鬱憤というか、ストレスのようなものが晴れて、素直に、
「はい」
と笑いながら言っていた。そうしてその男は向こう側へ行き、他の人と楽しそうに話していた。やっぱり一人でいる方が気楽でいいなと思った。そして話すことはめんどくさいと一瞬思ったが、その後振り返ると、本当は話したかったのになんで何も話さなかったんだろうと後悔をし、自分を攻めた。
そして僕は、会話をしている人の方を見ながら頭を抱えていたが、そんな僕には気づかずに向こうで笑顔で話しているようであった。
悔しさを滲ませていたが、諦めが付いたのか、僕は仕方なく外を見ることにした。外は光がこちらに指し、明るすぎて何も見えなかった。日が差しているようだった。
たまに話している人たちの方を誰とも話さずに一人で密かにキョロキョロ見てみると様々な事が分かった。
ここにいる人たちは自分も合わせて5人で、全員が男だということが分かった。また年代も様々であった。
しかし、90歳を超えるようなおじいちゃんはいなかった。また幼稚園児のような子供もいなかった。一番年老いている人でも50代くらいの男だった。また一番若くても中学生くらいの、僕より10センチくらい背が小さい子がいただけだった。会話という会話はさっきのひょろひょろとしかしなかったが、僕と違って他の人はいつまでものんきに楽しそうに会話をしていた。
水しぶきがこちらに飛んで来て、迷惑でふざけた奴だと思っていた。その人たちと自分とを比較するように僕はコンクリートに腕を組ながら乗っけて真っ直ぐ外を見ていた。
さっきの光はいつの間にか無くなっている。
好奇心と共に外を見ると、道のようなものが見えた。
その瞬間、また水しぶきが飛んで来る。目に入った。集中出来ない。
僕は向こうで騒いでいる方を睨み付けた。向こうの太った暴れん坊の中年男と目が合った。
その後僕の視線に刺されたように、静かにし始めた。その人たちが静かにすると、ガレージは静かになった。
やっと外を見るのに集中出来ると思い、僕は湯船に浸かりながらガレージの方をじっと見つめ、外の景色を見てみた。
ガレージのすぐ外には片側二車線の大きな道が広がっていて、そこを挟んだ向かい側にはビルのようなものも見えた。ゆったり湯船に浸かってその光景をぼー、と見ていた。
暫くすると視界に違和感を覚え、外を今一度凝視した。
向こう側の二車線の内、歩道側にいつの間にか停めてあった黒い車から黒いスーツを着た一人の男が出てきて、道路を横切り、こちらへ来た。大股で早歩きである。
まさかここに入って来るんじゃないだろうと思いながら見ていると、本当に入って来た。恐怖を感じた。心臓の鼓動が高鳴る。
僕のすぐ右を通ってやって来たその人は険しい顔で、五人の顔を見せろと、恐ろしく怒鳴り、一人一人を強引に見て回る。みんな一斉にその男の方を見て黙った。着々と一人一人確かめられる。何もないだろうと思って見ていると、確かめられた四人目の人がその黒い男に手錠をかけられた。
他の四人は一斉に、えー!と言い驚いたが、手錠をかけられた人は、手錠をかけられても驚いたり、暴れたりせず無言でいた。何か開き直っていような、感情を失ったような、そんな感じだった。
続いて黒いスーツの男が、立て!と怒鳴ったので立ち、行け!と怒鳴ったので黒いスーツの男に横から押されながら出口へ真っ直ぐな視線を据えて、建物から出て、左に曲がった。正直そうな人だと思った。
連れてかれた人に対して僕以外の3人は始めは何やら、ざわついて話していたが、10秒もすればまた静かに温泉に浸かり始めた。
対して僕はえ?と思った。なぜなら僕は取り調べを受ける五人目だったから、その人がいなくなったとき、僕はまだ、取り調べを受けていなかったからだ。
唖然と立ち尽くしていると、さっきのひょろひょろが目を大きく開いて、僕の手首の方を指差し、
「なにそれ!」
と大声で言う。
ひょろひょろの近くにいた人もそれに反応するように僕の方を見てまた大きく目を開いたかと思うと、
「うわ!お前も捕まったんか?」
と大声で言う。
恐怖を感じた。背中に寒気を感じた。確かに手首に違和感がある。恐る恐る手首の方を見てみると、そこにはいつの間にかその両手の手首に手錠がかけられるのではなく、線の部分がぐるぐるに巻かれていた。
それに驚いた。銀色で大きな手錠。動かないように、と言われているみたいだった。
だから暫く待っていたが、10秒待ってもあの黒いスーツの男は返ってこない。
動揺したままその状態を保ち、外に出て左を向いた。
視界が一気に開けた。外は曇っているが明るい。あの人はいない。遅かったか。なぜかあの人が恋しくなった。なぜだろう。
そして僕の手錠に対する不安も増えた。
所在なく僕が出てきた方を見るとそこは十階建てぐらいのビルで一階だけ堀下っていて温泉となっている。ガレージは車の排気ガスで汚れたのか錆び付いている。しかし車は通っていない。大きな道を見ても何もない。ビルも古くさい感じがする。
レトロと言うより廃墟のようである。そして僕はその景色が逆におしゃれだと思った。エモイ。横も!あ、こっちも!無意識に周りを見始めると止まらない。
右も左も、そして反対側の歩道沿いも十階建てぐらいの色々なデザインのビルが沿道に真っ直ぐ並んでいる。色も様々だ。しかしどれも錆び付いて、真新しいものはない。
道の方を見ると、広く真っ直ぐに延びているこの道に終わりは見えない。いや、霧がかっているから向こうの方は見辛いだけだ。
車は走っていない。時が止まったように静かである。
そんな不思議な感覚と景色に圧巻されていると怒号のような、入れ!という男の声が辺りに響いた。ビルは震えない。そのまま静かに立っている。
あの男が行った方であると思った。
そちらを目を見張るように見てみると、感覚的に約百メートル先では、遠くてぼやけていたがあの連れて行かれた人が黒い車に乗せられているようで、たくさんの黒い服を着た人が集まり周りを真剣な目で見張っていた。
あんな物あったっけ?と不思議に思った。しかしそんな違和感に興味を持ちつつ、僕はそちらに行って僕の両手の事について言おうと思った。
二歩くらい歩いたところ、向こうの方から黒いスーツを着た二十代くらいの女が走ってくる。表情は少し笑っている。僕の事を憐れんでいるように感じた。
そして、それがなんとなく心を汲まれたように感じた。気分がいい。悪い気分がしなくなった。彼女は僕の近くに来て、彼女の膝に手をつき、少し休んだ後、
「遅くなってごめん。ついてきて」
と言う。僕は別にこの人を呼んだ記憶はない。しかし、彼女はそう言うのだ。
誰?と思ってじっと見ていると彼女は立ち上がり、車の方へ振り返り歩き始める。そして二歩ぐらい歩いた所でまた振り返り、僕を無言で、尚且つどや顔で手招きする。
なんだよこの人と思いながら、その人の横に付く。歩きながらその女は、
「大丈夫?これから一人で生きていかなくちゃいけないんだよね。かわいそうに」
と遥か先を見据えながら言った。僕はこの女が何を言っているのか分からなかったので、
「どういう事ですか」
と言った。するとその女は僕の気を紛らわすように少し微笑みながらこちらを見て、
「そのうち分かるよ」
と言った。
なるほど、父と母に何かがあったんだなと思った。それよりも気にしていたことがあった。だから、訊いてみた。
「あの、この手錠、どうにかして貰えませんか?」
「手錠?」
「はい。これです」
そう言って手錠を女の前に見せると、一瞬引いたが、それを見て今更気付き、
「あー!ごめん、言われるまで気が付かなかった」
と目を細め笑いながら言う。一旦その場で立ち止まってほどいた後、手錠を胸ポケットに入れて、
「ごめんね~、こういう所がほんとにあるのよ」
とまた笑いながら言った。僕はそんな誘惑には負けない、と意地を張っていたつもりだったが、
「大丈夫です」
といつものように無意識に、そして人見知りをするいつもの自分が言っていたのであった。
そのまま連れてかれ、気がついたら高級そうな和食のお店に入っていた。入る時、白い表札には金色で○○亭と書いてあった。名前は覚えていない。
中に入ると外にいた時に戻りたくなるほど暗く、足元から細く白い石でできた道が蛇のようにやや曲がりながら真っ直ぐ伸びている。その道の突き当たりには大きな机があった。店は暗く、机と道だけが明るく照らされていた。
女に、行くよ、と言われ暗闇のなかを女に続いて進む。
横からいらっしゃいませーという若い男の威勢のよい声がする。しかし、横を見ても真っ暗で何も見えない。恐怖を感じ、僕は返事をしなかった。
前を歩いていた女もその声の正体を知っているのか返事をせずに、また横を見ないで前だけ見て進む。
急に明るくなったかと思うと、
「ごめん、ここ座って」
と女は席を指しながら言う。
女が左に逸れたので、前を見ると机の壁側に二人の黒いスーツを着た男が重大な会議かのように座ってこっちを見ていることに気がついた。
「はい」
そう答え、視線を感じ緊張しながらおじいさんのようによっこらせと座った。座る時椅子を女が後ろから支えてくれた。優しい。すかさず人見知りをしながら、ありがとう、と言う。
席の前の机の上には美味しそうな釜飯があった。その釜飯の延長線上には若く黒いスーツを着たイケメンがいて、その横には中年で黒いスーツを着た丸い顔の男がいた。僕の左横にはあの女が座っている。
彼らが僕の方を見てよろしくと言ったので、緊張しながら僕も、
「よろしくお願いします」
と言った。中年の男は女を見つめながら、
「お疲れ様」
と優しい口調で言う。
「お疲れ様」
と彼女も返す。
すぐに何かの事件のことについて男二人と女が話し始めた。なんだ、この人と関係があったのか、と思った。そして服装と関係からして彼らは警察であるような気がした。
話に付いて行けず焦った。しかしそんな自分を無視するように会話は続く。会話の途中で、言葉に行き詰まったのか、突然無音の状態が十秒ほど続いた。突然女は口を開いて、
「未成年者後見人はどうしましょう」
と話が変わったように、真剣そうに言った。
まだ会話は続くので、ずっと話に付いていけず動揺していると、中年の男は右肘を机の上につき、少し微笑みながら、
「いや、でもさっきおばあちゃんに会ってきたけど、結構歳、行っちゃってるからなー」
と言った。
その後も会話は続いていったが途中からきっと僕の事だと気付き始めた。なぜ自分がこの警官しかいない場所に一人で連れてこられたのか考えたからだ。
だからその話し合っていることについて知りたいと思った。質問する前になんとなく意味を考えて、後見人という単語が印象に残った。
誰かに預けられる。そんな単語を聞いた僕は確信を持ち、若干興奮して、
「どういう事ですか」
と半分分っていながら、興奮を紛らわすように真顔で、真剣そうに訊いた。すると彼女は反対に何もためらわず、
「あなたの両親が亡くなったのよ」
と真顔で、分かっているでしょう?と言っているみたいにあっさり言った。
予想通りだった。その予想が当たってさらに興奮した。なぜなら自分は、そんな事はありえない、そんな事はあるわけない、面白い夢だ、などと思っていたからである。
もうこんな夢なら現実と違ってしっかりする必要はないし、最後に遊んでおこうと思った。だから、僕は微笑したまま、
「え、なんで、両親はなくなったんですか」
と、ぎこちない言い方で言った。
言った後、自分の両親の死が人事のような言い方だと思い、自分でもおかしいと思った。
女は急にこちらに体を向け、この人と会って見たこともないほど真剣な目を据えながら、
「お母さんは、」
と言った。その時、僕はボーとしてしまった。まさか本当ではないだろうと思っていたので、本当だと知り、逆に落ち着いてしまったのである。これは夢ではないと思った。落ち着いているはずなのに息ができないということに気がついた。そのことが衝撃であった。
一瞬、思考回路が止まった。耳には女の声は入ってこない。しかし約2秒後にはやっと状況を整理して、この先どうしようか。これまでの知識で生きて行けるのかと考えた。
まだ呼吸が出来ない。
そんな自分に対する衝撃が今度は心に走った。ドクンという異常なほど大きな音が頭にまで響いて聞こえた。全身が震える。なのに冷静だ。痛みも感じない。
すると急に端から目の前が暗くなった。不思議と女は仰天して手を伸ばす。あっと言う間に視界が黒で染まっていく。そしてほんとに最後の僅かな光だけが視界から消えようとした。女の姿はもう見えない。
そこでようやく恐怖を感じた。このまま終わりたくないと思った。思考回路が動き出す。しかし真っ黒な視界は戻らない。
その時僕は、裕福な生活は安倍元首相の銃撃事件のように一瞬で消え去ってしまうものなのだということに気がついた。その思考が頭の片隅へ何処からか降りかかってきた。
結局最後まで女は何か言っていたが覚えていない。聞こえなかった。
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