第19話

 


 ◆



「……大丈夫ですかね二人とも」


 ペトラは不安げに屋敷を見上げる。

 リリーナの偵察結果が決定打となり屋敷の中に魔物の存在が確定した。今の屋敷はすぐにでも戦場になる可能性を大いに秘めているともなれば真っ先に避難が優先される。

 グラウは寝たきりのボリスを含む屋敷の人間を外に連れ出した。懸念すべきはソラスの安否と中に潜んでいる魔物の実力だろう。


「グラウ様……ソラスお嬢様は」


 テノスは狼狽えながらソラスの身を案じる。

 ただでさえ魔法結界で魔力を消費している。そんな身体に魔物が巣食っているともなれば最悪の事態さえも想定の範疇だろう。

 安易な返答はすまいと、グラウは本音を口にした。


「安心してくれ……と言ってやりたいが、そこはオルクスとリリーナに賭けるしかない。ここまで周到な魔物となれば、下手をすればその実力は魔神に匹敵するやも知れんからな」

「魔神……って、あの本に載ってる魔物ですよね? そんな魔物を相手にする可能性があるからオルクスに協力を要請したんですか?」


 ペトラの質問に首を縦に振った。


「冒険者として実力があり、更に料理人とくれば適任以外の何者でもないだろう。仮に料理が出来なくとも、剣の腕だけで協力は仰いだだろうがな」


 腕を組みながら屋敷に険しい目を向ける。

 魔物の存在は察知していたものの、リリーナ程の感知能力が無ければ探れない存在なのは想定外だった。ともなればグラウの当初のプランからは全てが大きく外れてしまう。


 まず屋敷の人間達に気取られる事なく魔物を討伐しソラスを部屋から出す。

 そしてソラスの協力を得てボリスの結界を解放し、月の雫でボリスを治療。

 最終的にオルクスに料理を振る舞わせて完了する筈だった。


 今考えてみれば我ながら都合が良すぎるとグラウは後悔しながらも、それでも屋敷に残した二人の活躍を祈った。

 ハーメルンは万能な人材が多数存在するが前衛に特化した者はほぼ居ない。潜入や調査はお手の物だが戦闘となれば踏み切れないケースがほとんどだ。

 そんなハーメルンにとってはオルクスの存在は渡りに船と言える。


「……頼んだぞ、二人とも」


 グラウは屋敷の中に居るオルクス達に全てを委ねた。


 ▪️逸脱


 リリーナは全神経を研ぎ澄ませ、部屋から僅かに離れた場所からソラスの位置とその内側に巣食う魔物の気配を辿っていた。

 何度繰り返しても反応はすぐ近くの部屋から発せられ、意識を向ければ向けるほどに色濃くなっていく。間違いない、あの部屋だ。


「オルクス君、準備はいい?」

「ああ」


 屋敷の武器庫から拝借したロングソードを携え、久々に握る剣の感触を確かめた。

 まともに握ったのは楓矢との決闘以来だろうか。剣士を辞めた手前、内心は複雑な心境でもあるが、今はソラスを救う事に集中しようと表情を引き締めた。


「さて、ちょうどコッチの気配も気取られたみたいだねーーーー向こうから来るよ!」


 リリーナの声を皮切りに状況は動いた。

 部屋の中から凄まじい衝撃と共に、炎が螺旋を描いて突き抜けてくる。火炎を実体レベルまで高密度で射出する中級魔法【フレアジャベリン】だ。

 リリーナはそれに対して即座に水属性魔法を展開させるが相殺する事は叶わなかった。

 水の守りを貫いたフレアジャベリンはリリーナを確実に捉えていたが、オルクスは剣を翻してその軌道を僅かに逸らす事に成功した。


「ありがとオルクス君、割とヤバかった」

「……ちッ」


 威力も速度も中級の域を軽く超えている。

 剣でいなしただけなのに、剣を握る手には大きな反動が残っていた。


「最悪のパターンだね。見てよほら」


 言葉の矛先は硝煙を上げる部屋の入り口に向けられる。そこには薄っすらと人影が揺らめき、やがて煙が晴れた先に姿が露わとなった。


『ふふ、上手く躱したな』


 現れたのはソラスだが、瞳は虹彩を失い顔は青白く染まっている。くぐもった声が木霊するが口元は動いていない。恐らくソラスに潜伏していた魔物のものだろう。


「お前がソラス嬢に取り憑いた魔物だな?」

『そうだ。この娘は苗床としては申し分ないのでな』

「人の言葉を理解している……という事は」

「魔神クラスってのは本当だったんだね」


 エルフ種や獣人などの亜人を除き、人語を操る魔物は聞いた事がない。あるとすれば魔物の域を超えた魔神クラスだろう。

 それを聞いた声の主は、浅く笑いながら答えた。


『魔神? ふふ、あんな連中と一緒にしないで欲しい。魔王の目覚めを待っていた悠長な腑抜け共とな』

「なんだと?」

『私の名はミストヴェノム。お前達が呼称しているものだと、そうだな……確か【ガスト】だったか。私は冒険者を苗床として進化を続けた末に自我を会得し、今では魔神すら相手ではない。つい先日は魔神の一体を喰らってやったさ』

「魔神を超えた……だと?」


 剣を握る手に汗が浮かぶ。

 オルクスといえど魔神クラスは見た事がない。Sクラスの魔物を軽々と凌駕すると言われているが、歴史上では勇者が倒してきたとされる特別な個体達だ。

 一介の冒険者が相手にするなど自殺行為に等しいが、その魔神を超える存在がソラスを蝕んでいるのだ。


『今まで散々人間や魔物を喰ってきたがこの人間は素晴らしいな。これまでは魔法の概念など理解出来なかったが、今ではそれも手に取るように分かるぞ……こんな風にな』

「逃げてオルクス君!」

「ッッッ!?」


 オルクスを目掛けて放たれた雷光一閃。

 雷系下級魔法【ライトニング】は凄まじい速度でオルクスの頬を掠めた。衝撃の後に傷口は熱を帯び、赤い線が滴り頬を濡らす。


『実に気分がいい。ここまで支配するのにかなりの時間を要したが、それだけの価値は十分にあったと言えるだろう』


 ソラスが扱う魔法の数々にミストヴェノムは高らかに笑い声を上げる。

 ガスト種は本来は霧の魔物で実体を持たず、光属性の魔法にて浄化するのが常套手段だった。

 しかしソラスに寄生するミストヴェノムは話が別だ。外から魔法で倒そうにも、ソラスの肉体を庇いながらは不可能だ。

 倒すならソラスごと葬らなければならない。しかしそれは選択肢に存在しない答えだ。


「……これは八方塞がりだねオルクス君」

「くそッ、何か方法はないのか」

『クク、諦めろ人間。私はこのまま他の魔神共を喰らい、最後に魔王すら喰らうのだ。もっとも魔王は今、何処かに消えてしまったがな』

「なんだと?」

『死ぬ前に教えてやろう。魔物達は魔王の反応を感知できる。しかし突然、それが無くなったんだ』


 魔王が消えただと?


『腹心のゴルドも消えた辺り、奈落の底で何かあったのは間違いないだろう。しかし既に私には関係のない話だ』


 ズズンッ!

 ミストヴェノムが手を翳すと部屋の壁が吹き飛び粉々に砕ける。拓けた景色を満足そうに見据えると、膨大な魔力を体内で練り上げながら歩みを進めた。


『手始めに街を消してやろうか。この娘の扱う魔法なら、軽く消し飛ばすのも容易いだろう』


 右手には紅蓮の炎が逆巻き、左手には空気すら凍り付かせる氷槍が握られている。

 屋敷の外にいたグラウ達も爆発の音につられ、やがてミストヴェノムに侵されるソラスの姿を認識した。


「やはり、最悪のケースになってしまったか」

「オルクス……リリーナ!」


 ペトラの叫び声が虚しく響く中、ミストヴェノムは内包する魔力を更に高めながら天へと手を伸ばした。


『では、蹂躙を始めようか』

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