第15話
▪️心の壁
すごくキラキラしているのに、冷たくて、寂しげな薄い壁。
小一時間ずっと見つめ続けたその壁は時折、ペトラの顔をやんわり反射させながら、それでいて頑とした存在感を放ち続けた。
「魔法使い? 魔術師? ってスゴイんだね。こんなモノを簡単に作れちゃうなんてさ。アタシなんかとは比べ物にならないや」
いつからだろうか、無意識にペトラは言葉を口にしていた。
その言葉が向く先はおそらく壁の向こう側だが、しかし声が届いているとは到底思えない。壁は静かに、水に浮かんだ油のように虹彩を揺らしながら静寂を貫いていた。
ーーーーかに思えた。
『……な、い……よ』
「え?」
『すごくなんか無いよ』
一瞬、何処からともなく声が聞こえた。
普通の声じゃ無い、どこか反響する様な篭った声だった。
『私なんかすごくない。貴女の方がずっとすごいよ』
「え、えーと……ソラスお嬢様? ソラス、様?」
『ソラスでいい』
「し、しし承知しました!」
『……敬語、イヤ』
「うへ、ええと……ソラス、でいい?」
『…………』
返事は聞こえずとも、壁の向こうでソラスが頷いている様な気がした。
(は、話が出来た! でも何でだろう……)
急に投げかけられた声に驚かされる。
執事であるテノスでさえ、どれだけ努力しようと成り立たなかった会話をペトラは成し得た。
唐突すぎる前身に驚きつつも、そのキッカケを逃さまいと言葉を続けた。
「えーと、えーとお! 本日はお日柄もヨロシク、晴天ナリ?」
『…………』
(ヤバい、すべった!?)
『ねえ、貴女の名前を教えて?』
「!? えっと、アタシはペトラ・カーニャ! ギルドで商人見習いをやってるんだ」
『ギルド……ふうん、私はてっきり冒険者がいる所だと思ってた』
「まあ大体がそうだよね、ウチは結構ヘンなんだよ」
『ペトラって呼んでいい?』
「もちろん、好きに呼んでよ」
『……ペトラ』
「ほい!」
『……ふふ』
「あ、笑ったねソラス」
『ごめんなさい、つい。ねえペトラ、貴女の話をもっと聞かせて』
障壁の鏡面が揺れる。
いつの間にか、そこにはボンヤリとした少女の姿があった。ペトラに向かい合う様に座り込むシルエット。耳の下で切り揃えられた髪とーーーー頭には羽の付いた帽子を被っている。
衣服はドレスなどでは無く、赤い魔道着らしきものを纏っていた。
どう見ても年端も行かない少女だ。そんな彼女がなぜ、ここまで心を閉ざしたのだろうか?
疑問は尽きないが、今はこの会話に全神経を集中しようと決めた。
「アタシの話なんか面白くないと思うよ。いつもヘマしてダンナに怒られてばっかりだ」
『ダンナ? 旦那様って事はペトラ結婚してるの?』
「ぶはッ、違う違う。ダンナってのはウチのギルドマスターだよ。アタシを拾ってくれた恩人さ」
顔は怖いけどね! と即座に付け加える。
「アタシってさ、小さい頃の記憶が曖昧なんだよね。物心ついた時から孤児でさ。生きる為に盗んでは逃げてを繰り返してたんだ」
『!? ……ごめんなさい、そんなつもりじゃーーーー』
「いいのいいの。今は忙しいけど楽しいし、何より充実してるから」
頭の赤いバンダナをスルリと解き、壁の向こうのソラスに見せた。この土地では見慣れない白の刺繍が入っており、細部まで作りが確かなのが伺える。
「このバンダナも、ペトラって名前も、ぜーんぶダンナ“達”がくれたんだ。誰にも頼れずに生きてきたアタシに……生きる価値を与えてくれた恩人で大切な人達」
『達……って事は、他にも誰かいるの?』
「うん、ダンナの奥さん。子供が産めない身体でさ……アタシなんかを娘みたいに可愛がってくれてたんだよね」
『ペトラにとって、本当に大切な人なんだね』
「うん! ……でもね、二年前に病気で亡くなってさ。アタシすっごく悲しくて、ずっと泣いてた。本当に泣きたいのはダンナだったのに、あの人は絶対に人前で泣かないからさ」
バンダナをギュッと握る。
「でも思い出は消えないってダンナは言ってくれたんだよね。生きた証は残るし、繋いでいけば良いって。アタシは絶対に忘れないし、ダンナの側で仕事を続けて、いつかセリアさんみたいに支えてやるんだ。あ、ビジネスパートナーとしてだよ? ダンナみたいな筋肉ゴリラはタイプじゃないんだアタシ」
『……強いね』
「え?」
『ペトラは強いね……私は、そんな風に……強くなれないよ』
「ソラス?」
ほんの僅(わず)かだが、魔法障壁の厚みが増す。
表層は粘度の高い波紋を浮かべながら、まるでソラスの心を映し出したかの様に揺蕩(たゆた)い、それは感情の振れ、昂り、そして拒絶を示した。
それを見たペトラは本能的に、開きかけたソラスの心が遠くなったのを感じた。
「……ソラス」
『ごめん、帰って』
「ソラス!」
『!?』
魔法障壁にペトラの指先が触れる。
刹那、指先に電流が走ったかの様な痛みが駆け抜け、肘まで広がる衝撃となって弾けた。
「痛ッた〜い……肩外れちゃったんじゃないコレ?」
なんてね、と舌を出しながらも、ペトラは表情を険しくしたまま壁の奥に佇むソラスを見据えた。
『帰って……お願い』
「や〜だ〜ね〜!」
ビシュリ!
再び劈(つんざく)く音と共に衝撃が弾け、今度は身体ごとペトラを吹き飛ばした。対面の壁に打ち付けられ、意識が朦朧とする。
「ペトラ様!? これは……」
心配になって見回りに来ていたテノスが駆け寄ろうとする。しかしペトラはそれを無言で制すると、フラフラと立ち上がって部屋の前に立った。
「アタシだけ話たのってフェアじゃないよね。ここまで来たらソラスの話も聞かせてよ」
『ペトラには……関係ない』
「はは〜ん、まだ言うか……このォ!」
ズンッッ!
『!?』
壁に向かって拳を打ち付ける。
本来なら吹き飛ばされている筈なのだが、ペトラの拳は障壁に触れたまま維持され、やがてゆっくりと押し込む様に沈む。
「どうよ、商人見習いのパワーなめんな!」
『なんで……魔法が、弱くなってーーーー』
ギギギッ! キンッ!
拳はガクリと大きく沈む。次いで腕が伸び、結界に大きく亀裂を生んだ。
大きく前に倒れ込む様に部屋に転がり込んだペトラ。目の前には……困惑した表情の少女がひとり。
「やあやあ、近くで見るとアタシの次くらいに美人だねソラス」
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