第8話

 

 ▪️勇者として


「ーーーーはあ、はあッ」


 頬から顎にかけて滴る汗。

 楓矢はそれを拭う事なく、目の前で棍棒を振り翳し息を荒げるコボルトに視線を結んでいた。

 ギルドから数キロ離れた荒野には多くの魔物が存在するが、獰猛な種が殆ど生息せず、駆け出しの冒険者が鍛錬の場として重宝していた。


 楓矢は苦戦を強いられながらも、既にコボルトを五体、スライムを二匹、ポイズンスネークを三匹討伐している。

 回復しながらの連戦に次ぐ連戦。しかし楓矢は決して聖剣を下ろす事は無かった。


「ミリアちゃんから貰ったポーション……これでラストか」


 薄緑色の液体が入った瓶を取り出すと、細い飲み口の栓を外して中身を飲み干す。

 全身に淡い光が巡り、瞬く間に打撲と切傷の痛みが消え、筋肉の疲労が一瞬で消え失せた。

 これは市販のポーションにミリアが回復魔法の効力を上乗せした特製のものだ。

 僧侶職として高ランクのミリアが付加価値を与えたものだと、ただのポーションすらハイポーション(骨折や縫合が必要な裂傷を治す程度)に匹敵する回復力を誇る。

 ミリアとパーティを組んで半日。楓矢からの提案で夕方には一人で鍛錬すると言って今の状況に至る。

 同行を許されなかったミリアは、せめてもの回復手段として特製のポーションを持たせたのだ。このポーションの精製には大量の魔力を消費するのだが、楓矢の身に危険があってはいけないと張り切ったらしい。


「それなのに、このザマはねえよな」


 楓矢は堅実な性格だ。

 現世では怪我らしい怪我をした事が無かった。ちょっとした打撲や傷でさえ、楓矢からすればゾッとするものと言えるだろう。

 結果として特製ポーションを使うには適さない場面で使用してしまい、小さな怪我だけで全て消費したのだ。

 こんな事で勇者が務まるのかよ。

 心の中で吐き捨てながら、しかし剣を握る手に力を込めた。


『楓矢さん!』

「あ? なんだ女神かよ」


 突然、頭上から飛来した声に眉間に皺を寄せる。用事があると離れた女神が戻ってきたのだ。


『なんて無茶を……それにスキルーーーー』

「ちょっと待ってろ……はあああ!」


 女神の言葉を切り、楓矢は地面を蹴って駆け出す。

 聖剣の重量に負けているのか足取りはふらついているが、それでもなんとか下段から振り上げーーーー大ぶりな動きで袈裟に斬り下ろす。

 コボルトの棍棒を弾き飛ばすと、そのままタックルで体勢を崩し、倒れたところにトドメを刺した。


「……ちッ」


 返り血を腕で拭う。

 今までは普通の生活をしてきたのだ。魔物と言えど、命を奪う事に慣れる筈もない。


「魔物ってさ、倒したら死体は消えると思ってたわ」


 そんな楓矢を見据えながら、女神は申し訳なさそうに会話を再開した。


『オルクスさんに会ってきました』

「……あっそ」

『怒らないのですか?』

「何でだよ」

『…………』

「別にアイツに肩入れしようが俺には関係ねえよ。俺は俺、アイツはアイツだ」

『それより楓矢さん、なぜスキルポイントを返却したのですか! これじゃあ今の貴方は……』

「はは、勇者としても未熟なザコだろ?」

『笑っている場合ですか! 下手をすれば命を落とし兼ねないのですよ!』

「まあ待てって」


 感情的になる女神を他所に、楓矢は自らのスキルボードを展開してみせた。そこには勇者ランクが“3”の数値を示している。


「勇者って単に戦闘するだけだとランク上がらないんだな。これ、スライムに襲われてる人を助けたら上がったんだよ」

『……え、ええ。確かにそうですが』

「でも他の職業も平行して上げられるのは便利だよな。ランク低くても便利な技が沢山あるからよ」


 女神は職業についての細かい説明は行っていない。転生特典による圧倒的なスキルポイントで戦闘において不安は無かった。

 故に、楓矢が異世界に馴染んでからと説明を後回しにしていたのだ。

 今思えば浅はかだったと女神は自分の愚かさを悔いた。楓矢が異世界に適応する速度が異常に早いのは分かっていた筈だ。彼が現世でゲームを好んでいたのなら、それ相応の適応力を持っていてもなんら不思議じゃない。

 今の様に、命のやり取りについては困惑はするだろうが、スキルなどのシステム的なものについては滅法強いのも頷ける。


『申し訳ありません楓矢さん、私の配慮が足りませんでした』

「だから何の事だよ。それよりスキルポイントだったかな」

『!? そうですよスキルポイントです! なぜ全て返却したのですか』

「んなもん、自力でなんとかしたいからに決まってんだろ。確かに初めはチート最高だと思ってたよ。でもなんか違うって思ってさ」


 ずしりとした聖剣の重みを確かめる。


「俺が勇者として成長すればこれも楽々振り回せるんだろ?」

『え、ええ……聖剣はまさに勇者の身体の一部ですし』

「ならそれでいいよ」


 ドサリと地面に寝転がる。

 怪我や痛みはポーションで癒えた筈だが、楓矢は満足のいく疲労感を全身に感じていた。


「あの細目はいつか実力でぶっ飛ばす。それまでは人助けしながら修行だ」

『楓矢さん……』

「っても魔王が降臨してんだよな? 悠長な事言ってて大丈夫なのかは不安だぞ?」

『ええと、それは大丈夫です。今はまだ魔王も沈静化しています。少しでも活発になれば私でも波長を感知できますので……』

「じゃあ万が一がない限り、今のプランで行こうぜ」

『……は、はあ』


 認識を誤っていた。

 この柳条楓矢という少年は、女神が思っていたよりずっと芯の強い人間だった。


(しかし、あの記憶が蘇ればーーーー)


 一抹の不安だけが残るが、今はこうして楓矢は前だけを見ている。

 ならば、自分はそれを支えていくだけだと心に決めた。


『楓矢さん』

「ん?」

『一度ギルドに戻って下さい。お食事の用意が出来ているそうですよ』

「マジか。そういや腹ペコだったわ」


 夕暮れが辺りを暁に染める中、楓矢は聖剣を天に掲げた。


「魔王は俺がぶっ倒す、そんで細目にも参ったって言わせてやる。俺の異世界生活はここから一直線だ」


 女神はその背中に勇ましき者の面影を見た。




 ◆



「お腹……すいた」

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