ことの発端

 ことの発端は、ドノバンの店へビッティがやってきたことであった。


 ビッティというのは、『あばずれ』という品のない表現がじつによく似合う、あまり性質たちの良くない娘である。この事件があったころには、まだ十七か十八だったはずだ。


 ルネグラス通りからほど近いところに、小さく狭い家々が寄り集まっている地区がある。スラム街の劣悪な環境から抜け出したいと一念発起した者が、とりあえず移り住む場所を探すとき、最初の目標に定めるような地区だ。


 ビッティはその界隈かいわいをねぐらにしている、自称冒険者である。

 もちろん、正規の仕事を請け負えるような信用などない。いわゆる遺跡荒らしというやつで、あちこちの遺跡や廃墟、へたをすればただの空き家などへ潜り込んでは、少しでも金になりそうなものをかすめ取ってくるのだ。冒険者というよりは、こそ泥に近い生業なりわいである。


 私が帝都を離れてから二か月余りが経った、ある春の日の夕刻のことである。そのビッティが、ドノバンの店を訪れた。


 いつもは仲間の悪童どもと一緒のことが多いのだが、その日は一人であった。


 店に入ってくると、ビッティは肩に担いだ荷袋を下ろし、なかから薄汚れた布にくるんだ何かを取りだすと、カウンターに置いた。そこそこの大きさがある。そうして、これを買い取ってほしいと言い出したのだという。


 ビッティがこうやって品物を持ち込むのは、その日が初めてではない。金に困ると、遺跡で拾い集めた物を小遣い欲しさに売りに来るのである。二束三文にそくさんもんのがらくたがほとんどなので、ドノバンはあまりいい顔はしない。


 ビッティは買ってくれとしつこくせがむ。ドノバンも根負けして、そこまで言うなら見るだけは見てやろう、ということになった。ビッティが包み布を開く。


 中から現れたのは、金属製の像の一部だった。

 直径四十センチ、厚さ十センチほどの円盤型の台座から、筋肉質の二本の足が伸びている。両足とも膝のあたりで切断されていて、そこから上は失われていた。


「像だな。こんなもの、どこで手に入れた? 言っておくが、うちは盗品だけは絶対に引き取らないぞ。出所でどころの怪しいものも、盗品とみなすからな。さあ、わかったら正直に言いな」


 ドノバンが強めの口調で問い詰めたが、ビッティは平然とした顔でこう切り返した。


「盗品じゃないよ。秘密の遺跡で発掘してきたんだよ」

「ふん、秘密の遺跡か。都合のいい言い訳があるもんだな」

「信じてないね?」

「当たり前だろう」

「じゃあ仕方ない、教えるよ。これはねえ、あたいが発見した、無名王国の遺跡から掘り出してきたんだ。あ、場所は教えないからね」


 上記のような会話を交わしたことを、ドノバンは一字一句の間違いもなく、はっきり覚えていると言った。ゆうべの鐘の音。通りから聞こえてくる、客を呼び込む声。汚れた包み布のシミの形。ビッティの赤茶色の髪と、なまめかしい白い首筋。何年が過ぎようが、思い出すたびに、記憶はそれらとともに鮮明に蘇ってくるという。

 人間の脳とは、なんと不思議なものであろうか。




 それにしても、無名王国の遺跡とは、ずいぶんな大風呂敷を広げたものだ。


 歴史に興味のない者であっても、この大陸で無名王国の名を知らぬ者はいないであろう。この記録を読むような、教養ある諸兄ならばなおさらである。


 無名王国。

 大陸史に六百年の空白を生じさせ、忽然こつぜんと消えた大陸統一王国。畏怖を通り越して恐怖を感じるほどの、きわめて高度な魔法と技術を持った国家。文字による記録を何ひとつ残さず、国の正式名すらわからない、無名の王国。


 邪教崇拝だったとか、文字に代わるなにかを発明したとか、憶測はいくらでもあるが、確かめるすべはない。

 なにもかもが、謎としかいいようがないのだ。


 ビッティはその無名王国の遺跡を発見して、遺物を売りにきたという。おそらくは売り値を吊り上げるための、涙ぐましいであろう。まず、ありえない。


 確かに、無名王国の遺跡は大陸各地に点在する。帝国の領土内だけでも、南洋州以外のすべての州にわたって、十数か所が確認されている。未発見の遺跡も当然存在するだろう。


 だがそれらは、綿密めんみつな計画にもとづく発掘調査や、地震や土砂崩れなどで地形が大きく変化したときに遺跡の一部が偶然、あらわになるといった形で発見されるのが通例だ。

 素人に毛の生えたような遺跡荒らし風情ふぜいが、そのあたりをうろつき回って見つけられるものではないのである。


 昨今では、無名王国の遺跡は遺跡自体が意思を持っていて、発見するにふさわしい人物を選んで導くのだ、などという迷信じみた言説もあるようだ。

 仮にそうだとしても、数ある古代遺跡の中でも超一級といえる無名王国の遺跡が、ビッティを選ぶことはまずあるまい。


 ドノバンも私と同じ考えで、その像が無名王国の遺物だとはまったく信じていなかった。ただ、台座部分のつくりの良さが目をひいた。


 台座は、真円にかぎりなく近いように思われた。

 表面は非常になめらかで、ふちの部分は丁寧に面取りがされていてもなく、指触りがじつに心地よい。


 本体もこれと同程度の出来ならば、そこそこの売り物になるかもしれない。ドノバンはそう踏んだ。


 そこで、ビッティには手間賃として銅貨を数枚与えたうえで、すべての部位パーツが揃ったら買い取ると約束した。それまでは、像は店で保管するのである。


 ビッティは少額ながら小遣いが手に入ったことと、買い取りの約束をもらったことに満足し、上機嫌で帰っていった。

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