鉱山 6

 唯一の光源だったケルベロスの炎が途絶えると、洞窟内は暗闇に包まれた。坑道から漏れる明かりが、弱々しく差し込むだけである。


「あ、いけねえ」


 ドリーノはランタンを取りだそうと、荷物袋をまさぐった。


「ギーベンヤール、大丈夫か?」


 暗闇の中から声が反応する。


「おう、大丈夫だ。いま、そっちに行くからな」


 声とともに、縄梯子がきしむ音がする。


 ああ、そうだった。

 ドリーノは思い出す。ドワーフ族はみな、生まれつき夜目が利くのだ。暗さで困るのは自分だけである。


 手探りでのランタン探しにもたついていると、また予想外のことが起こった。石畳と、床や壁面がところどころ発光しはじめたのである。

 青白いその光の色は坑道とまったく同じだ。すぐにケルベロスの炎以上に明るくなり、ランタンはふたたび不要になってしまった。洞窟のあちこちに、坑道と同じ石材が埋め込まれているのだ。


 ドリーノのすぐ近くまで歩いてきていたギーベンヤールが、感嘆の口笛を鳴らした。


「こいつは驚いたぜ。さすがは無名王国だなあ。暗くなると、自動で魔法が発動するようになってるんだ。まったく、至れり尽くせりじゃねえか」


 宙ぶらりんの金属桶をくさびとロープで固定し、二人は嬉々として鉱石の積み下ろしを始めた。


 鉱石はリンゴほどの大きさから人間の頭ほどのものまで、大小さまざまだった。いずれも、見た目以上に重い。ギーベンヤールによれば、ミスリル鉱は良質なほど重いらしい。それを熟練の魔法鍛冶が製錬すると、金属とは思えないほど軽くなるのだという。


 なかなかの重労働だが、少しも苦にならなかった。最難関と思われたケルベロスは片づけて、あとは鉱石を地上へ運ぶだけの単純作業である。大金が転がり込むのは時間の問題だ。

 二人とも高揚して、この上なく良い気分で、自然と饒舌じょうぜつになった。話題はもちろん、金持ちになったら何をするか、である。


 貴族になる、とギーベンヤールは言った。

 辺境伯の地位を買い取り、どこか目立たない田舎に領地を買う。気の合う仲間を招いては酒宴を催し、思いつくままに石造建築物を建てて楽しむのだという。もちろん、おまえは賓客だぞ、真顔でそう言った。

 国の中枢は人間が占めているが、辺境伯なら制限はない。ドワーフでも可能だ。

 いかにもギーベンヤールらしい金の使い道だと思えた。


 おまえはどうするんだ、訊かれてドリーノは言葉に詰まった。

 貧乏暮らしは嫌だ、金が欲しい。それは確かだ。だが、具体的に何をしたいのかと問われると、特に何も思いつかない。

 ギーベンヤールのような、貴族の生活を想像してみる。最初はいいだろうが、すぐに飽きてしまいそうな気がした。


 若い女でも囲うか? 金さえあればだろう?

 ギーベンヤールは冗談めかしてそう水を向けてきたが、いまさら女遊びもなんとなく面倒に思えた。


「ハハハ。欲しいものが多すぎて、すっかり目移りしているんだな。金は逃げないからな、じっくり考えるといいぜ」


 結局は返答ができなかったドリーノに、ギーベンヤールは愉快そうに笑いかけた。

 そうしてまた、二人は作業に戻るのだった。






 それから小一時間ほどが経ったときのことだ。


 さすがに疲れを感じたドリーノは、作業の手を止めた。若くはない体に、長時間の中腰の姿勢はつらい。


 向かいのギーベンヤールは、楽しげに作業を続けている。鉱石をひとつひとつ、品定めでもするかのように眺めては、下ろしていく。やはり、ドワーフと人間では頑健さが違うのだ。

 鉱石はまだ、半分ほど残っていた。


「一休みしていいぜ。人間の体力で、おまえさんの年齢だとキツイだろうからな」


 ドワーフは鉱石から目を離すこともなく、そう声をかけてくる。


「大丈夫、ちょっと休んだらすぐに戻るよ」


 ドリーノは答えて、腰と背中を伸ばした。荷物袋のところへ行き、水筒を取りだす。水はすっかりぬるくなっていたが、乾いた喉に心地よく沁みこんでいった。

 こんなに美味い水を飲んだのは、ずいぶん久しぶりな気がする。


 もう一度伸びをして、額の汗をぬぐう。それから、元の位置に戻ってきた。







 作業を再開しようとした、そのときである。


 ドリーノはぎくりとして、動きを止めた。いや、動けなくなった。


 何かが、おかしい。違和感がある。作業を始める前と、どこかが違っている。


 今日三度目の、不吉な予感が背筋を駆けた。

 しかも前の二度とは比較にならないほどの、強烈な、確信めいた予感だった。

 死神の足音が聞こえたような気がする。拭いたばかりの汗が、また噴き出す。


 数秒後、ドリーノは違和感の正体に気づいた。


 あの囲いが、消えている。


 囲い板も、首のないケルベロスの死体も忽然こつぜんと消えていた。


 囲いがあったあたりから、歯車が動くような音が聞こえてきた。

 ギーベンヤールは作業に夢中で、まったく気付いていない。

 金属製の囲い板がせり上がってくる。


「ギ、ギーベンヤール……」


 ドリーノには、ギーベンヤールの名を呼ぶのが精一杯だった。


「ん? どうした?」


 ギーベンヤールが顔をあげてドリーノを見、それから、ドリーノが見ているもののほうを向いた。


 いまや囲い板は、完全に元通りになっていた。

 首枷には三つの犬の首が並び、燃えるような六つの眼がこちらを睨んでいる。


 二人は理解した。

 ケルベロスにも交代役スペアがいたのだ。一定時間、炎が途絶えると、自動的に交代する仕掛けになっていたのだ。そりゃそうだ。この鉱山を稼働させる原動力なんだから、当然だよな。


 さっき、ギーベンヤール自身が言ったじゃないか。ここは『至れり尽くせり』だって。さすがは無名王国の遺跡だよなぁ……。


 ケルベロスの三つの口から、すさまじい勢いで炎が噴き出した。






 炎の熱を得て、鉱山はふたたび動き出した。金属桶が、ゆっくりと下降を始める。

 鉱石の量は半分に減っている。そのかわり、二本の火柱を積んでいた。

 ついさっきまで、生きた人間とドワーフだったものだ。


 ギーベンヤールの辺境伯の夢も、燃えた。

 ドリーノの迷いと戸惑いも、燃えた。


 ケルベロスと地上の世界に別れを告げて、二本の火柱はミスリル鉱床が眠る深い穴の底へと導かれていくのだった。







『鉱山』     了

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