第4話 司祭の回想 3
うわごとのように話を続けようとする司祭を、私は思わずさえぎった。
「司祭様? ハロッド司祭様!? 大丈夫ですか? お顔の色が悪いようです、少し休まれたほうが……」
「いや、大丈夫です。ここまできたら全部話させてください。これは私にとって、ある意味では懺悔ともいえるのです」
私はそれ以上、止めることができなかった。なにより私自身が結末を、おそらくは不幸な結末を、最後まで聞きたいと思ってしまっていた。
「階下は真っ暗で、上から覗いても何も見えません。リンジーが松明に火をつけて明かりを確保し、私たちは階段を下りました。セドル、リンジー、ジェナン、私の順です。地上部分の精巧さに比べ、階段も地下壁も造りが雑でした」
「階段を下りきると、そこはがらんとした地下空間でした。松明を中心とした限られた範囲しか光が届かないため、奥のほうがどうなっているかは判りません」
「三、四歩進んだところで、私たちはぎくりとして足を止めました。自分たちが、数体の石像の中に立っていることに気付いたのです。ぼんやりした松明の明かりに照らされて、等身大の石像が雑然と立っていました」
「前を行くセドルとリンジーは、さらに一歩踏みだしました。その時です。
じゃらり、と、奥の闇の中で音がしました。なにか鎖のようなものを引きずる音です。千年近くも閉ざされた地下室に、なにかがいる。異常です。人間やエルフやドワーフのはずがありません。私たちは本能的に身構えました。
じゃらり。さっきよりも少し近くで二度目の音がしました」
「その時、私の頭の中で二つの言葉が一つに結び付き、恐ろしい結論を導き出しました。石像と、怪物。
セドル、止まれ! 退け! 私は叫びましたが、手遅れでした」
「セドルとリンジー、二人の絶叫が同時に上がりました。
私は見ました。セドルとリンジーの体が、足元からだんだんと石に変化していく光景を。
ジャンさん、人が石になっていくとき、どんなふうになるかご存じですか?
……色がね、変わっていくんですよ。灰色の、冷たい石の色になるんですよ。
セドルがお気に入りだった茶色い革のブーツも、リンジーの赤いベルトポーチも、すべて、灰色一色に染まってしまったのです。
盾を構えた姿勢で、セドルは石になりました。松明をかざした姿で、リンジーは石になりました。数秒後には、ジェナンも悲鳴を上げました」
「そして、私自身の番が来たのです。セドルとリンジーだった二体の像の隙間からこちらを睨む、恐ろしい女の顔を見てしまったのです。
頭部には伝説に語られている通り、数十匹もの蛇がうごめいていました。首には首輪、手首には手錠がはめられていました。強力な魔力を持つ拘束具なのでしょう、錆一つありませんでした。
あの顔。あの顔を、どう表現していいかわかりません。醜く歪み、自分を閉じ込めた者たちへの、怒りと憎しみが凝縮したような顔でした」
「私はもう、半狂乱になっていました。恐怖以外はなにも考えられず、仲間に対するすべての責務を放棄して階段を駆け上ったのです」
「階段の最後の一段というところで、バランスを崩し、前のめりになって礼拝所の床にうつ伏せに転びました。右足の感覚が無くなっていました。
大声で泣き叫びながら、床を這いずって逃げました。
神殿から夜の森へ出たあたりまでは覚えています。そこから先は朦朧として、記憶も定かではありません。いつの間にか、意識を無くしていたようです」
「次に気がついたとき、私は荷馬車の荷台に寝かされ、どこかへ運ばれていくところでした。御者はあの猟師です。体には、毛布代わりに荷を包む薄い布が掛けられています。満月の光が、やけにまぶしく感じられました」
「夕方、約束の場所に迎えに行くと、私が泥と埃にまみれて倒れていたそうです。私は、ほぼ丸一日、気を失っていたのでした。
あんたの足は呪われている。呪われた者を村に入れるわけにはいかない。大きな教会がある町まで送っていこう。猟師はそう言いました。彼にできる精一杯の親切だったのです」
「無名王国の人々が、なぜあんなことをしたのかはわかりません。処刑場だったのか、あるいは生贄の儀式だったのか。
私に言えることは、『げに恐ろしきは人の心なり』ということだけです。
最後に、これを見ていただきましょう。この足があるかぎり、私は仲間を見捨ててしまった罪悪感と後悔の念を抱えて生きていくことになるのです」
ハロッド司祭は、私に見えるようにローブの裾をまくり上げる。
それを見た瞬間、私は総毛立った。
司祭の右足は、膝から下が灰色に変色していた。
私は教会の戸口で、司祭に別れの挨拶をする。雨は止み、空は薄く茜色に染まっていた。
「司祭様、貴重なお話をありがとうございました。……差し出がましいようですが、あまりご自分をお責めにならないほうが」
「ありがとう。あなたもお気をつけて。神のご加護がありますように」
「では、失礼します」
街道へと歩みかけた私の背中へ、司祭がもう一度声をかけてきた。
「ああ、そうそう、言い忘れました。南部州のモート村ですよ」
「え?」
「私たちが訪れた村です。それでは、さようなら」
「あ……ええ、司祭様もお元気で」
街道を歩きながら、私は釈然としなかった。なぜ司祭は、わざわざ具体的な地名を教えたのだろう?
もしかして司祭は、私の語りによってこの話が広まり、誰かがそこへ行くことを望んでいるのでは? だがなぜ?
『げに恐ろしきは人の心なり』
司祭の言葉が妙に引っかかった。
メデューサへの復讐を望んでいるのだろうか?
あるいは……道連れか? 自分たちの不運を恨み、その恨みを理不尽にも他者へと向け、自分たちが味わったのと同じ恐怖と死の舞台へ、他の誰かを誘い込もうというのか? あの司祭が、胸中にそんな暗い心を秘めていたのだろうか?
いくら邪推しても、真実は司祭本人にしか判らない。
私はもうそれ以上、考えることに耐えられなくなった。沸き上がる疑念を、飲み込むようにして無理矢理に抑え込む。見上げる空は、しだいに茜色が濃くなっていく。私はふたたび、一人黙々と街道を歩き始めるのだった。
「ある司祭の回想」 了
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