第3話 司祭の回想 2

 ハロッド司祭はテーブルのところに戻ってくると、空になった二つのカップにふたたびハーブ茶を注ぎ、ゆっくりと座った。

 雨はやや小降りになっている。


「翌朝早く、私たちは猟師の案内で森へと向かいました。蒸し暑い日だったことを覚えています。

 森の中は薄暗く、鬱蒼としていました。自分たちの話し声や足音以外は何も聞こえず、鳥の鳴き声すらなく静まり返っていました。村の周囲には、私たちが分け入った南森と、北西にある西森があり、猟師や木こりは西森で仕事をするそうです。南森に近寄る者はいないということでした」


「森の中を一時間ほど歩いたでしょうか。猟師が立ち止まり、前方を指し示しました。そこには、自然の造形というには不自然なほどに正確な円形の空き地が広がっており、その中心に、小さな神殿が建っていました。

 これ以上は近付きたくない。明日の夕方、ここへ迎えに来る。猟師はそう言うと、急ぎ足で帰っていきました」


「私たちは、先を争うように神殿に近寄りました。誰もが、はやる気持ちをを抑えることができなかったのです。

 神殿は白い石造りでした。この教会と同じか少し広い程度でしたから、建物としては小規模です。千年近くも放置されていたはずなのに、ほとんど損傷がありません。円形の空き地と合わせて考えるに、なにか魔法的な処置がなされているのでしょう」


「石の表面をなめらかに仕上げる加工、装飾の少ない実用的な造り、ナイフの刃一枚を差し込む隙間もないような精密な石組みの技術。すべての特徴が、事前に調べておいた無名王国の建築様式に一致していました。私は、本物だと確信しました」


「神殿の周囲を巡って調べていたセドルとリンジーが戻ってきて全員揃ったところで、私は無名王国の神殿に間違いないだろう、ということを伝えました。

 皆で歓声を上げ、喜び合いましたよ。まったく、有頂天という言葉がぴったりでした」


ふう、と司祭はひとつ息を吐いた。


「軽く腹ごしらえをして、それからいよいよ内部の探索を始めました。入口の石扉は、意外なほどあっさりと開きました。それこそ滑るように。扉のきしむ音すらしませんでした」


「扉の向こうは礼拝所でした。がらんとした空間。足を踏み入れると、数百年かけて積もった埃が舞い上がり、足跡を残します。正面の祭壇の奥には、見たことのない禍々しい雰囲気の神像が安置されていました。

 神殿だから神像と呼びましたが、私にはあれが神とは思えません。さまざまな動物やモンスターの特徴を組み合わせたような醜悪な頭部、右手に斧、左手に杖を持った異様な姿でした」


「パンパン、と手を叩く音がしました。リンジーです。ここからが冒険の本番じゃない、手ぶらで帰るなんてありえないよ。その言葉に全員が我に返り、徹底的な探索を始めたのです」


「神殿は神像が置かれている礼拝所のほかは、神官の控え室か備品庫のような小部屋が二つあるだけでした。

 私たちは早々に、探索は無駄な努力だと思い知りました。神殿のなかは、本当に何もない、空っぽだったのです」


「私たちは呆気にとられ、しばらく呆然としていたと思います。完全に拍子抜けでした。特にセドルとジェナンは、財宝がたっぷり眠っていると思っていたようでしたから、床に座り込み、落胆の色を隠せない様子でした」


 司祭はここでまた言葉を切り、悪い右足を軽くさすった。


「ここで諦めていれば、私たちの運命は違っていたのですけれどもねえ。ですが、あのときはそうはできなかった」


 ハロッド司祭はつぶやくようにそう言った。そして考えるように少し間を置いた。


 その様子から、私は悟った。この話は、華々しいサクセスストーリーではないのだ。司祭は成功を収めて冒険者を引退したのではない。

 流しの吟遊詩人が、酔った観客相手に面白おかしく語れる話ではないのだと。

 だがそれでも、私は続きを聞かずにはいられなかった。


「最後まで粘っていたリンジーが、妙なことに気づきました。どうも、神殿の外寸と内寸が合っていないような気がするというのです。邪神像の背後の壁の裏あたりに、まだ空間があるはずだと彼女は言いました。

 私たちは急に元気を取り戻しました。隠し部屋には、隠すべき物があるはずなのです。邪神像と壁の周辺を丹念に探し回りました」


「ついにセドルが、邪神像の台座部分、陰になって見えにくい床すれすれのあたりに、小さな鍵穴を発見しました。リンジーが七つ道具を取り出し、床に腹這いになって解錠に取りかかります。ここからは盗賊の技術に任せるしかありません。私たちは固唾を呑んで、リンジーの手元を見守りました」


「リンジーはかなり手こずりましたが、ついに成功しました。カチリ、と鍵の外れる小さな音がして、邪神像の右側の壁がゆっくりと動きます。幅一メートルほどの、隠し部屋への入り口が現れたのでした」


「隠し部屋は、正確には隠し階段でした。地下室へと続く石の階段が隠されていたのです。下からは、かび臭い空気が立ち上ってくるような気がしました。なんとなく、ただなんとなくですが、かすかな不安を感じました」


 声の調子が微妙に変わったように感じられ、私は司祭の顔を見た。

 その顔は青ざめ、表情はこわばっている。目はうつろで、焦点が定まっていなかった。

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