第9話 胎動

「ちっ……ヤな夢見たぜ。この夢見るときゃ、大概胸糞な事件に巻き込まれるんだよ……」


 テンはあからさまに不機嫌な顔で、のっそりと起き上がった。ここは旅路の途中で立ち寄った、とある宿屋の一室。


「メガのおっさん、幼気いたいけな俺が死にかける程の修行やらせやがって……で、死にかけたら八卦の力で強制的に回復させてまた修行。アイツ、絶対頭イカれてやがる。あんな修行したって、伝説の超戦士になんかなれるかっての」


 テンは一人そう呟き、ベッドから立ち上がって伸びをする。


「ま、おかげで村の惨劇なんざ思い出す暇もなかったがよ」


 そう言いながら、備え付けのテーブルに置いてある水差しに手を伸ばし、コップに注いて一息に飲み干す。

 幼い頃の惨劇は、今でも網膜に焼き付いている。しかしそれは、生きるか死ぬかギリギリの修行の中で、記憶の扉の奥に知らず知らずのうちに封印されていた。

 思い出すようになったのは、メガの修行を終え、各地を放浪するようになって暫くしてからである。


「あのおっさん、『便利な左手』で俺の記憶に細工でもしやがったのかもな。いや、記憶だけじゃねえか」


 あれだけの悲劇を目の当たりにしながら、テンはあの日を思い出しても辛いとか悲しいといった感情が湧いてこない。湧き上がる感情は怒りのみ。もしかしたらメガの手によって感情すらも弄られている可能性がある。

 しかしテンは、自分の師匠を恨む気持ちは一切ない。自らが望む生き方を貫き通す力を与えてくれた事に対する感謝のみであった。

 テンは着替えを済ませ窓を開け放ち、早朝の冴えた空気を室内に取り入れた。そして窓から左手を出すと、気を流して八卦図を活性化させる。


「探ってこい」


 テンの左手から放たれたのは四枚の紙。それぞれが鳥の形に切り抜かれている。その四枚の紙はひらひらと風に舞うと、空に向かって上昇した。辛うじて視認できるほどの距離まで離れると、本物のカラスの姿となって四方へと飛び去った。


「まったく……便利なモンだな、この左手もよ。『式』まで使役できるってんだからよ」


 四羽のカラスを見送りながら、テンは呟いた。


***


 この世界には、『魔物』や『魔獣』という生物が存在する。戦争による環境変化に対応するために進化したという説や、放射能による遺伝子の変質が原因だとか、様々な説が飛び回っているが、今のところ真実は分かっていない。

 ただ、何点かは明らかになっている事もある。魔物や魔獣は元々は自然界に存在していた野生動物だったという事である。

 大型化、狂暴化。そして半獣人化。知能も発達しており、人間の生活圏とは離れた場所にコロニーを形成している者もいる。それらは、往々にして縄張り意識が強い。元々が野生で生きていた者達なのだから。


 そして、その魔物のテリトリーに足を踏み入れてしまった者達がいた。


「……おかしい。なんでこんなにも獲物がいねえ?」


 狩猟用の短弓を持ちながら、いかにもベテランハンターといった風情の男が呟いた。


「そうだな。足跡やフンを見れば、最近までここいらにいた事は間違いねえんだが……」


 もう一人の男も同意する。二人とも、動物の毛皮をそのまま使ったジャケットを着込み、矢筒を背負っている。腰にはナイフ。標準的なハンターの装備だ。

 実際、二人とも腕の確かなベテランハンターで、残された形跡から獲物を追い詰める能力には長けていた。その二人から見て、確かに獲物となる動物がいた形跡はあるのだ。しかし、どれだけ探しても獲物そのものは全く見つからない。それどころか、気配すら感じられなかった。


「ん? なんだこの足跡は……」


 更に山林を進んでいくと、ハンターの一人が地面に残された足跡を見つけた。しかし、どうにも見慣れない足跡であるらしい。


「どれどれ? 山犬……にしちゃあでけえな。しかもめり込み具合から見て、かなりの重量がある」


 もう一人のハンターもじっくりと足跡を観察するが、今までに見た記憶がない足跡だったらしい。


「ああ。だがおかしいのはそれだけじゃねえ……こりゃあ、後ろ脚の足跡だろ? 前脚の跡が見当たらねえ」

「そんなバカな話があるかよ……って、本当だ。じゃあ、この足跡を残したヤツは、二足歩行の獣だってのか?」


 明らかに四足歩行の獣の特徴を持ちながら、前脚の跡がない。

 周囲を確認してみたが、やはり前脚の形跡は確認できず、それどころか複数の個体の足跡も見受けられた。


「なあ……こいつってもしかしたらよ……」


 ここまでの違和感に、何か思い当たったかのような表情のハンターがゴクリと生唾を飲み込んだ。


「な、なんだよ……」


 それを見たもう一人のハンターも、不安に駆られて同じように生唾を飲み込んだ。


「そ、そんなわきゃねえよ! 少し山に入ったとは言え、ここはまだ人里からそんなに離れてねえんだ!」


 そして現実を認めるのを拒むようにまくし立てる。


「……戻るぞ」

「あ、ああ」


 ここにいてはいけない。一刻も早く離れた方がよい。本能が警鐘を鳴らす。


 ――グルルルァァァ……


「ヒッ……」

「う、うわああああ!」


***


 村の片隅で、テンは一人の少女と対峙していた。その少女の歳は十四、五程か。まだ発育途上の身体は華奢に見える。しかしそれは余分な脂肪が付いていないだけであり、細いながらも筋肉質だ。

 短い黒髪とやや吊り上がった眉毛と瞳は勝気そうな印象を与えるが、それがこの少女の凛々しさを際立たせている。しかし胸部装甲は紙同然だ。


「む……その目は……」


 視線を交錯させていた二人。そしてテンはいつもの如く、少女の視線から何かメッセージを読み取ったようだ。


(来る! でも今日のボクには秘策あり!)


 少女はくるりと背を向け、尻を突き出した。


(昨日は『野生のボクっ娘が尻を撫でられたそうにこっちを見ていた』とか言ってお尻触られちゃったけど! 今日はそうはいかないんだからね!)


 相変わらずのテンであった。

 

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