#28 発表

 CD発売日の10時となり、同時に同曲の有料配信がスタートした。KO-H-KIコウキの新曲「RYUJI」である。KO-H-KIのファン、ニュークラシック音楽の愛好家、各メディア、高名な音楽家のスキャンダルに群がる野次馬たちは、こぞって耳を傾けた。そして首をひねり、眉根を寄せ、困惑した。


 これは……どういうのだろう?


 演奏は、すべてKO-H-KI本人が個人のスタジオで収録した音源で、それらを多重録音したものだった。最初はピアノで、穏やかな、あたたかな旋律がうたわれる。天上からそっと降りそそぐ、金色の光を思わせる、繊細なメロディ。しかしそれはやがて、ヴァイオリンとシンセを組み合わせた、重苦しく、暗い曲調に変わった。相次ぐ転調とリズムの変化と不協和音は、聴覚から脳を揺さぶり、悪酔いに似た嫌な気分に聴衆を引きずり込む。そんな中から、気高く勇壮な旋律が立ち上がり、聞く者の胸をはっと打つ。明るく、やや騒々しいまでの和音の広がり。だがそれは再び、絶望的な重い音のかさなりへと飲みこまれていく。やめて、やめて、と、か細い悲鳴が聞こえそうな、おぞましいフレーズ。ヴァイオリンの音が本当の悲鳴のようだ。思わず耳を覆いたくなるそのとき、またしても雰囲気が変わり、ふわりと軽いピアノが重さをとりのぞく――。優しいピアノ、切ないハープ、荒々しい金管楽器、柔らかな木管楽器、リズミカルなシロフォン、悲しいギター、動悸のようなドラムス、かきむしる弦楽器、転げ落ちる琴、そして静謐へと誘う鈴の音……音楽修行の中で学んだ、数多くの楽器を駆使して。美しさ、重苦しさ、明るさ、怖さ、憧れ、怒り、悲痛、渇望……およそ人の持つ感情のほとんどを音に変換してたたきつけたような曲は、7分間あまりに及んだが、誰も時計なしには計ることができなかっただろう。ある人は短い曲だと感じ、ある人は30分近くかかったように感じていた。


 KO-H-KIの新曲に戸惑った人々は、意見をかわし合った。お茶を飲みながら、店先で、イヤホンを片方ずつ分け合いながら、テレビやラジオの番組で、ネットで。

「なんだかわからない……」

「部分的にキレイだよね」

「なんか悪酔いしそう」

「ジェットコースターみたい」

「この転調して落ちていく部分、なんか好きだな」

「えー、あそこ? 悪趣味ー」

「これは……どう解釈すればいいのでしょう?」

「これがKO-H-KIの……お父さんへの、感情…………」


 感想はめちゃくちゃだった。しかし、聞いた者の大半が共通して受けた感触は、こうだった。

「気持ち悪い色彩のマーブル模様見てるみたい」

「途中のヴァイオリンの音が、心を引き裂かれる音のようで、聞いていてつらい」

「酔いそう」


 KO-H-KIは当然、メディアにひっぱりだことなった。新曲のプロモーションはもちろんだが、「音楽を通して回答する」と宣言した父との関係について、記者たちは改めて説明を聞きたがった。事務所がセットした記者会見の場で、KO-H-KIは回答した。


「先日申し上げた通り、これが……父射水いみず隆二りゅうじに対する、私の正直な感情です」


 地声で、あの言葉遣いもやめ、幸樹こうきは背すじをのばし、はっきりとした語調で、断言した。


 記者たちは困惑した。

「曲は聞きましたが、それでつまり……一言で、どういう感情でしょうか?」

「あのような感情です」

 ざわつき。

「KO-H-KIさん、それじゃわかりませんよ。はっきりおっしゃってください」

 幸樹は、なるべく声を抑え、穏やかに答えた。喧嘩を売っている口調にならないよう。

「はっきり説明できる感情では、ないのです。あの曲のとおりです。いろんな感情がぐちゃぐちゃになっていて、自分でも整理しきれません。言葉でうまく表現できないので、音楽にあらわしました。これ以上は、言葉では説明しようがないのです」


 記者たちはさらに困惑の度を増して、顔を見合わせた。そうはいかない。言葉の形で成果を得なくては、記事にできないのだ。

「しかし、音楽のとおりとおっしゃられてもねえ、聞いた方もなにがなんやら、むちゃくちゃですよ。どう表現すればいいんです」

「お聞きしたままを」

 その記者を見据え、幸樹は返答した。

「私はミュージシャンです。発表した曲については、聞いた人ひとりひとりに解釈の自由があります。その解釈に、私は口出しや指示をする権利はありません。皆さんが受けた印象そのままを、記事になさればよろしいかと思います。あなたがたも、ありのままの事実を言葉で表現するプロのはずですから」


 挑戦的にすぎたか。――だが、もっとも明かしたくないプライバシーを無断で引きずり出し、さらけ出してくれた人たちに対して、このくらいの反撃はさせてくれよとも思う。


 会見を終え、幸樹は控室で麦茶をひと息に飲み干した。

「やるわね」

 香里かおりが苦笑しながら、2杯目を注いでくれる。

「これじゃ、スキャンダルを逆用して、新曲の話題性と売り上げにつなげたって皮肉られかねないわ」

「あれ、そうは見えなかったですか?」

 タオルで顔を拭きながら、幸樹はおどけて答えた。

「逆にオレは、もうそうするしかないと思いましたよ。こんなプロモーションの機会、そうそうないでしょ」


 本当は後付けで、つい今朝ほど思いついた口実だ。だが、そのように利用できることも確かである。オレもけっこうしたたかになってきたなと、苦笑がもれる。


「それにしても……」

 香里は、タオルと引き換えにグラスを差し出して、ため息をつく。

「あの曲、何度聞いても悪酔いしそう。――よく、あんな複雑にからみついた感情を、音楽に変換できたものね」

「知らなかったですか? ――オレ、ミュージシャンなんです。あの射水隆二の息子なんですよ。将来性、ありそうでしょ」

 麦茶をひと口飲んで、KO-H-KIは疲れた顔で、にっと笑った。

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