#20 無価値な人間 ※

 その日からKO-H-KIコウキは、マスコミに追い回された。


 取材と称して詰めかけた記者たちは、想像をはるかに上回る数で、幸樹こうきに迫ってきた。マイクやレコーダーが剣先のように突き出され、フラッシュの明滅が網膜を責めたてる。

「KO-H-KIさん、お父様に虐待されていたというのは事実でしょうか!」

「どんなことをされたのですか? いつから?」

「お母様の失踪はそれが原因で?」

「お父様のことをどのように感じておられますか?」

「芸名に射水いみずの姓を使われなかったのは、お父様に対して思うところがあったんですよね?」

「あのう、お兄様が1歳になる前に、不幸な事故で亡くなられたということですが、死因について疑問をお持ちになったことは?」

「KO-H-KIさん、ひと言お願いします! ひと言!」


 回る。奇怪な色合いのマーブル模様が、意識を埋め尽くしてゆっくりと回る……。


「すみません、KO-H-KIは――」

 神村かみむらが、取りすがる記者たちの手を振り払うように、前へ出て幸樹をかばった。

「――ショックを受けておりまして、体調を崩しております。今、お答えできる状態ではありません。後ほど……」

「ショックを受けているということは、やはり事実なんでしょうかぁ?」


 ……その先のことを、幸樹は思い出せない。ふと顔を上げると、見慣れた車の後部座席にうずくまっている自分がいた。神村が隣で幸樹の肩を抱いてくれ、もう片方の手でスマホを耳に当てている。ハンドルを握っているのは、幸樹とほぼ同じ年齢の坂下さかしただった。


 車内の光景が、ゆっくりと、ゆっくりと、幸樹の目の前で揺れている。走行の揺れではない。衝撃を受けた意識が、景色を揺れているように感知しているのだ。気持ちが悪いが、幸樹にはもう見慣れた感覚だ。しかし、慣れたからといって平気になるわけではない。


「…………やはり自宅にも記者が待ち伏せしているらしい」

 スマホを下ろし、神村は重い吐息をついた。事務所では人員不足なので、懇意にしている音楽配信会社の社員に応援を頼み、何人か射水家に向かわせたのだが、すでに丘のふもとの門に記者たちが集まっており、彼らを見るやいなや、質問攻めにしてきたというのだ。


「ホテル取ります?」

「そうしよう」

「……家へやってください」

 うずくまっていた幸樹は、初めて声を出した。


「…………しかし」

「お願いします。自宅がいいんです……ホテルじゃ気が狂う。自宅にしてください」

 それきり、幸樹はただうずくまり、意識を侵食してくるマーブル模様の前で呆然としていた。



 ばれた。

 知られた。

 父の……オレの秘密を。射水家の、本当の姿を。

 ずっと隠してきた――今までずっと、すべてをかけて隠し通してきた、秘密を。守りとおしてきたのに。

 今……すべてが、無駄になった。

 ずっとキャラをかぶることで、知られまいとしてきたのに。

 本当のオレを隠し続けてきたのに。

 忘れてしまいたかったのに。

 なかったことにしたかったのに。


 父との思い出……楽しかったことだって、ゼロじゃない。一緒にピアノを弾いた。小学生でピアノとヴァイオリンのコンクールに優勝したことを、喜んでくれた。中学では運動系のクラブに入りたいとおそるおそる相談したら、むしろその方がいいと賛成してくれた。音大に合格したことを報告したら、目を細めて祝福してくれた……。


「俺の言うことが聞けないのか!」


 髪の毛をつかみ上げられ、頭皮に痛みが走る。ああ、これは、そのまま頭を壁か机にたたきつけられる前兆だ。……ほらね。


 酒が回って、鬼のような形相になった父。……顔がマーブル模様に染まって見える。違う。父はこんな…………。


 ……やっぱり全部、嘘だったんだ。褒めてくれたことも、相談に乗ってくれたことも。見せかけで、息子を想っているように装っていただけだったんだ……。


 オレはくだらない、価値のない人間なんだ。

 父さんも母さんも、オレがいらなかったんだ。

 いなきゃいい人間だったんだ。


 生きていても仕方のない人間だと、これ以上知られたくなかった。


 こんなだめな人間、誰が認めてくれるっていうんだ……。


 神村は幸樹の肩をぽんぽんと叩きながら、坂下とミラー越しに、表情の選択に困り果てた視線を交わした。


 あの当時に比べれば、世間は子どもの虐待問題に対して、かなり敏感になってきている。それはいいことなのだろう。無関心で放置するより、ずっといいことには違いない。だが、生々しい心の傷がまだ癒えない虐待被害者に対し、あのように容赦なく、不躾に、傷口をえぐりかねない言動をとることは許されるのだろうか。……いや、記者は取材することが仕事だ。そうすることで日々の糧を得ているのだ。それでも、ああした取材をされるがわからすると、有名人の重大な瑕疵ともいえる出来事を調べ上げるために、おもしろがって関係者をつつき回している……そう受け取ってしまうことも確かだった。実際におもしろがっている記者が絶対にいないとも限らないのだ。


 ……射水邸の外門のそばには、大勢の取材陣が詰めかけていた。

「下がってください! 下がって!」

 事務所の応援に来た男性たちが記者を押しとどめようとする間にも、車は取り囲まれた。


「KO-H-KIさん! KO-H-KIさん! 今のお気持ちをひと言!」

 いくつかの光が明滅する中で、幸樹は顔を伏せていた。ひと言どころではなかった。吐き気をこらえるのに必死だった。外門を、坂下は徐行しつつもかろうじて通り抜け、すかさず配信会社の社員たちが取材陣をけん制しながらどうにか閉め出す。内門はすでに開けられて、幸樹の帰りを待っていた。もうひとり、若い藤尾ふじおという男性社員を内門の中に待機させていたのである。


「もうとっくに、近所にあれこれ聞き回っているだろうな、あのぶんじゃ……カーテン閉めたか、望遠レンズでチェックされていると思え」

「閉めてます」

 神村の指示が飛び、藤尾と坂下が駆け回る。その間幸樹はトイレにこもり、胃液に喉を焼かれていた。

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