#19 破砕 ※
「
――「週刊
さらに印象を悪くしたのは、射水隆二の長男が、1歳を迎えずして「事故死」しているという事実だった。――これは本当に事故死だろうか? 真城はこちらも調査しようと考えたのだが、さすがに30年ほども前の出来事であり、断念せざるを得なかった。しかし、射水隆二という人物の影がどす黒さを増したことは間違いなかった。
決定的な証拠はないが、日本有数の偉大な音楽家の、これは大スキャンダルだ。この段階で十分記事になりうると判断したのだろう。こうして週刊書春はとりあえずの仕上げとして、KO-H-KIの事務所に「射水隆二の家庭内暴力疑惑は事実でしょうか?」と連絡を入れてきたのである。今ごろ、KO-H-KIの母を捜す別働隊が動いていると考えていいだろう。
事務所のほぼ全員が、苦悩の顔を寄せ合った。――証拠はない。突っぱねることは可能だ。名誉棄損で訴える、と脅すことも可能だろう。しかし週刊誌ならその程度の脅しは日常茶飯事に違いなかった。しかも困ったことに、記事はほぼ事実なのだ。事実であることを隠して「事実無根だ」と言い立てることは、後から事実だと判明した際に非常に不利となる。
「事実は事実だ。射水隆二の名声は地に落ちるだろう」
事務所社長の志原は、深いため息まじりに吐き出した。志原の「虐待を受けていたのか」という質問に、回答した幸樹の声は、聞いたこともないほど弱弱しいものだった……。
……よりによって本人が死んだ後、最悪の形で家族に、被害者に、降りかかってきちまった――。
射水の妻のことはどうしようもない。保護しようにも所在すらわからないのだから。問題は幸樹だろう。すでに心をえぐられるショックを受けている。本来なら
「落ちるのは仕方がありません。射水隆二は偉大な音楽家ですが、家庭人としては最低でした。事実です。でっち上げじゃなく、裏の顔に光が当たっただけのことだわ」
香里は吐き捨てた。事務所の中でもっとも幸樹に近い場所にいた彼女は、ごく自然に、射水隆二の家庭の歪みを察していた。幸樹の母が、盾となって息子を暴力から守ることを放棄していることも悟った。憤ったものだったが、この年齢になってから思えば、夫の暴力に身も心もすくみ上がるところまで精神的に追いつめられていたのかもしれない。だがその後、
そんな香里に、もっと早く教えてくれれば……と思わなくもない志原であった。が、すぐにそれを打ち消した。射水隆二の生前にそれを聞かされていたら、自分はどうしただろうか……? そんなまさか、と一笑に付さなかった保証はあるか? 信じたくはなかっただろうし、面倒ごとになると判断しなかったとは言い切れない。永山くんも、そんな危惧があったから言い出しかねていたのではないのだろうか……。
だとしたら、どこまでも自分の責任だなと、志原は無言のまま自嘲した。
「射水隆二の音楽がボイコットされることになれば、我々の仕事にも支障が――」
「その前に損害賠償請求がとんでもないことになるでしょうよ」
「KO-H-KIも、音楽の仕事を続けていく気があるのかどうか……」
昔にくらべ、虐待や家庭内暴力に向けられる世間の目は厳しくなった。それ自体は決して悪いことではない。それだけに、射水隆二のイメージの失墜は免れない。しかし……これは、当の被害者であるKO-H-KIの仕事や生活にも直結している。デリケートな問題で、体の震えが止まらないほどの衝撃を受けている幸樹を、彼らは引きずり起こし、これからどうしたいのかとたずねなくてはならないのだ。しかし、とりあえず今これからのマスコミ対応をどうしようか、と相談することさえためらわれる……幸樹の衝撃が大きすぎることは、察するに余りある。何よりも……すべてをKO-H-KIの顔色が物語ってしまっている。KO-H-KIをマスコミの前に一切出さない、という手は現実的ではないし、疑惑を深めることにしかならないだろう。
体裁は悪いが、このまま活動休止と発表することは可能だ。実際に、仕事がこなせる精神状態には見えない。しかし、KO-H-KI本人に相談なく、事務所が勝手に発表するわけにもいかない。
どうすればいいのか……暗礁に乗り上げた一行の前に、事態は切迫していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます