#14 届けたくない

 KO-H-KIコウキが作曲した「イブニング・パール」はリリースされた。ポップスほどの派手なブレイクはないが、このジャンルとしては、CDもダウンロードも上々の売り上げとなった。幸樹こうきははじめピアノ曲にするつもりだったが、碧衣あおいをイメージした結果ヴァイオリンも入れたくなり、ヴァイオリンとピアノの曲となった。宝飾店のCM曲としてタイアップも成功した。プロモーションの一環として、ある音楽番組の中で、実際にKO-H-KIと篠崎しのざき碧衣の組み合わせでこの曲を演奏する機会もあり、幸樹はとても幸福な気持ちで演奏にのぞんだ。曲のモデル本人と、デュエットのように演奏できるなんて、この上もなく幸せだった。番組の演出で、碧衣は真珠をあしらった衣装をまとっていたが、幸樹個人としては、あの夜のスーツ姿で無数のヘッドライトに照らされていた姿の方が、印象が強かった。もちろん、この日のドレスもまた異なる美しさであったが。


 ふたりへのインタビューパート収録は別日に行われ、幸樹と碧衣は昼前に解放された。テレビ局を出ると、ふたりは並んで、最寄りの駅に向かった。幸樹は次の仕事に電車で向かうことになっており、この後オフとなる碧衣はタクシーで帰宅するということだった。


「……でも、本当にすてきな曲」

 帽子を深めにかぶった下で、碧衣は穏やかに微笑んだ。

 かすかなジャスミンの香りがただよってくる。


 ――あなたに捧げた曲ですよ。


「ヴァイオリンの技量なら勝ってる自信があるけど、コウキくんもヴァイオリンのこと知りつくして作曲してるから……感性みたいなものは、かなわないなあって思うこと、あるわ」

「そうですか」

 幸樹はそっけなく、自分への賛辞を流した。彼も帽子をかぶり、サングラスをかけている。雑踏を歩いて数分で、駅前に出入りする路線バスの群が見えてくる。


 ……駅がもう1キロほど、向こうにあればいいのに。


 ――オレが好きになる相手って、やっぱり女性なんだよな。

 でも……。


 幸樹はこれまで幾度か、人を好きになったことがある。みんな女性だ。けれども交際したことはない。好意を告げたこともない。おそらく自分には、大切な人と一緒にいる資格はないのだと思う。……今はまだ……いや、今でさえ、家の中で家具を蹴り飛ばして暴れている。その狂気を抑えられない自分だ。もしも、もしも……抑えられなくなったとき、そこに、大切なはずの女性がいたとしたら…………。


 音大にいた頃は、彼女がいたと思われていた。つき合ってはいない。一緒に行動する機会が偶然多かっただけだ。もっとも、幸樹の方に好意があったことは事実で、意識的に「偶然」を演出していたのだが。

 それでも……踏み出すことはできなかった。


 もしかすると、相手に暴力をふるってしまう可能性よりももっと……本当の自分を知られてしまうことの方が、怖かったのかもしれない。父に暴力をふるわれていた自分を。母に捨てられた自分を。、父と同じことをしようとしている自分を。両親に大切にしてもらえなかった、無価値でくだらない自分を。


 ……相手の女性の心配よりも、自分の保身か。

 自分自身に吐き気がする。


「この後、オフなんでしたっけ?」

 もう聞いたはずのことを、もう一度碧衣に聞いてみる。いつの間にか碧衣には、仕事を離れた場であれば、オネエをかぶらず、普段の幸樹として接するようになっていた。

「そうよ。ダンナも今日久しぶりに早く帰れるらしいから、たまには優雅に、一家で外食に行こうってことになっててね。だからそれまではゆっくりしようかな」

「……そうですか」

 ダンナ。一家。外食。


 …………そうだよな。


「碧衣さん」

 タクシー乗り場の前で幸樹は足を止めて、サングラスをはずした。

「……なに?」

 つられて碧衣も立ち止まる。


 ……ああ。どんなパールよりも、このひとは…………。


「どうしたの」


 …………好きです。


「いえ。おつかれさまでした。お気をつけて」

「……ありがとう…………? コウキくんも」


 会釈して、幸樹はサングラスをかけなおし、碧衣がタクシーに乗るのも待たず、駅の構内へと歩き出した。


 ……あなたが、好き


 あ、もしかしてオレ、既婚者とか、絶対に結ばれないとわかっている相手を無意識に選んで、好きになったのかな。


 幸樹はゆっくりと歩を運んだ。クライスラーの「愛の悲しみ」を、口笛で奏でながら。

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