#14 届けたくない
ふたりへのインタビューパート収録は別日に行われ、幸樹と碧衣は昼前に解放された。テレビ局を出ると、ふたりは並んで、最寄りの駅に向かった。幸樹は次の仕事に電車で向かうことになっており、この後オフとなる碧衣はタクシーで帰宅するということだった。
「……でも、本当にすてきな曲」
帽子を深めにかぶった下で、碧衣は穏やかに微笑んだ。
かすかなジャスミンの香りがただよってくる。
――あなたに捧げた曲ですよ。
「ヴァイオリンの技量なら勝ってる自信があるけど、コウキくんもヴァイオリンのこと知りつくして作曲してるから……感性みたいなものは、かなわないなあって思うこと、あるわ」
「そうですか」
幸樹はそっけなく、自分への賛辞を流した。彼も帽子をかぶり、サングラスをかけている。雑踏を歩いて数分で、駅前に出入りする路線バスの群が見えてくる。
……駅がもう1キロほど、向こうにあればいいのに。
――オレが好きになる相手って、やっぱり女性なんだよな。
でも……。
幸樹はこれまで幾度か、人を好きになったことがある。みんな女性だ。けれども交際したことはない。好意を告げたこともない。おそらく自分には、大切な人と一緒にいる資格はないのだと思う。……今はまだ……いや、今でさえ、家の中で家具を蹴り飛ばして暴れている。その狂気を抑えられない自分だ。もしも、もしも……抑えられなくなったとき、そこに、大切なはずの女性がいたとしたら…………。
音大にいた頃は、彼女がいたと思われていた。つき合ってはいない。一緒に行動する機会が偶然多かっただけだ。もっとも、幸樹の方に好意があったことは事実で、意識的に「偶然」を演出していたのだが。
それでも……踏み出すことはできなかった。
もしかすると、相手に暴力をふるってしまう可能性よりももっと……本当の自分を知られてしまうことの方が、怖かったのかもしれない。父に暴力をふるわれていた自分を。母に捨てられた自分を。あらゆる意味で、父と同じことをしようとしている自分を。両親に大切にしてもらえなかった、無価値でくだらない自分を。
……相手の女性の心配よりも、自分の保身か。
自分自身に吐き気がする。
「この後、オフなんでしたっけ?」
もう聞いたはずのことを、もう一度碧衣に聞いてみる。いつの間にか碧衣には、仕事を離れた場であれば、オネエをかぶらず、普段の幸樹として接するようになっていた。
「そうよ。ダンナも今日久しぶりに早く帰れるらしいから、たまには優雅に、一家で外食に行こうってことになっててね。だからそれまではゆっくりしようかな」
「……そうですか」
ダンナ。一家。外食。
…………そうだよな。
「碧衣さん」
タクシー乗り場の前で幸樹は足を止めて、サングラスをはずした。
「……なに?」
つられて碧衣も立ち止まる。
……ああ。どんなパールよりも、このひとは…………。
「どうしたの」
…………好きです。
「いえ。おつかれさまでした。お気をつけて」
「……ありがとう…………? コウキくんも」
会釈して、幸樹はサングラスをかけなおし、碧衣がタクシーに乗るのも待たず、駅の構内へと歩き出した。
……あなたが、好きでした。
あ、もしかしてオレ、既婚者とか、絶対に結ばれないとわかっている相手を無意識に選んで、好きになったのかな。
幸樹はゆっくりと歩を運んだ。クライスラーの「愛の悲しみ」を、口笛で奏でながら。
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