#13 感情が軋む ※
……父が飛行機の墜落事故で亡くなったと知らされた時、どんな心境だったのか、自分でもわからない。ショックも巨大ではあったが、悲しかったのか、嬉しかったのか、安堵だったのか、謝ることなく去っていったことへの怒りか、……いくつもの感情に引き裂かれそうだった。母とともに遺体に対面し、警察での手続きを終えて、ひとまず帰宅した夜……事務所の人たちも引きあげてしまった後、
葬儀も告別式も済み、父の財産の処分などが続いた日々は、奇妙に空虚な時期だった。暴力的な家族がいなくなったというのに、幸樹の中では時折、名状しがたい奇怪な感情が、ふつふつとこみ上げた。怒りもあったかもしれない。しかし、明確に説明できない、恐れに似た、奇形化した感情がとぐろを巻いていた。母が外出し、幸樹ひとりで家にいたあるとき、突然それは爆発した。行き場のない感情が幸樹を引き裂いた。目の前のリビングのソファを、力任せに蹴った。どすん、とソファが倒れるのを見たとき、蛍光色をした別の感情が心の中を染め上げた。ローテーブルの天板をつかんで、引き倒した。獣のような自分の声を初めて聞いたが、驚きはなかった。もうひとつのソファを投げるように倒した。バランスを失って自分も倒れた。布製のソファだったので、細かいほこりが舞っていた。しばらく呆然と肩で息をしていたが、不意に――強烈な吐き気がせき上がり、トイレへ走った。ようやく息をつくことができ、冷たい麦茶で喉をなだめてから、倒した家具を起こして、置きなおした。オレは、何になってしまったんだろう……頭痛は吐き気の後遺症にすぎなかったのだろうか?
それ以来、狂気に似た奇怪な感情はたびたび、幸樹を支配するようになった。懸命に抑えたが、「それ」はますます幸樹の中で暴れ狂い、抑えた分だけ凶暴さを蓄えるようになった。せめて誰もいないところでと、家にひとりになるタイミングを待った。母にも事務所の人にも知られていないはずだった。
母は、気づいていたのだろうか……。
だとしたら、自分は母に捨てられて当然なのだ。母にしてみれば、暴力的な夫が亡くなったと思ったら、息子が父と同じ側面を見せ始めたのである。今度は息子の暴力の餌食にされるのではないか……危惧したとしても不思議はない。呪縛が解けたことに気づいた母は、次なる呪縛に捕らわれる前に、逃げ出したのだ。
確証はない。
ただの憶測だ。違っているのかもしれない。
けれどもしかしたら……。
オレもまた、母を怖がらせてしまったのかもしれない……。
その可能性に気づいたとき、幸樹は、狂ったように笑い転げ、胃液しか出なくなるまで吐いた。
幸樹が本格的に、音楽家として独り立ちしたのは、音大を卒業してまもなくだった。それまで「
……せっかくの休日に、こんなことを考えなくていいのに。自分の感情に疲れ果てて、幸樹はリビングに戻り、窓を閉めた。
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