#06 恋

 1次会が終わったところで、大部分の人間が離脱した、と思う。幸樹こうきのように最初から1次会だけにしておこうとか、この後もまだ仕事があるとか、そういう理由で野方のがたの「魔手」を逃れた人物は多い。ごく少数、捕まってしまった人々もいるようで、気の毒にと、勝手に幸樹は思わずにいられなかった。


「あら、コウキくんも帰り?」

 外灯の下で幸樹は、スマホから顔を上げた。少し疲れた表情の碧衣あおいが微笑している。

「ええ、そうなんですぅ。碧衣さん、マネさん(マネージャー)来ないんですかぁ?」

 幸樹はとっさに、声を高く裏返し、KO-H-KIコウキをかぶる。

「今日はちょっとね。タクシー拾おうと思って」

「じゃぁ駅まで送ります~」

「ありがとう。コウキくんこそ、お迎えないの?」

「マネさん来ますけどぉ、今、駅まで歩くって連絡したとこなんですぅ。ちょうどいい時間になりそうでぇ~」

 KO-H-KIはわざと、語尾を強調した話し方をする。ほろ酔いのふたりは、人気のほとんどない歩道を、ゆっくりと歩いた。


「たいへんだったわね、野方先生と八重樫やえがしさん」

 碧衣が声をひそめた。

「ちょ~っと、参りましたぁ」

 ふたりで苦笑する。

「お子さん、お元気ですかぁ?」

「ええ、おかげさまで」

「なによりで……おぅわっ!」

「あぶない!」


 歩道のタイルがひび割れていた。足をとられて幸樹はよろける。碧衣がとっさに手首をつかんでくれたが、大の男の体格を支えられるわけがない。幸樹は尻もちをつき、抱え込まれるような姿勢で碧衣も座りこんでしまった。


 ……アルコールに混じった、ジャスミンの香り。シャンプー、だろうか。


「大丈夫ですか……無茶ですよ。碧衣さんが、オレを支えられるわけないです」

 セクハラと言われないよう、今度は幸樹がそっと碧衣の両手首をとって、立ち上がるのを助ける。碧衣が起きてくれないと、幸樹が立てない。

「……ありがとう」

「いえ、こっちこそ。すみません。オレを助けようとして――」

 碧衣と幸樹は立ち上がると、それぞれ服をぱたぱたとはたいた。


「コウキくん――」

「はい?」

「――それが、素なのね」

「…………!」

 息をのむ。つい、忘れていた。地声のまま、普通に会話してしまっていた。


 しまった――。


「……言わないわよ。言うわけないでしょ」

 碧衣はそっと笑い、幸樹はぎこちなく、1歩下がったまま、歩き続けた。ものの2分とたたないうちに、駅前のタクシーが集まるロータリーが見えてくる。


「けど――」

 ネックレスのように連なるヘッドライトを背に、碧衣は振り返った。

「コウキくん、今の方が、カッコイイと思う。顔も素敵だし、女の子にモテるわよ、きっと……プライベートではどうしているか知らないけど。……じゃ、おつかれさま。ありがとうね」

 そう笑い、軽く手を振って、碧衣は足を早め、タクシーをつかまえに行った。

「おつかれさま……」

 抜け殻に近い状態でかろうじて応じ、幸樹はぼんやりと、碧衣を見送った。


 ……なんであんなふうに、綺麗に見えるんだろう。

 綺麗って……結婚しているとか、ドレスとか、関係ないんだな。

 でも。


「…………モテたくはないんですよ、オレ」


 もうとっくに見えなくなってしまった人に、幸樹はつぶやいた。


 モテたくないんです。恋なんてしたくないんです。なのに……どうしてくれるんですか。

 ――クラクションを2回短く鳴らして、徐行してきた車があった。香里かおりが迎えに来てくれたのだ。

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