#07 侵食
「今日は、門のところまででいいです。荷物も少ないし」
長い沈黙の末に
お酒が入るとだいたいこうよね――
「もうこんな時間で、香里さんにも悪いし」
「――今さら他人行儀ね」
「香里さんは、家族と他人の中間ですから」
マネージャーの声のトーンが微妙に変わったのを知ってか知らずか、幸樹は窓の外をながめたまま、やや気の抜けた返事をする。
センターラインがどうにか描かれた細い道は、小さな丘にさしかかる。丘には木々が茂っているが、木々に紛れて高い塀が築かれ、丘のふもとをぐるりと囲んでいる。道はそのまま丘を離れて続くが、丘に登る道が分岐して、10メートルほど登ったところで、頑丈な門に遮られている。香里は門の直前で車を停めた。
「……大丈夫?」
「大丈夫です。ありがとうございました。香里さん、気をつけて」
ばたんと後部座席のドアを閉める。香里は車をバックさせた。もう11時が近く、住宅地はずれの道路は人も車も途絶えている。スムーズに方向転換して、テールライトはもと来た方角へ遠ざかって行った。
ふもとの門は頑丈だが素っ気なく、「IMIZU」と記された表札も目立たず、教えられなければ地元の人でも、日本どころか世界にも名を轟かせた音楽家の自宅とはわからないほどだ。幸樹は門を内側から確実に閉め、郵便受けからいくつかの封書と、投げ込みのチラシを引っ張り出した。外門と内門の間は、斜面を登る道だ。夏の熱気がこもってはたまらないという理由で舗装はされておらず、石を丁寧に取り除き、土が踏み固められ、車で通行してもほとんど揺れることはない。両脇から木々が影を落としており、数本の外灯が足元を確保する。酒も入っているので、幸樹はゆっくりと足を運んだ。登りきったところに設けられた内門を通り、閉める。木々は頂上の敷地を囲むようにひらけ、
感情も思考も何もなく、ただただリビングの床に視点を固定する。5分間ほど凝固した後に、こうしていても仕方がないと、ようやく入浴するべく、床から足を引きはがす。
……酒は嫌いだ。
形相の変わった父しか思い出せない。
シャワーを浴びる。歯を磨く。麦茶を入れたコップをテーブルに置き、幸樹は椅子に腰かけた。
寝室に入る気が起きなかった。せめてアルコールが醒めるまでは。楽しいことを思い出そうとした。――
「やめてくれ……父さん……」
知覚がゆがむ……どぎつい色のマーブル模様を描いて……その向こうから伸ばされた手が幸樹の頭髪をつかもうと…………。
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