第十七話 木曜日
目を開けると、見慣れた天井が目に入った。
もちろん自分の部屋だ。
時計を見ると、五時五十分過ぎ。
「いや、めっちゃ早起きじゃね?」
思わず呟く。……返事をしてくれる人は誰もいないのだが。
窓際に歩み寄り、ベランダに出る。
天気は快晴。
距離にして僅か30㎝ほどのところにある隣の家の窓のカーテンはまだ開いていない。
あることを思いついて、手早く着替えを終えた。
階下に降り、今日はちゃんと朝食を摂ろうと食パンをトースターに入れた。
数分後、チンッと音を立ててこんがり焼けたトーストが飛び出してくる。
それを口の中に詰め込んで水で流し込んだ。
現在時刻、六時二十五分。
まだ早すぎるか?
スマホを手に取って、チャットアプリを起動。
しかし、未読のメッセージは一つもなかった。
「……」
暇だから、と言っては悪いが新しくグループを作成してみる。
なんだかんだ言って存在していなかったグループで、俺もチャットアプリを改めて眺めて気づいたことだ。
招待するメンバーを入力するところで、迷わずに三人の名前をタップする。
『グループ名を入力してください』
グループ名……、考えてねーよそんなもん。
適当でいいや。
〝
カッコ内はメンバーの人数。
作った瞬間に
ryu-to『そういえばなかったねー、このグループ』6:28
リク『だろ?』6:28
ryu-to『いやー、しっかしこのグループ名は香鈴ちゃん怒るだろうねー』6:29
俺もそう思う。だがこれしか思いつかなかったのだから仕方がない。
sayuri『あら、そういえばなかったのね、このグループ』6:29
琉人と反応が同じなのが面白い。
ryu-to『ねー、なぜか心のどっかであると思っちゃってたよ』6:29
sayuri『香鈴は気づいていないみたいね、まだ寝てるのかしら?』6:29
リク『香鈴の部屋のカーテンが閉まってる。だから寝てるんだろ、まだ』6:29
sayuri『ご報告ありがとう』6:30
そうしてしばらく他愛もない話に盛り上がり……。
リク『俺そろそろ行くわ』6:53
ryu-to『あれ、
なんて失礼な。
ryu-to『手繋ぎチャレンジがあるからかな?あと今日明日で期限切れだからね?覚えてるかどうか知らないけど、駅から学校までの間じゃないと駄目だよー』6:54
忘れてた……。
……緊張する。
何年振りなんだ、このボタンを押すのは。
熱いものでも触るように、指先だけで一気に押した。
ピーンポーン―――……。
『はい』
「た……っかさき陸也です」
裏返った声を慌てて元に戻す。
応対した香鈴のお母さん、
「香織さん、そんなに笑わないでください」
「いやぁ、陸也君もおっきくなったなぁ」
昔はこんなだったのに、と手で赤ちゃんを抱くような仕草をする。
どうして久しぶりに会う知り合いは皆こうなんだ。
「いつの話ですか……」
「いつだっけねぇ」
うふふ、と笑う香織さんに、俺はがっくりと項垂れた。
それにしても、と香織さんが俺に向き直る。
「陸也君がうちのインターフォンを押すなんて珍しいじゃない。何かあったの?」
「何かあったとかそういうわけじゃないんですけど……」
「なになに、ぜひ言ってみなさい」
好奇心の塊のような香織さんは、いつまで経っても少女のようだ。
「単に香鈴を起こしに来ただけです、この間勝手に部屋に入りやがったからその仕返し、的な」
「あらぁ、ごめんねぇ、うちの香鈴が」
「いえ慣れてます」
くすりと笑って香織さんはOKサインを出した。
「いいわよ。香鈴の部屋の場所は変わってないから、どうぞ上がってちょうだい」
香織さんは料理の途中だったのか、二階の香鈴の部屋までは上がってこず、一階にあるらしい台所に引っ込んだ。
香鈴の部屋は階段を上がって一番奥の部屋。
『かりんのへや』
全然変わってないな。
ひらがなの少し
『しょうがくせいになるからかりんのへやもつくってもらったの!』
そう言って嬉しそうに〝かりんのへや〟と書かれたボードを見せてくれたのを覚えている。
そういえば、あの時はまだ、一人称が〝香鈴〟だった。
ノックをするかどうか迷い、この間勝手に入ってきて怒ったのは俺だったと思い出して、控えめなノックをした。
一拍遅れて、眠そうな香鈴の声が答えた。
「お母さん? 入っていいよ」
俺は香鈴の母ではないので入っていいのかどうか一瞬だけ逡巡したが、まあいいやと楽観的な思考に切り替え、ドアを開けた。
「眠……」
ふわぁ、と大きくあくびをしている香鈴は、まだ部屋着を着てベッドの上にいた。
俺が居ることにはまだ気づいていないようだ。
「あれ、もう七時過ぎてるじゃん……。もっと早く起こしてくれても―――……」
不平を言いながらこちらを振り向いた香鈴の声は、その喉に吸い込まれていった。
「……っ、きゃ―――――――――ッ!?」
晴れ渡った空に似つかわしくない、つんざくような悲鳴が上がる。
この間香鈴がやったことと同じことなんだからいいじゃないか、と俺は開き直って香鈴を見下ろした。
「目が覚めたか?」
「覚めたどころじゃないわよッ!」
ベッドの枕元に置いてあったクマのぬいぐるみが飛んでくる。
それを片手でキャッチし、香鈴に投げ返した。
「何でいるの!」
「さあ、何でだろうな」
「誤魔化さないでよ!」
両腕をクロスさせ、ぎゅうっと自分の体を抱きしめる香鈴。
「絶対に許さないから!」
「ああ別に許さなくていい。だが大丈夫か?これから着替えて朝食だろ、時計見てみろ」
えぇ?と言いながら香鈴が勉強机の時計に視線をやった―――……。
「うっそぉ!」
「残念だが嘘じゃない。現在時刻は午前七時三十分だ」
「わかったから出てって!」
またもやクマのぬいぐるみが飛んでくる。
俺がそれをひょいと避けると、可哀想なクマは床にベシャッと叩きつけられた。
拾い上げ、元から置いてあったベッドの枕元に戻す。
「早く来いよー」
と、香鈴の部屋を出ながら言うと、
「わかってる!」
拗ねたような声が答えた。
明日こそは素直に 宵待草 @tukimisou_suzune
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