第十六話 水曜日

 「かーりん」

 「ひょわっ!?」


 水曜日の朝、家の前で俺を待っていた香鈴かりんの耳元で名前を読んでみる。

 ……思った通りの反応で嬉しい。


 「陸也りくやの馬鹿ッ」


 バシンッ、と背中を容赦なく叩かれ、俺はむせてその場に座り込んだ。


 「あ、ごめん、強かった?」

 「普通にいてーよ」


 心配そうにわたわたしている香鈴が可愛かったので、俺はそこで溜飲を下げた。


 「ほら、行こーぜ」

 「あっ、うん」





 前日の夜。


 sayuri『ねえ香鈴。高崎たかさき君と手繋いでみたくない?』20:31


 「はぁっ!?」


 自分一人だけの部屋で、思わず叫んでいた。

 そこで、陸也が窓二枚だけ隔てたところにいるかもしれないことを思い出し、口を押える。

 長話になる気がしたので、ベッドにボフンッと横になった。


 馬『どーいうことよ!』20:31

 sayuri『どーもこーもないわよ。それより今思い出したんだけど、アイコンとアカウント名、高崎君にドン引きされる前に早く変えた方がいいわよ?』20:32


 えぇ—――……。意外とこの馬の写真、瞳がつぶらで気に入ってたんだけどな。

 でも陸也に嫌われるのは嫌なので、アカウント名は〝香鈴〟に変えたが……。


 香鈴『なんかアイコンにするのにいい写真ない?』20:34


 スマホ内のアルバムを眺めたのだが、そういえば、と自分があまり写真を撮らないことに気が付いたのだ。


 sayuri『そう言うと思って、いくつか見繕ってあるわよ』20:35


 そのメッセージと共に送られてきたのは、花の写真二枚、綺麗に描かれたグラデーションの空のイラスト一枚、ユルい顔のねこのイラスト三枚、どこで撮ったのか知らないが私の顔写真十二枚。


 香鈴『私の写真なんてどこで撮ったのよ!?』20:39

 sayuri『寺内てらうち君経由』20:40


 私はがっくりと肩を落とす。


 sayuri『全部中学の時のっぽいわね』20:40


 そうだよ……。


 香鈴『じゃあ空のイラスト使う』20:40

 sayuri『了解。ちなみにこれ、私が描いたイラストなのよ』20:41

 香鈴『流石、美術部のエース!』20:41

 sayuri『美術部にエースってどうなのよ?』20:41


 ……そうかも。


 sayuri『はいっ、アイコンとアカウント名を整えたところで本題に戻りまーす』20:42

 

 戻んなくていいよぉ……。

 沙百合の言う〝本題〟の内容を思い出し、私は自分の部屋で一人、赤面して枕に顔をうずめた。

 しかし、そんなことをしても目の前に沙百合がいるわけではないので、スマホは容赦なくメッセージの着信を告げる。


 sayuri『香鈴、高崎君と手繋ぎたくない?繋ぎたいわよね』20:43


 勝手に断定しないでぇ……。

 また枕に顔をボフッとうずめ、無意識に足をバタバタさせる。


 sayuri『ここで提案なんだけど、香鈴から繋いでみるっていうのはどう?恋愛は男がリードするものってわけでもないしね』20:43

 香鈴『ヤダって言ったら?』20:43

 sayuri『別に強制するわけじゃないから、単に私からの認識が変わるだけよ』

20:44

 香鈴『……どんなふうに?』20:44

 sayuri『ああ、香鈴には手を繋ぐ勇気がないんだなって』20:44


 全然〝単に〟じゃないじゃん……。


 香鈴『努力はしてみるけど……』20:45

 sayuri『頑張って』20:45


 そのメッセージを最後に、私のスマホは沈黙した。

 コロンと仰向けになって天井を見つめる。


 沙百合さゆりが私の恋愛に積極的すぎる……。





 隣を歩く陸也の顔をそっと盗み見た。

 相変わらず前髪長いなぁ……。

 陸也のお母さんが、何度言っても髪を切ってくれない、とボヤいていたのを思い出した。

 前髪で目が見えにくいため、表情を読み取ることはできない。

 ……沈黙が痛い。


 「あの、ちょっと陸上部で聞いたんだけどさぁ……」


 と、どうでもいいような生徒会長の噂を披露してみる。

 陸也は然るべきところで相槌を打つのだが、それだけ。


 (私の話、つまんないのかなぁ……)


 いやいや、生徒会長がどうであろうが大体の人はどうでもいいんだけどっ。

 っていうか、この話題を選んだ私も悪いような……。


 結局、また気まずい沈黙が流れてしまった。





 〝この記事さえ読めば、彼女とのデートで恥をかくことなし!〟

 〝初心者必見!彼女と手を繋ごう〟

 〝初デートを控えた君に気を付けてほしい9つのこと〟


 ryu-to『良ければ見てねー』19:41


 昨日、俺のもとに送られてきたのは、いくつかのブログのURLだった。


 リク『何これ』19:41

 ryu-to『いやー、迷える子羊ちゃんを助けてあげようと思ってね』19:41

 リク『誰が迷える子羊ちゃんだ』19:42


 琉斗はその問い詰めには答えず、うるうると目が潤んだ、今にも泣きそうなスタンプをよこした。


 ryu-to『見てくれるよね?』19:42

 リク『脅迫じゃねーか……』19:42


 渋々ではあるが、チャットに表示されたURLをタップし、サイトに飛んだ。


 〝初心者必見!彼女と手を繋ごう〟


 〝コツその1 歩幅を見よう!

  歩幅をそろえなくては手を握るタイミングを誤ってしまいます。まずは隣を歩く

  彼女の歩幅をよく確認しましょう〟


 ……歩幅。


 〝コツその2 歩幅を合わせよう!

  歩幅を確認したら、彼女の歩幅に合わせて歩いてみましょう。余談ですが、デー

  トなどで歩くときは、なるべく車道側を歩くと好感度が上がります〟


 ……車道側。


 〝コツその3 手を振るテンポを見よう!

  人は誰しも、歩いているときに、体の横で少しは手を振っているはず。むしろ全

  く振らないと不自然になってしまいます。彼女が手を振るタイミングをよく見ま

  しょう〟


 ……手を振るテンポ。


 〝コツその4 テンポを合わせよう!

  彼女が手を振っているタイミングがわかったら、自分もそのテンポに合わせてみ

  ましょう。しかし注意が。合わせると言っても大きく振りすぎないように!わざ 

  とらしくなってしまうと、彼女が不審に思ってしまいます〟


 ……テンポを合わせる。


 〝丁度よくテンポが合ったら、タイミングを見て彼女の手を握るだけ!〟


 握るだけ…………?

 もしかしてこの記事の著者は、その〝だけ〟が難しいということを知らないのだろうか。





 ……歩幅、テンポ、タイミング。

 ……歩幅、テンポ、タイミング。

 ……歩幅、テンポ、タイミング。


 「陸也ー、聞いてる?」

 

 突然、香鈴に顔を覗き込まれ、思わず後ずさる。


 「えぇ?どしたの、本当に」

 「あ、あぁ。悪い、聞いてなかった」


 それを聞いた香鈴は、腰に手を当て、溜め息をついたが—――……。


 「まあ、どーでもいい話だったし、いいんだけどねぇ」

 

 そう言って、じゃあさっさと行こ―、と歩き出した。

 その背中を慌てて追い、香鈴の車道側に並ぶ。


 「そーいえばさぁ。来週からテスト期間なんだよね、気が付いてた?」

 「うっわヤバい、何もやってねぇ」


 適当に返事をしながら、さりげなく歩幅を合わせる。


 「だよね—――……。多分、明日テスト範囲表配られるけどさぁ、数学が死んでる予感しかしない」

 「香鈴、本当に理数系ダメだよな」

 「あっ、酷ーい!」


 本当のことだけどさぁ、とブツブツ呟くのが聞こえた。

 そのとき、キーンコーンカーンコーン—――……、というチャイムの音がかすかに聞こえた。

 え、もうそんなに学校の近くまで来てたのか?


 「ヤバいじゃんっ。あれ、予鈴だよっ!?」


 予鈴は本鈴の五分前に鳴るのだが、チャイムが聞こえるほど学校の近くとはいえここからのんびりと歩いて間に合うものではない。


 「走ろっ!」


 言うが早いか、香鈴は走り始めた。もちろん陸上部員のスタートダッシュに俺が追いつけるはずもなく……。


 くっそ、今日も繋げなかったじゃねーか……。

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