第十五話 火曜日
馬『ごめん、陸上部の朝練があるの』6:42
「嘘だろ……」
ベッドの上に
手を繋げるのは登下校の時のみ。香鈴の部活が入ってしまえば、その日に成功する可能性は低くなる。
「くそ、せめて学校で繋ぐのもアリだったらな……」
しかし、学校で繋ぐのがアリだとして、生徒がたくさんいる中で自分に繋ぐ勇気があるか、と言われれば、そんなものは皆無だ。
天井を仰ぎ、長いため息を吐く。
「ひとまず着替えるか……」
俺はベッドから腰を上げた。
制服に着替え、階下に降りると、まず冷蔵庫の中を覗いた。
朝食にパパッと食べられそうなものは、と……。
ごそごそと探っていると、冷凍した記憶のない食パンが出てきた。
くそ、母さんめ。この間帰ってきたときにまた勝手に食べ物を入れやがったな……。
これじゃあせっかく一人暮らしを希望した意味がないじゃないか。
そうは言っても、高校生男子の一人暮らしなんて朝食に菓子パン一つ食べればいい方だ。
ありがたく電子レンジで解凍する。
電子レンジ特有の〝ヴーン……〟という音を聞きながら、俺はぼんやりと父さんの転勤が決まったときのことを思い出していた。
事の発端は、今年の五月の始めに突然決まった某有名大企業の子会社に勤めている父さんの昇進。
もともと勤勉を人型にしたような性格をしていた父さんだったが、家で子供に構う時間が減るのは嫌だ、と仕事は必要以上に引き受けていなかった。
しかし、俺も高2になり、「次男が高2になってもまだ子供に構わないとって言う気?」という母さんの言葉をきっかけに、仕事を増やしてもらうようになった。
そしたらなんと。
あるとき査察に訪れた本社の幹部に認められ、都心のほうにある本社に勤めることを提示される。
その話にビビった父さんは、既に上京(一応東京に住んではいるが、都心とは比べ物にならないド田舎なのでこう言う)して、デザイナーとして働いている兄さんも呼び寄せ、家族会議を開いた。
これは主張しとかないといけないだろうとまず口を開いたのは俺。
「俺は引っ越しは嫌だからな」
本社に行こうが何しようが、父さんの仕事に俺を巻き込むな、という意思表示だ。
そこでやはり母さんが、「あなた、まさか家族全員で引っ越すとかやめてよ?」という一言。
「私も引っ越しは嫌だわ。行くなら勝手に一人で行って頂戴」
……本当に父さんの妻なのか心配になるくらい冷たい。
言葉のナイフが頬をかすめた父さんは、ますます頭を悩ませる。
「ちょっと話変わっちゃうけど、父さんがこっちに来るなら、俺の家の近くにちょうどいい空き家があるよ」
兄さんが、少し控えめに言った。その言葉に反応したのは、父さんではなく、母さんだった。
「あらぁ、それなら私も行きたいわ、都心」
何という掌返し。流石、兄さん大好きな母さん、見事だ。
「じゃあ、それでよくない? 俺はこの家で暮らす、父さんと母さんは兄さんの近くの家で暮らす。それがベストだと思うけど?」
さっさと話を終わらせたかった俺は、話し合った内容をまとめた。
「で、でも、陸也が一人暮らしなんて……」
なんて過保護のことを言い出したのは父さん。
そこに鶴の一声が入った。
「あなた。将来、陸也が何もできないダメ男になったらどうするの?」
その言葉が決め手となり、父さんと母さんは都心に引っ越した。
やっぱり言ってみるもんだなぁ、自分の意見は。
前々から一人暮らしがしてみたかったんだよなー。
してみてわかったが、やっぱり友達を招いても誰にも気を使わないというのは快適だ。
それに—――……隣の家の香鈴の部屋と向かい合っている窓は、父さんの書斎。
小さい頃は父さんの見ているところなら、と窓から遊びに行ったりもしたものだが、今ではそんなこともできない。
一人暮らしを初めてからは、許可をもらって父さんの書斎を俺の部屋にさせてもらった。ときどき香鈴の部屋に向かって呼びかけてみると、べぇっと舌を出した顔を向けてくる。
まあ、そんなところも可愛いんだが。
などと思っていると、スマホがメッセージの着信を知らせた。
りゅーと『
どうしたのと言われても……。
リク『何がだ』8:14
りゅーと『え、もう八時過ぎなんだけど?これでまだ家にいるとかありえないよねってこと』8:14
マジかよ、遅刻ギリギリじゃねぇか。
っていうかコイツ、わかって言ってるよな?
ryu-to『あれ、もしかして陸也君は香鈴ちゃんがいないと起きられないようなお子ちゃまだったのかなぁ?』8:14
こんなメッセージ、無視だ、無視。
とりあえず解凍し終わっていた食パンをくわえ、家を飛び出した。
「陸也、おはよぉ」
ギリギリのところで朝のHRに間に合った。
「〝おはよぉ〟じゃねーよ……」
それを笑顔でスルーした
「朝ごはん食べ損ねたに一票」
「あ、じゃあ俺は
急に会話に乱入してきたのは
「ちゃんと食パン一枚食ったよ—――……ってお前!何でいるんだよ!?E組だろ!?」
「あ、バレた?」
「バレたも何もねェ!」
尚は、いつの間にやら俺の席を占領して、
「おい、どけよ」
「あぁ、ゴメンゴメン」
というか、スマホは校則違反だぞ?……まあ、そんな校則、守ってるのは生徒会の奴らぐらいだがな。
「じゃっ、お邪魔しました~~」
ひらひらと手を振って、尚は俺らの教室を出て行った。
「やっと帰ったか……」
「あ、そだ。聞き忘れたんだけど、陸也、佐久間と一週間で手繋げるかなチャレンジしてるって本当?」
何でそんなこと聞くためにだけ戻ってくるかなぁ。
「なんだ、悪いか」
「いやぁ、進展がありそうでよかったな?」
「そのニヤニヤ笑いをやめろッ」
尚は、こぶしを振り上げた俺から逃げるようにするりと教室から出て、やっと自分のクラスに帰っていった。
「んで、今のところ繋げてないわけですけど、陸也さん、現在の心境は」
教科書を丸めて琉斗がこちらに差し出してくる。
「そんなことしてる暇がないくらいどうしたらいいか考えてます」
「以上、現場からお伝えしました~~」
人の葛藤を何だと思ってんだ。
「まあ、せいぜい頑張ってよ」
「励ましになってないっ」
ryu-to『今日の手繋ぎチャレンジは失敗。何かいい方法がないかって陸也が悩んでる。
でも、少し危険な賭けよね……。
それに香鈴が乗れるか、そこにかかっている。
私は目を閉じ、数秒間だけ思考を巡らせた。
数秒後、私は目を開くと、チャットアプリの連絡先の中から、馬のアイコンを呼び出したのだった。
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